小さな旅&日記

7/31<土>

上尾の花火見物
風が涼しいベランダで 部屋の中ではミホ&リマ ワンちゃんのココ&ミホ
昨日は休みをとって上尾まで出かける。
東京では隅田川の花火。
同じ荒川の上流上尾でも花火大会だ。
ママの妹夫婦福島さんから招待状が来た。
「ぜひ一緒に花火見物をしましょう。我が家のマンションから見る花火は最高ですよ」
私たちは大喜び。
参加させてもらうことに。

夕方、板橋を出発。
花火のせいか、大宮バイパスはかなり混雑している。
中仙道に入ると、ますます渋滞している。
すでに二時間は経過。
いつもなら、四十分くらいで着くのだが。
でも、もうすぐ目的地はすぐそこ。
遠くで、今年初めて聞く蝉の声。

東京でも、夏休みの頃は、何処でも蝉が煩いほど鳴いていたもの。
それがどうしたことが、東京の片隅の板橋でもまだ鳴かない。
やはり、いろいろな環境の変化なのだろう。
日もだいぶ暮れてきた。
遠くで、カナカナカナと蝉のヒグラシの声が、寂しげに聞こえてくる。
近頃は、板橋でも聴けない懐かしい響きだ。
やっとのことで目的地に到着。

駅前の時間貸し駐車場へ。
福島さんちに着いた時は、すでに七時を回っていた。
早速ベランダへ。
花火はすでに、ドーン、ドーンと上っている。
七色に輝く花火は美しい。
やはり、夏の花火は日本の風物詩。
心地よい風が吹き渡る。
まずはビールで乾杯!

みっちゃんの手つくり料理が美味しい。
ほとんど毎日が外食生活の身には、家庭の味が最高の料理だ。
枝豆、サラダ、やっこ豆腐、酢の物、刺身、空揚げ、鮨ありで大満足。
風にあたりながら、正面に見る花火。
そして、友と語りながら飲む気分は、何物にも変えがたい楽しさ。
日本の季節には、日本の酒。
「幻の瀧純米吟醸」を冷やグビリグビリ。
やがて、息子さんが帰宅。

「シュンちゃん、一緒に飲もうよ」
わが家のごとく、強引に仲間に引き入れ、酒を注ぎ、酒盛りはさらに。
今日の花火は最高!最高!
我は大いに悦に。
時間も九時近くなった。
花火は、時を惜しむかのように、次から次へ打ち上る様は豪華絢爛。
やがて、ドーンドーンと響いていた花火の遠鳴りも収まり、静けさが戻ってきた。
見事に、潔く華やかに散った大輪の花火。

日本の夏の象徴花火は、一瞬の内に弾けて飛び散る。
今年の夏が、打ち上がる花火を見る者の心に、鮮やかに残る。
花火も終わり、私たちも部屋の中へ。
暫らくは、花火の余韻を楽しみながら、酒盛りは続く。
「田村さん、来年も来てよ。僕らも楽しかったな」
誘われると弱いたち、しっかりと約束を。
福島さん、昨日は、楽しい時間を有り難うございました。
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SYMPANYラストライブ
 2005.07.17


ライブは赤坂グラフィティーで12時から始まる。
何時ものことで、ひっしの思いで赤坂へ。
首都高を飛ばして行くが、またしても遅刻で悲しくしなる。
でも、昨日は朝まで仕事をやったのだから、仕方がないかと勝手な言い訳。
昔のホテルニュージャパンは、今では、アメリカの保険会社、プルデンシャルの高層ビルに。
学生の頃、まだまだ今のように劇場がない時代。
赤坂プリンスホテル裏の砂防ホールや都市センターホールなどに、芝居を見に行った。

今では死語と化したが、まだ新劇と言われてた左翼系芝居が、若者に圧倒的な支持を受けていた。
今の一ツ木通りにはお婆ちゃんがやってた古本屋もあった。
赤坂見付交差点横には、自動販売機で何でも買える、一杯飲み屋もありのんびりしたもの。
まだ赤坂東急ホテルがヒルトンホテルと言っていた頃、フランス料理のサービスに良く出かけたもの。
そして、だいぶ金回りも良くなった頃、湯島、銀座と飲み歩き、最後は赤坂のクラブでとどめ。

当時の銀座は11時30分で閉店。
新橋の土橋や日劇<今はマリオン>の前は、タクシー待ちで長蛇の列。
一時間待ち位当たり前だった。
でも、お店のおねーさんと話しながら待っていれば、あっという間に時間は経つ。
そして、繰り出すところは赤坂。
銀座と違い、赤坂はまだまだ朝まで営業していた。
クラブにはピアノ弾きがいて、気持ちよく自慢のシャンソンを歌う。

まだまだ、カラオケなどはなく、女の子とのデュエットとも、ピアノに合わせてだ。
赤坂には、板橋の住人になってからは、めったに来ることもなくなった。
でも、何故か赤坂は懐かしい街だ。
TBS会館下に、しゃぶしゃぶの「ざくろ」、カレーの「サクソン」もあるはず。
日本のフレンチの草分け志度悦夫氏のレストラン「シド」はどうしたのだろうか。
プルデンシャルビルの隣のビルの地下駐車場に車を置いて、目的地のラブハウス「グラフィティー」へ。
だいぶの遅刻だ。

ここからは、信号を渡ればすぐそこだ。
ビルの階段を下りると、ライブハウスはあった。
奥から聴きなれた声が響く。
入口にはモギリでイカチャンがいた。
久しぶりなので、イカチャンは私たちのことが分らないみたい。
入場券を渡し、ワンドリンクチケットを購入。
カウンターで私は生ビール、ママはアイスコーヒーにかえて中へ。
ホールは大勢の聴衆で盛り上がっていた。

本村さんの嫁さん・節っちゃんが席を案内してくれた。
そこには、馴染みの大久保さん、島田&芳江ちゃんがいた。
シンパニーの面々は、汗をかきながら、次々と徳永英明の曲を演奏。
思い入れたっぷりに歌う、ボーカルの本村さん。
想像していたより、シンパニーのレベルははるかにたかい。
だから、毎回、ホームページでライブの公演日を紹介するだけで、
ライブハウスが満席になるのも納得。
知り合い縁者に頼りがちのライブが多い中、自分たちのファンをしっかり掴んでいるのが実感できる。
やがて、休憩になった。

年内に結婚の決まった、島田&芳江ちゃん。フラッシュでパチリ!
大久保さんは、これから中国へ出張で成田へ向かった。
そんな忙しい時間をさいて、友達のライブに来るなんて偉い。
遠くの席には、ノリツグさんやリュウスケさんもいる。
みんな、シンパニーの最後のライブに来てくれているんだ。
そして、子供からお年よりまで、老若男女がみんな楽しそうにしている。
最後のライブだから、わざわざ赤阪まで駆けつけてくれたのだろう。

やがて、演奏が始まる。
これで最後の演奏。
シンパニーのメンバーも力が入り、本村さんも熱唱。
聴衆も盛り上がってきた。
前列の人たちは、頭の上に手をかざし、右に左に振り踊り始めた。

ともに共有する感動の空間。
私たちの気持ちも、心地よく昂揚する。
この興奮は、やはり、素敵な演奏をなくしてはありえないこと。
だんだんと、閉演もち近づいてきた。
シンパニーのメンバーも汗グッショリ、遠目にもよくわかる。
本村さんは、今日、何十曲歌ったのだろうか。

それもぜんぶ暗譜でだ。
最後の曲が終わった。
勿論、アンコールの拍手が沸き起こった。
そして、最後の最後の2曲。
演奏が終わるとともに、聴衆から大きな拍手が。
シンパニーのみなさん、楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。
お疲れさま。
男性合唱団と七夕 
2005.07.10
男性合唱団「お江戸コラリアーず」 玄関での見送りの合唱 一番手前が由幸ちゃん
七夕の吹流しが懐かしい 紙芝居、ついつい見ちゃいますね
飴細工、さすがの一言 人間ジュークボックス 大道芸人のジェロニモ
ミルキーウェイのカントリーダンス 不忍の池のハス 弁財天の遠景
由幸ちゃんが友達とやって来た。
「マスターとママさん、今度、男性合唱のコンサートがあるので来てくれませんか」
「そうだね。学生時代、一度も行けなかったから」
「今回はラトビア語で、ソロで歌いますから」
「それじゃ、ぜひとも出かけなければ」
当日は快晴、夏日全開。
春日通りから不忍通りへ抜け、目的地上野「石橋メモリアルホール」
またもや遅刻気味だが、何とか辿り付く。

私のナビゲーションの腕もだいぶ上ったみたいだ。
東上野は七夕祭り。
町内一体が七夕飾りが風にゆれ、大勢の人出で混雑。
駐車場を捜すのが一苦労だ。
捜しあぐねて、やっとの事で見つける。
すでに、開演。
休憩まで、しばし待機。
入場して、空いている席に。
ここに来たのは何年ぶりだろうか。

クラシックギターのコンサートに来て以来だ。
山脇卓也指揮・男性合唱団「お江戸コラリアーず」の第2部が開演。
総勢40人位の大合唱団。
早稲田のグリークラブOBが中心のようだ。
殆どが20歳代。
僅かに、30歳代、40歳代が混じる。
ホールいっぱいに響く男性合唱は生き生きしている。
若者達が真剣に、そして楽しそうに歌っている。
心の躍動が伝わる。
由幸ちゃんが最前列の左で、全員お揃いのタキシード姿。
直立姿勢で歌っている。

他のメンバーは殆どが譜面を手に。
でも、由幸ちゃん他4人位は、全曲を暗譜で。
きっと、このメンバーが中心で活動しているのだろう。
日本の民謡、日本の歌曲、リトアニアやフィンランドの曲まで、全部で16曲。
何曲か、外国の曲は原語で歌っている。
自分たちが好きなことは、いくらでも努力できるのだろう。
みんなで努力し、日々変っていく姿が、楽しくて仕方ないのであろう。
そして、自分たちの努力の集大成を、大勢の聴衆の前で発表できるのは、最高の幸せであろう。
何回かの休憩を挟み、あっという間に閉演の時間の4時がやって来た。
2曲のアンコールで終了。

帰りの劇場ロビー。
合唱団全員が歌う、若々しい声の「ソーラン節」が響き渡る。
多分、玄関で感謝の送り出しをする時、「ご来場ありがとう」の気持から、
自然発生的に、即興で生まれたのだろう。
合唱団全員の温かい感謝の気持が伝わり、とても嬉しいようなほのぼのした気持を貰ったようで楽しい。
ホールを出ると、まだまだ日差しは強い。
私たちは、七夕祭り見物へ。
浅草合羽橋へ向かう道路は七夕飾りで華やぎ、ところ狭しに露天や屋台が出ている。
私は缶ビールを、ママはかき氷を食べながら、人波に流されながら進む。
大道芸のお兄さんも汗だくで芸を披露。

この炎天下、東京都認定の大道芸人、なかなか達者な芸には恐れ入る。
昔懐かしい紙芝居のオジサン、腹掛けスタイルの雨細工のお爺ちゃん。
針金細工の爺ちゃんやら、子供の頃馴染みの様々な露天職人。
キャリア何十年の技はさすがで見事。
江戸の下町職人ここにありだ。
そして、歳に似合わず威勢がよく元気この上ないのがよい。
、20年以上まえ、支配人時代、浅草に仕入れに行く時、よく通った道。
さすが縁日、あの時の静かな商店街が、嘘のような賑わい。
街は何時もこうでなくてはいけない。
懐かしい合羽橋通りに出た。
道具街は昔のままだ。

今の合羽橋の方が、昔よりきっと賑わっているのだろうか。
ぷらぷら合羽橋を歩く。
昔よく顔を出したサンプル屋「まいずる」が見つからない。
私の錯覚なのか。
合成樹脂で作り出す料理のサンプル技術は、日本最高の水準だった。
当時はまだまだ蝋のサンプル。
発色も悪ければ熱にも弱く、色落ちも激しかった。
そこに、「まいつずる」が登場。
サンプル界をリードした。

かつては合羽橋の老舗「サンプルの須藤」も、後塵を拝することに。
蝋のサンプルにたより、合成樹脂の開発が遅れた。
何時の時代も、どの業界も日進月歩。
弱肉強食の世の中。
日々革新、日々変革、そして創造的に前進しなければいけないのであろう。
私も他人事でなく、肝に銘じなくてはと実感。
もうすっかり陽が落ちた。
久しぶりに、上野「たいまる」に行ってトンテキを食べよう。
アメ横通りに面した創業60数年の老舗の名物料理。

発明好き進取の気性にとんだ先代の社長浅岡末次郎氏の傑作料理。
豚の骨付きステーキ。
昔ながらの熱々の鉄板で、シズリング効果溢れる絶品。
ボリュームたっぷりで肉も柔らかく美味。
ドミグラスソースも昔ながらの、さり気なくもコクのある味。
たっぷりと肉にかけて、口に運べば、噛むほどにジューシーな旨味が口内に迸る。
そう、この味、とんかつの発祥地の上野の味だ。
お腹もいっぱいの我々、昔散歩した不忍の池へ。
かつて住んでいたマンションが、今も変らず池の向こうに見える。
池には、ハスの花が今日の名残の花を咲かせていた。

せっかくの料理もだいなし
2005.07.09

21年も大山で夕食を食べてると、さすがに食べるところがなくなる。
わが夕食時間は午後5時から6時の間。
さー、今日は何処で食べるか一思案だ。
行きつけの食堂は閉まっていた。
さて、今日は何処にするか。
当てもなく、とぼとぼと歩く。
だんだんと仕事場に近づく。
速く決めねば。

あそこは昨日行ったし、あそこの店も飽きたし。
そうだ、文化会館近くのあそこの店に決めた。
まだ、オープンしていくばくも経たないはず。
門構えも綺麗だ。
中へ入る。
店はガラーンとしている。
店員の女性の中国訛りのいらっしゃいの声。
私はテーブルに着く。

出されたメニューを見る。
なかなか料理はしっかりしていそうだ。
サイドメニューに定食の一覧。
私はA定食を注文。
暫らくしてテーブルに運ばれてきた。
海の幸のオイスターソース炒めがメインディッシュ。

モンゴウイカ、海老、貝柱、レッドピーマン、筍、椎茸、ねぎが彩りよく、
サクサク、ふっくらと程よい炒めかげんに仕上がっている。
若干塩味が当たる以外は申し分ないか。
陶器の茶碗によそられたご飯も、ジャーの中で少し時間はたっていたのだろうが、
きっと、炊き上がりは、お米がプツプツと立っていたのであろうかと思わせるさま。
具なしスープは薄味で私には少し物足りない感じだが悪くはない。
そして、水菜とクラゲの中華ドレッシングのサラダに、ザワサイの小皿。
量は少ないがこれがシットリと柔らかくて美味しい。
〆て九百円は安い。

私は外の景色でも見ながらゆったりと食事なのだが、一つ問題がある。
私が食事の間、ズーッとホール係りのおばちゃんと顔の見えないコックが、
ペチャペチャペチャとのべつ幕無し、中国語でしゃっべっているではないか。
とにかく煩いこと事この上なし。
私たち飲食業はサービス業。

料理やお酒が美味しいのは当たり前のこと。
来店していただいたお客様に、快適で心地よい飲食空間を提供するのが本来の仕事。
お客様をほったらかしにして、内輪話に興ずるは言語道断。
せっかくの料理も台無しであったのは至極残念。
私たちも気がつかずに、同じ過ちを犯しているのではと自戒。
良きにつけ悪しきにつけ、他の店に行くことはとても勉強になる。