ランボーとアブサン
ARTHUR RIMBAUD
<1854−1891アルチュール ランボー>

あわれなものおもい
いくらか金がふところにはいり
僕の憂慮がすこし収まったら、北の国へでもいってみようか。
それともぶどうの実たわわな南の国か。
渇きのコメディー
わしらは、親の、その親だ。そのまた先の親達だ!
お月さんと、草っ葉の、つゆのしずくにぬれてきた。
こころのこもったこの手酒。
いつわりなしに、この世の中で
人間なにをせにゃならぬのか?そりゃ、飲むことさ。
<金子 光晴 訳>

ランボーが詩を書いていたのは、16歳から19歳の間と言われています。
大詩人のヴェルレーヌに出会い、奇妙な共同生活を始め、
そして「地獄の季節」を完成するとともに、生涯筆を絶ち、芸術と決別をした。
早熟で、大酒酒飲みで、なお且つ乱暴者のランボーは、
毎日浴びるように、アブサンを飲んでいたのである。
1890年代のフランスの芸術家達は、毎日アブサンに触発されながら、
歴史的な作品を創作していたようである。
世紀末のキャバレーは、アブサンを飲み明かす芸術家達で百花繚乱であった。
アールヌーボーも、ダダもすぐそこまで来ていた。

ABSENTE<アブサン>
アブサンはニガヨモギを主成分にして、15種類くらいのハーブを、ブランデーに深沈し
、蒸留して作った酒です。
ニガヨモギの成分あるアブシンティームが、マリファナの成分thcとよく似ている事から、
常習性を持ち、幻覚、錯乱、痙攣、更に自殺や狂気に駆り立てると考えられ、
フランスでは1915年に、製造禁止になった。
当時のアルコールの度数は、なんと68度もあったそうである。
しかし、1730年代に、医師オルディネールにより作られた時は、
解熱剤としてのれっきとした薬であった。
ジン、アンゴスティラビターをはじめ、最初は薬だったものが、一人歩きをして、
お酒になったものが、なんと多いのでしょうか。