小さな旅&日記


大洗海岸へ
大洗海岸サンビ-チーチ 磯前神社 磯前神社前の海岸
7/25(日)
今日は快晴。
よし、予定通り海へ行こう。
3年半前に行った、大洗海岸へ今から直行だ。
時間はまだ正午、常磐道を一気に北上。
平均時速140キロ、快適に車は突き進む。
何度か通った常磐道、友部インターから、北関東自動車道を抜け、
道を間違えることも無く、すんなりと大洗海岸サンビーチに出る。
空にはどでかい入道雲、そして広くどこまでも青い太平洋が目の前に広がる。
すでに駐車場は満車状態だが、かろうじて駐車OK。
東京の外れの板橋から、一時間超で到着とは吃驚仰天。
現代は距離ではなく、車の便が物を言う時代だ。
すぐさま前の海の家へ。
すでに、海から引き上げている人たちもちらほら。
以外なことに、海水浴の人たちが少ないような気がする。
おばちゃんが茨城訛りで「何人だっぺ?」
にこりとしながら、しり上がりの発音。
「2人」
「それじゃまー、一人800円のところ、700円でいいっぺ」
たとえ100円でも、えらく嬉しく、田舎の情をホロリと感じる。
早速、私は着替え、まずは腹ごしらえ。
昔懐かしい、醤油ラーメンを食べる。
場所が場所だけに、味も味覚もヘッタクリも無い。
腹に入れば全て美味い。
腹ごしらえも終わり浜へ。
ママは海辺で椅子に座って日光浴。
私は久々の海水浴だ。
波は穏か、海岸は遠浅、海水浴客は程ほど、そして快晴、申し分なし。
海で泳ぐのは本当に久しい。
やはり、当たり前のことだが、海水はショッパイ。
あまり泳ぎすぎると、足でもつったら大変。
歳相応の運動量で切り上げ、浜で日光浴。
肌に強い真夏の陽光が容赦なく照りつける。
咽喉も渇き始めた。
缶ビールを買いに浜辺の売店へ。
ママには緑茶、私はゴクリゴクリとビールを飲み干す。
浜風に吹かれ、潮騒を聞きながら、果てしなく広がる雄大な海と空を眺めながらのビールは最高!
「ママ、悪いけど、もう一缶頼む」
二缶飲み干して海へ。
やがて、空が一気に掻き曇り、不穏な空模様。
雨がポツリポツリやってきた。
ママは椅子を持って、海の家に退散。
私は海へ。
やがて、暗雲を切り裂くように、陽光がサーッとさし始めた。
でも、さすがにもう、以前の輝きはない。
海辺の海水浴客もまばらになり始めた。
ママが迎えに来た。
「海の家、そろそろ終わりだって」
海から上って、近くを探索。
そろそろ、日も少し傾き始めた。
防波堤では、のんびり釣り糸を垂れている。
どの釣り人も釣果はないようだ。
そうだ、この前行った時は、既に日が落ちて真っ暗だった、磯前神社に行ってみよう。
大きな鳥居の交差点から神社の参道へ。
深い樹叢に囲まれた参道を登ると、神社の境内の入り口に着く。
駐車場は既にチェーンがかけられ、閉まっていた。
路肩に車を寄せて、境内へ。
砂利石をギュッギュッと踏みしめながら本堂へ。
今日はまだまだ明るい。
お賽銭を上げ、二礼ニ拍手一礼、神道の書式に則り柏手。
此処から見た、急峻な階段の彼方に見る、大洗の夜の海の輝きも、素晴らしく壮大だが、
真夏の残光に輝く、今日の黄昏時の太平洋は感動ものだ。
幾星霜、海に出かける漁師の無事を、漁師の女将達が此処から祈願したことであろうか。
上から見ると、あまりの階段の勾配で目がくらむほどだ。
階段を下りて、道路を跨いで、海岸に出る。
浜は石ころだらけ、そして岩場が広がり、波が砕けては散り、波飛沫。
海岸に接するホテルには、この時季稼ぎ時のはずなのに、
人影も無く、廃墟のようで寂しい限り。
浜辺にも、私達以外、人気が無い。
ママは貝殻を探しているが、何処にも見当たらず、綺麗な色とりどりの石を手に。
そろそろ、日も暮れ始め、海の色も暗色を濃くし始めた。
さて、これから美味い肴でも食べに出かけよう。
この前、偶然にも見つけた地元漁師推奨「土瓶」に出かけよう。
上手く見つけられると良いのだが。
磯前神社の大鳥居を抜け、くるりと商店街を回ると、いとも簡単に見つかった。
こんな近くにあったとは驚き。
ラッキーなことに、駐車場が一台分空いていた。
車を停めて中へ。
カウンター席が空いている。
「此処、良いですか」
「どうぞどうぞ」
お客さまが、茨城訛りで、笑顔で迎えてくれた。
この前の時も、この席だった。
懐かしい。
とりあえずは生ビールを注文。
勿論、ママはソフトドリンク、緑茶をオーダー。
黒板に今日のお奨めのメニューがたくさん書かれている。
隣のお客様に「今は何が美味しいですかね」
「秋刀魚ダッペ、焼いても刺身でもいいっぺ」
早速、両方を注文。
キラキラ輝いて透き通るような刺身。
醤油に山葵と生姜、どちらで食べても美味い。
やがて、塩焼きが登場。
丸まると太って、腹のあたりははちきれそうに膨れ、
強火の遠火でこんがりと焼き色も綺麗だ。
身をほぐし、大根おろしに醤油をかけ食べる。
今朝取れたての秋刀魚は違う。
内臓もコリコリ、噛むとブチュッと口に甘苦く広がる。
「この前来たときは、太刀魚を食べたんですがね。脂が乗って美味かったですね」
「太刀魚、秋だね。まだ上らないだっぺ」
「太刀魚の身、あんなに厚いとは驚きました」
「今の時期、赤いかもいけるッペ」
勿論、親父さんにオーダー。
透き通るように白いいかが刺身で出てきた。
山葵醤油で食べる。
ツルリとした食感、噛むとプチュッ甘みが広がる。
すぐ隣り合わせの大洗の地酒、サラサラとした柔らかな酒質、
月の井を飲みながら食べる地魚はやはり絶品。
次々に黒板のメニューを胃袋へ。
東風の刺身も注文。
生簀から網で掬い上げてられた姿は、
鯰のようで見栄えは悪いが、見かけと違って、
上品な白身のサッパリした食感が心地よく堪らない。
「ドンコもうまいっぺ、食べてみろ」
「親父さん、煮付けでよろしく」
ドンコは親父さんがウッカリ焦がして大失敗。
「わりいっぺ。作り直すけど待ってくれぺ」
「いいですよ、別に急ぎませんから」
生簀で網を入れた親父さん、「これ、こんなにでかいけど如何スッペ」
「ちょっと、大きすぎるね。次の機会にお願い」
残念至極、ドンコは幻になったが、これもご愛嬌。
「岩がきを食べてみっろ。うまいっぺさ」
注文して出てきた岩がき、一キロはあろうかと思えるほどのでかさにビックリ!
身はドデーンと殻の真ん中に鎮座している。
ふっくらつるつるはちきれんばかりに光っている。
ポン酢醤油で口のなかへ。
噛んで切るまでに一瞬の時が経過するようで、なんとも牡蠣身が厚く、
もっちりと食べ応えがある。
噛んだ瞬間、口の中に大洗の磯の香りが広がるようだ。
「親父さん、この殻持ち帰って良いですかね」
「いいっぺさ。こんなの小さい方だっペ」
親父さんは、調理場から出てきて、裏から大きな殻を持って来てくれた。
「まだまだ大きなやつあるっペが、これもって行けっペ」
「親父さん、ありがとう。店に飾っておきます」
酒も大いに飲み、浜の料理も充分に堪能。
回りのお客様達とも大いに談笑盛り上がる。
お隣の楽しいご夫婦とも懇意になる。
昔からの大洗の漁師さんで、60を過ぎてもバリバリの現役。
どんな荒海にも負けない、声にも表情にも身のこなしにもパワーが感じられる。
漁船や漁の面白い話しを聞かせてもらうとともに、漁船に乗せてもらう約束までしてもらった。
「今、海岸の家、俺達2人だけだっぺ、何時でも遊びにこいっぺさ」
「遠慮なしで図々しいほうですから、ほんとうに、お邪魔しちゃいますよ」
「いーといーともペっさ。そして、漁船で沖にいくっぺ」
奥さんに、家の住所を手帳に書いてもらった。
愉快で楽しい大洗の夜は、あっという間に更けてしまった。
「東京さ気を付けて帰るッペ」
「お邪魔しました。ご馳走様。また来ます」
地酒に地元の旬の魚、そして楽しい地元の人たちとの交流は最高の贈り物。?

7/14<水>

大相撲は、今日から後半戦。
全勝の横綱朝青龍と、今場所2桁勝利で大関カンバックの期待がかかる、
現在2敗の関脇栃東の大一番が、結びに控える。
板橋区役所前で地下鉄を降りると、既に5時45分。
急いで行きつけの蕎麦屋へ直行。
店に着いたとき、呼び出しが両者を呼び上げたところ。
滑り込みセーフ。
注文を済ませ、テレビで大相撲観戦。
仕切りが進み、いよいよ決戦の時が来た。
何時もの如く、朝青龍は相手を威嚇するかのように、じっと凝視し、栃東を睨み付ける。
栃東は淡々としたもの、相手の視線を無視するかのよう、無心で仕切り両手をつく。
両者、綺麗に一度で立ち上がる。
出足すばやく、栃東が朝青龍の左をおっつけ、土俵に追い詰める。
朝青龍も懸命に土俵際で踏ん張り、右に回りこむ。
強烈な栃東の右からのおっつけ、朝青龍堪らず土俵に手をつき1回転、栃東の見事な完勝。
土俵には座布団が雨あられのように飛び交う。
お店のお姉さんも、裏の職人さん達へ「朝青龍、負けた負けた!」と報告。
職人さんたちも、テレビの前へ。
朝青龍は、いまや完全に敵役。
朝青龍が強すぎるのか、他の日本人の力士がだらしないのかよく分らないが、
朝青龍が、日本の相撲ファンにとって、役割は悪役そのものになってしまったのは確か。
かつて、外国人の横綱も2人いた。
しかし、愛されこそすれ、これほどまでに憎まれることは無かった。
朝青龍があまりにも強すぎるだけの理由だけではないはず。
朝青龍の相撲に対する姿勢、稽古量は驚くほどで、自分から稽古相手を探しに、他の部屋に出稽古に行くそうだ。
そして、おのれの天賦の才能に磨きをかけ、最強の横綱になって、引き受けた役回りが敵役とはなんとも皮肉。
あの精悍な面魂を、日本人が潜在的に求める力士像とは、
大きくかけ離れていることに起因しているのかもしれない。
相撲は格闘技では決してなく、心技体を重んじる相撲道の最高の体現者が横綱。
横綱の姿のなかに、日本人は大和民族の花、美学を見ようとしている。
決して、朝青龍の「顔」の問題だけではない、もっともっと深い問題が潜んでいるのかもしれない。