小さな旅&日記


秩父の短い夏休み 
04.8.14-16

秩父の象徴武甲山 ママの実家の帰り道の景色
ピーポッポの短い夏休み。
例年のことで、お盆は秩父で過ごす。
東京をお昼過ぎに出かければ、目的地には夕方につく。
日が落ちて暗くなる頃は、そろそろ私のアルコールタイム。
行きすがりの酒屋で酒を買い、助手席でゴクリゴクリとビールを飲む。
暗くなるまでは、何がおこるか分からないので、一応ナビゲーターのお勤めを果たすため酒は控えてるつもり。
埼玉に入り秩父に近づけば、ママの故郷、黙っていても連れて行ってもらえる。
目的地に着いた頃は、夕闇も深く、遠くの山から蝉の声がジーッと響いてくる。
そして、正月以来の再会、楽しい酒盛りが始まる。
前日の寝不足が応え、秩父の地酒武甲正宗が程よく心地よくきいて、
12時前には睡眠、熟睡で無事人様に迷惑かけることも無く初日が終わった。
この位で酒を控えれば、皆にいい酒だね、楽しい人だね、愉快でいい人だねと言われるのだが。
こんなことがなかなか出来ないのが、私達の世代特有のドロドログチャグチャのんべい化現象。
二日目、せっかく秩父に出かけてきたのだから、両神山にぜひとも出かけたいもの。
埼玉と群馬の県境、標高は驚く無かれ、約1900メートル近くはある。
一度は登山してみたいものだが、しっかりと計画をたて、初心者は何人かで登山しなければとても無理な高峰。
今日のところは、車で行けるところまで行ってみよう。
大体は秩父の実家の人に聞いて、私が頼りないナビゲーターを勤め出発。
地図的には、ママの実家の小鹿野町の隣に位置している。
町を抜けて、両神山に続く県道をひたすら突き進む。
遠くに秩父連峰がドッカリと、来れるものなら、さーいらっしゃいとばかりに控えている。
多分、あの峰の向こうに埼玉一の高峰、両神山があるはず。
一路、グイーグイーンとエンジン音を響かせながら、登り坂を進む。
だんだんと山も深くなり、さすがにめっきり民家も少なくなってきた。
このあたりに住む人たち、今はモータリゼーションも発達したからいいようなものだが、
昔は大変に不便極まりない、まさに人も通わぬ陸の孤島のようなところだったのだろうと勝手な想像。
人間って、なんて凄い生命力をもっているのだろうなんていたく感心する。
天気もだいぶ回復して、雲間からカーッと日がさし始め、好天気になった。
車はずんずんと山間の道をひた走る。
ますます細くなってきた一本道、対向車でも来たら如何しようなんて少し心細くなる。
道の左には鬱蒼とした切り開かれた崖が、覆い被さるように迫る。
右手は切り立った断崖、落ちたらそれこそ大変。
杉や檜の木々の合間から、点在する民家の屋根だけが、遠慮しながら顔を出す。
このあたりは、昼日中でも、太陽が差し込まず、一日中電気を灯しているいるのだろうか。
村の名前も日陰村で、私は大いに納得。
つづら折れの山道を、だいぶ車で上ってきたのだろか。
車の冷房も切り、窓を明ければ、山の霊気で少し寒いほどだ。
クネクネと蛇行する狭い山道を、対向車を心配しながら上る。
さすがにこの辺りになると民家は殆どなくなってきた。
もう、両神山の登山口まで後わずかなはず。

両神山近くの鱒釣り場
左手前方に、渓谷が顔を出した。
川の水量は少ないが、遠目にも透き通っているのがはっきりと分る。
家族連れが何組も、釣り糸を垂れている。
鱒の釣堀のようだ。
薄井鱒釣り場と看板に書かれていた。
時間があったら、帰りはチョコッと覗いてみるとしよう。
私達は、渓谷沿いにエンジンを唸らせながら登ると、そこには両神山駐車場があった。
切り立った崖の頂を見ると、山荘が崖に乗り出してるように見える。
舗装された道が駐車場の先に続く。
多分、この道を登れば山荘に程なく辿り付くのだろう。
「ママ、あそこまで上る?」
「私、此処で待ってる」
いつもの事で、自分の気の向かないことにまったく無関心の、そっけなさ。
私だけが出掛ける事に。
とぼとぼと上っていくと、思ったとおり、私道の道々に、泊り客の車が停めてあり、山荘があった。
階段を上り、玄関に。
「こんにちは。泊りじゃないですけど、少し此処で山でも見てていいですか」
玄関前の洗濯機で洗濯仕事の山荘の女将さん、「どうぞ遠慮なく」
玄関前のテラスから見渡す秩父の山々が陽光に輝き美しい。
澄み切った空気、山々の緑、陽光は肌を刺すように強いが、何故か優しく気持いい。
「此処はチョコチョコテレビなどに出てきますよね。この前も、NHKの(昼時日本列島)で見ました」
「どうぞ、中に入って見てください。ほら、あの囲炉裏と自在鍵が出てきたでしょ」
中に入ると、山荘の人たちが座敷のテーブルを囲んで休んでいた。
お邪魔しますとチョコンと挨拶をしたら、ニコッと人懐こく気さくに返してくれた。
やはり、地方の人はノンビリと人懐こく、すぐに挨拶を返してくれるのが嬉しい。
女将さんと雑談でも交わしていると、十数年前の御巣鷹山の日航機の墜落の話しになった。
「あの時は大変でした。一日中電話が鳴りっぱなしで」
「そう、あの時は、私も秩父に来ていて、朝からずっと秩父の山脈を見てたら、
次から次へヘリコプターが低空飛行、山を越して群馬方面へ飛んでいくのでビックリしました」
「最初の電話の時点では、まだ、何処に落ちたか分らない。
多分この山荘の近くのようだから、何か変った事が無かったかの問い合わせ。とにかくひっきりなしでした」
暫らく、取り止めの無い雑談に付き合ってもらい、山荘を後にする。
「いつか、この山荘で一泊して、早朝ぜひ、山頂まで登ってみたいですね。その時はよろしくお願いします」
帰りの道は、狭くて急な下の駐車場に続く、昔ながらの下山道を降りる。
ママは車の中で、地図を見ていた。
今日の取り敢えずの目的は達成、いよいよ秩父へ帰還。
途中、鱒の釣り場で一休みして小鹿野町へ。
まだまだ、時間はたくさんある。
困民党が蜂起した椋神社 椋神社横のお堂
「ママ、秩父困民党事件の椋神社へ行ってみない」
「そうね、まだ早いし」
とろとろとクネクネした一本道を下ると、何故か行きより帰りはすんなり早い気がする。
ますます天気は上々、驚くほどの好天気になった。
小鹿野町から吉田町へ、何時ものヘボなナビーゲーター、少し道に迷うが椋神社に到着。
20年以上前にも来たことがある筈なのだが、ぜんぜん覚えていない。
人間の記憶なんてあてにならないものだ。
去年から今年にかけて、秩父困民党事件の映画「草の乱」の撮影があった。
勿論、椋神社も登場する。
1884年、明治17年11月、貧民の救済のために、吉田町の勇士を中心に組織された、
日本近代史上初の農民蜂起である。
貧民を救うため、借金の10年据え置きと40年年賦。
学校の一時休校。
諸税の減免。
椋神社での武装蜂起には4000人から5000人の農民達が集結。
5か条の厳しい軍律を定め、一般の住民に危害を加える事には厳罰でのぞんだ。
あっという間に、秩父を制圧するが、政府軍の本格的な掃討作戦にあい、次々に敗走。
信州に転戦し、敗走した残党が東馬流の戦闘を最後に壊滅する。
秩父の人々には、もと氏族ではあるが、農民になった人たちも多かったらしい。
子供達への読み書きなどの教育にも熱心で、社会の正義や不正義に対しての認識も深い。
ひとたび、社会の悪や不正義に立ち向かう時の義憤とエネルギーには、伝統的に凄まじいものがある。
だから、秩父困民党事件の蜂起参加者が8000人という膨大な数に上ったのであろう。
秩父地方の当時の全人口から見れば、恐ろしいほどの人数である。
ブラブラと境内を散歩するが今日は、まだまだ時間がある。
ついでにといったら失礼だが、さらに秩父の札所でも回ることにした。
秩父の札所を2つばかりまわったところで、日が少しずつ傾いてきた。
そろそろ、帰って、近くの温泉でユックリ浸かることにする。
薬湯につかり、外の露天風呂から眺める、小鹿野町の鄙びた山間の村を眺めると、
なぜか、失われつつある日本の懐かしい風景に囲まれているようで気持が癒される。
そして、風呂上り、休憩所で食べた、鮎の稚魚の天麩羅と生ビール、
秩父の地ビールもギューッと五臓六腑にしみわたり、長くて楽しい一日が暮れた。

帰りに寄った札所33番
曹洞宗延命山菊水寺とママ