マスター&ママの小さな旅
静岡県伊東市&神奈川県江ノ島を訪ねて

2020年12月21日(日)ー22日(月)

12月20日の早朝、静岡県の伊東へ出かけた。
途中、熱海と伊東の中間あたりにある、フリーマーケットへ立ち寄る。
2年前になるだろうか、偶然にこのフリーマーケットを見つけ、立ち寄った。

海岸線に沿って立つ広場に、たくさんの出店があった。
パフォーマンススペースでは、ミュージシャンが、懐かしいポップスを、演奏していた。
その前に、たくさんの屋台が並び、軽食を売っている。

前回はここで、腕時計を買った。
今回もぶらりと、マーケットを散策する。
早朝で少し寒いが、相模湾は陽光で、輝いていた。

マーケットの途中、フランス人が、骨董や小物を売っていた。
その中に、懐かしいポスターが、並んでいた。
ポスターを見ていると、フランス人の主人が、近づいてきた。

私は主人に、同じようなポスターを売っていた、フィリップという、フランス人を知っているといった。
当時、池袋のサンシャイン通りで、ポスターやアメリカ製の車のナンバーなど、商っていた。
すると主人は、そのフランス人を、知ってるという。

私は「フィリップは、ブリュターニュ出身で、医学部を中退していた」と。
すると「フィリップと会ったのは、だいぶ昔のことでしょう」と主人。
「25年くらい前かな、たぶん」

「そうでしょう、私も20年くらい、会っていないから」と。
不思議なものだ、東京から離れた、熱海の近くで、こんなことが起きるとは。
主人と別れ、フリーマーケットで、小物やミカンを買い、伊東へ向かった。

ホテルに午前11時頃に着いた。
駐車場に車を置き、フロントで手続きをする。
そして伊東の商店街のキネマ通りへ行く。
 
このアーケドを歩くのも、何度目であろうか。
日曜日だというのに、人影が無い。
歩いて行くと、商店街はシャッターを下ろし、開いてる店の方が少ない。

さらに閉店している店も、数軒あった。
前回来た時は、アーケードに、露店が出て、もう少し活気があった。
コロナの影響なのだろうか?

熱海は行くたびに、復活し賑やかになっている。
ひと昔前、熱海に行くたび、その荒廃した姿に、愕然としたものである。
かつては新婚旅行のメッカであり、団体旅行が押し寄せていたのに。

それが新幹線の開通とともに、少しづつ凋落し始めた。
そして20年くらい前は、至るところ、巨大ホテルの廃墟の山であった。
現在、熱海にホテルの残骸は、ほとんど皆無である。

熱海は東京から近い。
そして昔の温泉場の風情とと、豪華ホテルの情趣が混じり合っている。
そんなところに、若者や熟年の人たちが、再評価しているるのであろう。

しかし熱海から、車で30分くらいの、伊東は如何にしたことか?
キネマ通りを抜け、湯の花通りに出る。
入り口のお地蔵様が、迎えてくれた。

狭い路地の通りには、居酒屋や食事処、お土産屋などが立ち並ぶ。
さすがにここには、先ほどより観光客がいたが、閑散としていた。
やはりコロナのせいで、観光客が急減しているのだろうか?

それにしても、通りに活気が無い。
閉店した店舗が、かなり目につき、貸店舗の貼紙が、無惨である。
途中、前回も立ち寄った酒屋で、地酒を購入する。

そろそろ12時半である。
伊東駅にある、観光センターへ行く。
最近ママが好きな、フレンチのランチメニューのある、レストランを紹介してもらう。

駅から真っ直ぐに伸びる、いちょう通りを、しばらく行くと、「ビストロにゅう」があった。
そこは私たちがが投宿する、ホテルから近いところにあった。
ドアーを開けると、お客様はいなかった。

テーブルに着くと、検温をし、名前と連絡先を書いた。
やがて若者たちが、3人で入店してきた。
ゆっくり食事をすると、午後1時を過ぎている。

ホテルのチェックインは2時である。
店を出て、ホテルにチェックインした。
ウェルカムドリンクを飲みながら、ロビーで時間待ちをした。

そして2時になり、5階の部屋へ直行した。
部屋の下には、横川が流れ、シラサギや、水鳥が泳いでいた。
そのかなたに、伊豆の稜線が、陽光に輝いていた。

部屋で一休みして、4階にある温泉に出かけた。
広い浴場に人影はなく、ゆったりと湯船に浸かる。
柔らかな無色透明の湯は、肌を撫でるように浸みる。

8本の源泉を持つ、湯量豊富な弱アルカリ性の湯が、一日の旅の疲れを流してくれた。
目をつぶり、湯味を愉しむ。
湯口から、源泉かけ流しの湯音が、心地よく響いた。

夕食を済まし、部屋に戻る。
窓辺の椅子に座り、地酒を味わいながら、旅情を愉しんだ。
翌日、朝風呂を浴び、朝食を済まし、チェックアウトする。

伊豆は数えきれないほど、出かけている。
観光で出かけるところもない。
このところ、殆どがホテルへ直行直帰の旅である。

まさに温泉を愉しむだけの旅で、のんびりできるのが良い。
帰りはどこにも立ち寄らず、まっすぐ帰ることにした。
伊東からの帰路は、ゆっくりと熱海ビーチスラインを下る。

右手に駿河湾が広がり、きらきらと陽光に輝いていた。
湯河原を越し、真鶴ブルーラインを走っていると、ママが提案した。
西湘バイパスから、江ノ島へ行こうと。

久々の江ノ島行きで、私は賛成し、江の島へ向かう。
石橋ICから西湘バイパスを行く。
相模湾が右手に、大きく広がる。

昨日も今日も快晴の、ドライブ日和だ。
紺碧な海が、果てしなく広がる。
西湘二宮ICで、西湘バイパスを降りる。

しばらく行くと平塚に着く。
橋を渡ると左手に、ファミリーレストラン・デニーズがある。
このレストランの裏辺りに、店のお客様の実家がある。

そしてさらに茅ケ崎に向かう。
左右に防風林が広がる。
かつてこの道を、何度、走ったことであろうか。

かつては、厚木の墓参りのあと、寒川から平塚へ出て、江の島へ行ったものである。
茅ケ崎から江の島は、となり合わせのようなものだ。
やがて前方に江の島が見えた。

海に面した道路に、瀟洒な店が並んでいた。
江の島へ続く橋を渡り、江の島へ到着した。
およそ2時間の行程であった。

伊東と江の島が近いことを、今さらながら実感した。
市営の駐車場に車を置き、江の島散策に出かけた。
青銅の大鳥居をくぐり、懐かしい弁財天仲見世通りをゆく。

少し上り坂の狭い参道を、土産物屋や飲食店が並ぶ。
さすがに江戸時代からの観光地は、活気がある。
だがやはりコロナの影響であろうか。

何時もなら、人で溢れる参道の人出は少なかった。
やがて
江島神社の、瑞心門 の前を通り、エスカーへ行く。
大人料金1人360円を払い中へ。
 
昭和34年(1959年)に完成した、4連結のエレベータに乗る。
高低差46メートル、全長106メートル、4分ほどで登り切る。
やがて辺津宮に到着した。
 
社殿に行き、手を合わせ、今年何とか、無事に過ごしたことに感謝し、
よき年が訪れるとをと祈った。
社殿の斜め前に、茅の輪が置かれていた。
 
作法に従い、茅の輪をくぐり、生きることによる、人知れず受けた、罪や穢れを清める。
そして日本三大弁財天の一つ、江島弁財天の前を通り、中津宮から、エスカーを乗り継ぐ。
まもなくサムエル・コッキング苑のある、エスカー終点に到着した。
 
昔はここから、奥津宮から岸壁沿いの参道を、岩屋本宮へ出かけた。
だが今日は、この広場で最後にした。
小高い所に、展望台があり、階段を登る。
 
前方に相模湾が、陽光を反射し、輝きながら広がる。
右手には、江の島のシンボル・江の島灯台(江ノ島シーキャンドル)、
高さ59.8ートルのタワーが、銀灰色で聳えていた。
降り注ぐ冬日は爽やかで、かすかに流れ来る風は、心地よかった。

一休みしたあと、階段を降りることにした。
裏参道の狭く急峻な階段を、注意しながら降りる。
ほとんど人影もなく、お店の佇まいも、心なし寂しげであった。

右手遠くに、ヨットハーバーが、係留されている。
海は青く、空は高く、白雲が流れていた。
すでに時刻は1時を回っていた。