午後3時前に家を出、環八から甲州街道を下り、一時間余り。 甲州街道沿いに、国立電気通信大学が、学園祭を開いていた。 かつては、全共闘時代、三派全学連の拠点校であったのはつとに有名。 ピーポッポのお客様にも、当時の議長だった人がいる。 大学7年在学、そして除籍処分。 今は、愉快なオジサン社長で、元気とユーモアと機知の権化のような好人物。 大学を過ぎ、すぐの交差点を右に曲がり、暫らく行くと、深大寺に着く。 そろそろ、秋の日は落ち、日が翳り始めた。
まずは、名物の深大寺蕎麦でも食べて、遅い昼飯。 入り口の木戸で、食券を買い求めて席へ。 時間が時間、店内はまばら。 でも、昼時の盛況な余韻を残し、持ち運びのおばちゃんたちには、 忙しく動き回った後の心地よい疲労感を、うっすらと漂わせながらも、 やり遂げた達成感に満ちているようで、気持ちさそうにたち働いている。 私達はせいろ蕎麦を注文。 ぼーと、あたりを眺めながら暫し。 蕎麦がやってきた。 蕎麦猪口にそばつゆを注ぎ、薬味とねぎを加え、蕎麦をズルリ。 そばつゆは辛めで、蕎麦もツルリとして、なかなか腰もシッカリしていける。 名物に美味いもの無しとよく言うが、なかなか捨てたものでもない。 昔来た時も食べているのに、記憶にないのはどうしたことか。 蕎麦湯を猪口に、お薬味の七色を加えて飲む。 甘酒を濾したようにどっしりとして、これが又なかなかいける。 小腹を整え、閑散とした駐車場に、車はそっと置きっぱなしにさせて貰い、いよいよ散策へ。 日はだいぶ傾きかけている。 すずめのお宿のようなお蕎麦屋さん 境内に続く参道の土産物屋も、そろそろ後かたずけの気配。 昼時は、ごった返したであろう、軒を並べた蕎麦屋も、今はがらんとしている。 てくてくと参道を進むと、懐かしい山門に出た。 小学生の遠足で、写真撮った懐かしい階段。 記憶していた階段より、勾配もなだらかで、以外に低い。 子供の視線と大人の視線で大いに違うのであろう。 階段を登り、山門を潜ると、山門の大きな扉が、ギギギーと閉められた。 あと一歩のところで、締め出されるところ。 「なんか、俺の人生みたいだな。何時もすれすれでセーフ」 「アウトじゃないから、良いんじゃない」 山門を潜るママ 境内の炊き出されているお線香の煙を、腰や頭に振りかける。 ママは、お腹のあたりに。 お寺様に賽銭を投げ入れ、両手を神妙に合わせる。 すでに、すっかり日も落ちあたりは薄暗くなってきた。 ぷらりぷらり辺りを逍遙。 秋の夜気も冷たく感じられる。 深大寺の裏道になるのだろうか、下り坂のアスファルトには、 風にまかれて落ち葉が、カサカサと音を残しながら飛び去る。 参道の店は、さすがに夕暮れ時、何処の店も後かたづけ。 私達も車に戻り、深大寺を後に。
「何も予定もないし。行こうか」 深大寺から、甲州街道を登り、仙川から千歳に向かう。 調布のお隣の世田谷区千歳辺りはすぐだ。 仙川から入って、経堂に向かう一本道のはずが、途中で何故か迷う。 もう一度、甲州街道に出て仕切りなおし。 今度は、烏山を越し、懐かしの芦花公園から、粕谷へ。 昔通った馴染みの道、まだ昔の面影を残すから不思議。 十分もしないで、粕谷町一丁目一番地、私の育ったところに到着。 交差点には、かつては木造2階建ての農協が、ドーンとビルディングに変貌。 私達が遊んだ原っぱは、青山学院の理工学部のキャンパスになったようだが、すでに今はなし。 再開発でマンション建築の真っ盛り。 ついでに、都立千歳高校の近くのかつての遊び仲間の家を尋ねてみる。 やはり、40年以上の歳月、既に引っ越していないようだった。 都立千歳高校も、驚いたことに、都立芦花公園高校に名前が変っていた。 母校、世田谷区立千歳中学と塚戸小学校を尋ねてみたが、 当たり前のことながら、昔のままの佇まいで存在していて何故か一安心。 きょうの、紅葉かりに始まり、慌しくも廻った一日、最後の〆。 帰りがてら、千歳船橋の母校都立千歳が丘でも尋ねてみるか。 |