あ!時間が無い!
2005.06.04

ママが叫んだ、「あっ、大変!時間!」
私も驚いて目を醒ます。
時計を見る。
私も、「しまった!時間がない!」
すでに時計は1時15分。
芝居は2時開演だ。
「ママ、とにかく行ってみよう」
これからが我々のすばやい動き。
板橋の端から、大急ぎで六本木の俳優座に向かう。
「あら、ガソリンがない」
「またかよ。仕方ないな」
途中でガソリンを入れ、首都高へ向かう。

料金所へ。
「ママ、ここはETC専用だよ」
「一般もだいじょぶでしょ」
「違うよ。専用って書いてるでしょ」
「あら、本当」
「まったく。少し気を付けてよ」
我々はバックして隣の料金所へ。
不幸中の幸い、後続車がいない。
やれやれ、人騒がせなこと。
ここからは順調に進む。
もうすでに2時、開演時間になってしまった。
なんとか、遅刻は30分くらいでとめたいものだ。

それ以上は失礼というもの。
すいすいと高速を順調に進む。
霞ヶ関で高速を下りればいいようだ。
高速を下りた時はすでに、2時10分。
首都高の下を六本木方面に進む。
アマンドの交差点前の右手に、目的地・俳優座があるはず。
もうすぐそこだ。
何処か、取り敢えずは駐車場を捜さねば。
あらら、もうアマンドが目の前に。
俳優座を見落してしまった。
もう、後戻りはできない。
前に進むだけ。

やっと見つけたパーキングは、かの有名な六本木ヒルズの地下。
車をおいて、俳優座へ。
六本木ヒルズはだだっ広く、ゴチャゴチャしていていささか面食らう。
やっとこさ、六本木通りに出て、アマンド方面に進む。
ここからは、5分位で着くはずだ。
こんな時、私の歩きは速い。
後ろを振り返るとママは遙後方。
待っていると、ママも息せき切って着いてくる。
何時も、車の移動のママは歩きがことのほか弱い。
すでに25分、もう後がない。
交差点の信号に捕まる。
じつにじれったいが、待つしか仕方ない。

さー、青だ。
一目散で俳優座へ。
やっと辿り付いた。
受付の方が案内をしてくれる。
扉をそっと開ける。
客席はぎっしり埋まっていた。
補助席も出ての満杯。
私たちの席がニ席開いているのが目立つ。
お客様に悪いなと思いながらも、自分たちの席へ。
何か目的を達成した様で、ほっと一安心。
暫らくすると、山下さんが登場した。
間に合ってよかった。
あと二回は登場するはず。

熊倉一雄扮する引退間際の老個人タクシーの囲碁仲間の設定だ。
ヒョウヒョウとしてなかなかいい味を出してる。
本人は謙遜していたが、演技が柔らかくふくらみがあってとてもグッド。
さすがに流行作家・水谷龍二の作品だけのことはある。
劇場は笑いの渦だ。
馬鹿笑いではなく、ほくそえむようなクスクス笑いが増殖している感じ。

私たちの世代の笑いには、何時も何処かはにかんで、遠慮するような笑いが多い。
そんな笑いを引き出すためには、それなりの作劇術が必要。
ドラマ「朝の時間」は、昔、テレビがまだ白黒時代のアメリカの、ホームコメディーを見ているようだ。
「パパ大好き」「ルーシーショー」などを思い出した。
久しぶりに、屈託の無い、ほのぼのとした芝居を観て、諦めずに来て良かったとつくず思う。
この芝居はきっとこれで良いのだろうが、作家としては書き足りていなく、少し不本意であろう。
かつて、イギリスにはウェルメイド・プレイとよばれる演劇があった。

訳すと、「上手く作られた演劇」
お客を楽しませる為の作劇術にのっとた芝居。
数学の方程式のように、作劇にのっとて人物とストーリーを展開する。
この方法で書けば、作品の大量生産がきく。
しかし、ドラマのドラマツル-ギーとは、技法ではない。
思想である。
作家が世界を政治を、そして人生を、ドラマの登場人物を通して、観客に伝えるもの。
この一点に関しては「朝の時間」は希薄であったかもしれない。