小さな旅&日記


恣意や偶然が歴史をつくることもある
1/22<木>

昼の陽だまりにホンワカとあたっていると、もうとてもウトウト気分、
気持がよくて、何時までも動きたくなくなりますね。
でも、陽が落ちると、さすがに風も冷たく、両耳は氷のようにツーンッと凍るようである。
さすが、21日の大寒を過ぎただけあって、一年で一番寒い季節を迎えたのだから、至極当然。
これから一ヶ月、厳しい寒さと向かいあわなければと思うと、少し気が重い。
でも、子供の頃に比べれば、日本も温暖化していることは一目瞭然、
厳しかった冬もとても凌ぎやすくなっている。

今年は閏年、そしてアテネ・オリンピックの年。
そして、アテネはマラソンの発祥の地でもある。
ギリシャに攻め込んだのはペルシャ軍、劣勢を覆し勝利したのはギリシャ軍。
ギリシャ軍の戦勝報告のため、いっきにマラトンからアテネまで走り抜き、
勝利を伝え、息絶えたと言う兵士フェイデピドスの故事は、紀元前490年とされる。
第一回のオリンピックは、かの有名なクーベルタン男爵の提唱により開催。
ギリシャの故事にちなんで、マラソンも正式種目となる。

しかし、現在と違って、距離はいたって大雑把、約40キロメートルであった。
優勝したのは、地元ギリシャのスピリドン・ルイス。
「ネニキカメン!ネニキカメン!<我々は勝った>」
競技場の観衆の歓呼の嵐で迎えられたのは勿論である。
オーバー・ペースがたたり先行の走者は途中脱落。
ルイスは村人に振舞われた酒をグイグイと飲み、いっきに加速、大逆転勝利。
時間は2時間58分50秒のレコード。
バーテンダーとしては、村人に振舞われた酒が何であったのか気になるところ。

多分、陶器の甕アンフォラに入れられた、海水で割った赤ワインだと想像するが、
近じか正確を期して、調べてみるつもりだ。
現在の距離になったのは、第4回ロンドン大会から。
はじめは、ウィンザー城から競技場まだの距離は41.843キロメートル、ちょうど26マイルであった。
ロイヤルボックスから、ゴールの瞬間が見にくいということで、ゴール位置を移動した結果、
現在の42.195キロメートルとなる。
何処の国でも、王侯貴族や権力者の身勝手な恣意により、物事が捻じ曲げられると言う事はよくある話しで、
また、そんな偶然や恣意により、伝統や文化の起源が誕生し、
連綿と継承されると言うことも、また歴史上の事実である。


正月七日は、げに急がしや。
1/7<水>

今年こそは明るいうちに、お飾りを神社に納めねばと、ひっしの思いで、
家のお飾りを外し、無病息災・家内安全の思いを込めた、
古い御守りも入れ、新聞紙に包み、まずは近くの北野神社に納めに出かける。
境内に入り、まずはお清めの水で気持も新た、
神妙な気持で、お炊き上げの納所に納める。
一礼をし、大鈴をガラガラとならし、祝詞を心の中で黙唱。
拍手をパチーンパチーと打ち、合掌。
勝手にも、無病息災・家内安全を祈る。

さては、第一段階は終了。
早く店に辿り付き、第二ステージを開始せねば。
やっとのことで店に。
まだ外は明るい、店のスタンバイをそこそこに済まし、
お飾りを外し、新聞紙に包み、自転車で子易神社へ直行。
そろそろ、陽が落ちてきた。
落ち始めたら、今時の陽はストーンと落ちる、急がねば。
神社の裏階段を足早に上がり、何とか間にあった。
陽は落ちかけてはいるが、まだ薄暮状態、滑り込みセーフ。
やはり、お飾りは明るい内に納めなければと自己満足。

杓子で両手を清め、お賽銭を上げ、鈴をジャンジャンと鳴らし、
祝詞を唱え、前回と思いも同じく、我ながら、勝手なものだと思いながらも、
神聖な気分で、またもや合掌。
今日からが本当の仕事始め。
床屋に行って、少し伸びた頭を刈って、こざっぱりとしてみよう。
時間もないけど、あそこならOKだ。
たしか、10分もあれば済むと聞いた。
少し待つと、私の番が来た。
「短めに刈ってください」
「スポーツ刈りにしますか」
「いえ、このままでうんと短くお願いします」
「わかりました」
確かに早い。

様々な電気バリカンで刈り上げ、仕上げはハサミでチョキチョキ、あっという間に出来上がり。
これは面倒がなく、セッカチな私にはピッタシカンカン。
テキパキ、チョキチョキの女房の床屋さんも良いけど、
19年ぶりの床屋さんも捨てたものじゃない。
さー、頭もスカスカセイセイ、気分も最高。
開店まで後わずか。
「てんや」で七草粥には、「七福てんぷら定食」だよなとこじつけ、サクサク食べ終わる。
やっとの事で開店セーフと相成る、なんとも慌しい一日であった。
もっと早く起きればよいだけの事なのだが、
どうしてこうもあたふたと、時間に追われてしまうものやら、
何時もながら、我ながら情けなくなる。