小説「葬送の一本締め」
下町の風情も残る湯島。
湯島天神の境内から男坂の険しい階段を下ると左手に心城院がひっそりと佇む。寺の狭い境内に小さな井戸があり、竹の筧から水が石の手水鉢へ糸を引きながら細く流れ落ちる。この水は江戸の名水とうたわれる「柳の井」である。絡まる女性の髪もこの水でそそぐとさらりとほぐれ、かつて下町の女性たちにたいそう慕われた。さらにこの井戸水は一度として枯れることなく、関東大震災の時は被災した人々の命水となったといわれる。
江戸開府以来、御府内の水は貴重なものであった。関東平野は火山灰地のローム層であり清澄な水が湧き出る井戸は極度に少なかった。まして清冽な水が流れる川などは少ない。江戸幕府の難問は水であり神田上水や玉川上水を府内へ曳き入れ水不足を凌いでいた。絶えることなく溢れ出る井戸の良水は人々の共有の大切な財産であった。
ここから百メートルも進むと天神下の交差点もあるのだが、この一帯だけは昼日中でも喧騒を忘れるほどに閑静である。この辺りは昭和二十年三月十日の東京大空襲の時も奇跡的に焼け残った。今もなお江戸下町の情緒を残し黒板塀に見越しの松も似合いそうな町並みが残る。近くに木造三階建て黒板塀の古美術屋「羽黒洞」もありひときわ下町の俤を残している。店の間口は三間ほどあり嵌め切りガラスの格子戸の奥は板敷の土間。鏡のように黒光りした板間の向こうに様々な書画骨董が見える。壁に設えた棚に数十巻の書画や軸物が幾段にも置かれ板壁に年代物の掛け軸がかけてある。帳場に威風堂々とした主人が座りその後ろの壁に一幅の大津絵の掛軸が下がっている。主人は肉筆浮世絵や大津絵の収集と鑑定では当代屈指の人物である。
その古美術屋の隣に間口一軒もない小さな古本屋「湯島堂」がある。八十歳を過ぎる小島春子がお店の奥の帳場に座り店番を務めている。この地は上野の森に隣り合わせ近くに東京芸術大学があり東京大学はすぐ隣のような距離である。そんな地の利を生かし美術書や医学書などの専門書を扱い女手一つで一人息子の幸夫を育てた。
幸夫は名門私立大学の商学部を卒業し大手商社に入社した。二十八歳の時に会社の同僚だった金井絵美子と結婚し母親の春子と同居するがそののち独立し「湯島堂」を出た。それ以来隣町の根津に住んでいる。そこは根津権現の参道近くのマンションで母の住む湯島からほど近いところに住むのは幸夫の母への思いやりだった。やがて幸夫夫婦に息子の春樹が生まれた。そして一人息子の春樹が小学校に入学するとお祖母ちゃんの春子のもとへ一人で遊びに行ったものである。今ではその春樹も東京芸術大学油画科の大学院に通っている。
二十四節気の雨水も過ぎた二月の下旬。
湯島天神に紅白の梅が咲き匂い始める。観梅の人たちが天神下の交差点から切り通し坂を上り湯島天神の境内へ続く緩やかな女坂を進む。坂に接する仕舞屋にかつては芸妓や幇間も住み三絃や音曲の音が絶えることもなかった。境内が近づくにつれ梅の香りは強く艶やかに漂い流れる。
参拝と観梅の人たちは拝殿の前に立ち鈴を鳴らし柏手を打ち拝礼する。境内にたくさんの絵馬が吊るされている。受験の季節が迫り学問の神様である菅原道真公を祀る湯島天満宮に受験生たちが祈願した絵馬が幾重にも鎧のように重ねられていた。
今日も春子は「湯島堂」を定刻の十一時に店開きする。店を開けても今ではほとんど店を訪れるお客はいない。だが春子は店を定刻に開店しお昼時以外は店を空けることもなく夜の七時まで商う。バブルの頃はこの辺りも地上げにあい櫛の歯が抜けるように古い町並みも破壊された。春子のもとにも不動産屋が札束を鞄に仕込み執拗にやって来た。しかし春子は断固として拒絶した。春子にはこの場所から離れることのできない理由があった。それは現在もここに踏みとどまり店を開けている理由でもある。
今日もお店を開店する前に何時も通り湯島天神へお参りをする。男坂を上れば近いのだが男坂は高齢の春子には急峻過ぎる。男坂を避け夫の孝道と時折通った揚げだし豆腐が美味い居酒屋「シンスケ」の角から春日通へ出て女坂の緩やかな上りの参道を歩く。
すでに大勢の観梅の人たちが来訪し狭い境内の紅梅は満開で匂い咲く。甘く妖艶な香りが満ち溢れ境内に吹き寄せる微風に漂う。春子は夫の孝道が出征してから一日も欠かすことなく早朝のお参りをする。家族の安寧といまだ出征して復員することのない孝道の帰還を祈り続ける。さすがにこの頃は早朝が辛いので開店前に済ませることにしていた。
孝道は新潟県刈羽村の農家に生まれた。兄弟は兄と二人の弟がいた。裕福でない小島家の次男は当然のように尋常高等小学校を卒業すると東京の上野にある親戚の古本屋へ奉公に出された。狭い部屋での住み込み生活の中、必死に働き実家へ仕送りをする。そして八年ほどが過ぎ経済的な余裕もでき上野松坂屋裏の下宿を見つけ引っ越し住み込み生活から解放された。ようやく自由時間も持てるようになり子供の時から好きだった絵を描きたくなった。その頃近くにある上野公園裏辺りにはたくさんの画塾があった。孝道は寛永寺裏手の上野桜木町にある画塾に入った。
その画塾からの帰り道、懐に少し余裕があるときに下宿近くにある間口二間のとんかつ屋「まる勝」へ立ち寄った。上野にはたくさんのとんかつ屋がある。それもそのはず昭和七年に上野にとんかつの元祖「楽天」が開業している。それ以来次々と上野にとんかつの名店が誕生した。
森繁久弥の主演映画『とんかつ一代』は「双葉」の主人がモデルであり小津安二郎が愛したヒレかつの「蓬来屋」がある。そしてタンシチュウが美味しい「ぽん太」や粋な風情を漂わせる店主が経営する「井泉」など数え上げればきりがない。「まる勝」も上野松坂屋の裏路地にある名店であった。店の二階にお座敷もあり芸達者な仲居や芸妓が弾く三味線の音も聞こえる。「まる勝」はとんかつ屋というよりとんかつ小料亭といえるであろうか。
夜の九時ごろになると店のある路地は人通りが少なくなる。街路灯が寂しく灯る二月は寒さが滲みる。孝道が格子戸をがらりと開けると店はまだ賑わっていた。一階の止まり木へ座ると笑顔にあどけなさも残る春子が白い清楚な制服姿でお茶を持ってきてくれた。背はすらりと高く均整がとれていた。髪は軽くウェーブがかかりかモダンで垢ぬけていた。孝道は一目見て春子に好意を持った。それ以来給料日後などに度々立ち寄った。春子は止まり木に遠慮がちに座る孝道をにこやかにもてなした。春子は茨城県五浦の出身で孝道が絵を描いていることに興味を示してくれた。やはり土地柄なのであろうか。風光明媚で温暖な五浦は岡倉天心が日本美術院の再興を期し、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山等を引き連れて移住した処である。
孝道と春子は春子の月二回の休みの第一火曜日に初めて銀座でデートをした。孝道もお店の休みを合わせ御徒町の駅で待ち合わせた。山手線に乗り有楽町で降りた。慣れない銀座を当てもなく散策した。都会の上野に住んでいるとはいえやはり銀座は敷居が高い。やっと入れたのが銀座七丁目にあるビヤホール「ライオン」であった。二人は生ビールの泡が溢れるジョッキで乾杯をした。そして軽く食事をしたあと顔をほんのりと赤く染めながら銀座を歩いた。
銀座のネオンは華やかで行き交う人たちの服装もお洒落で街は鮮やかな色彩で漲っていた。二人に銀座は別世界のようで落ち着かなかった。東北や上越の玄関口上野が落ち着くと今更ながらに思った。いまだ故郷の匂いを残し都会人になれない二人はそれを期に思いを深めるようになった。やがて春子と孝道は結婚を決意した。それは初めて会ってから二年ほどのことであった。
茨城の実家は稼ぎ手の春子を失うことで反対をしたようだったが孝道の実直さと誠実な心根に負け二人の結婚を許した。
春子は叔父さんの経営する「まる勝」を辞め孝道と湯島三丁目の棟割長屋へ引っ越した。
それから二年後に孝道は「小島堂」を円満に辞め湯島天神男坂下の現在地に古本屋「湯島堂」を開店した。
その頃の湯島界隈は賑やかで湯島天神近くの料亭は賑わい夜の帳が落ちれば歌舞音曲が聞こえて来た。美術関係や医学書などを商う「湯島堂」も医学部や美術大学の学生たちや教授等が訪れ繁盛した。
だが幸せな季節は何時までも続かなかった。
昭和十六年に開戦した太平洋戦争は昭和十八年になると南方戦線の戦局は悪化していた。湯島界隈からも大勢の男たちが出征してゆき孝道も覚悟した。必ず近い将来に召集令状が自分のもとへ届くはずだと。そして上野の桜が咲き始める三月も終わる頃、孝道は春子の肖像画を描き始めた。
春子はその時すでに息子の幸夫をお腹に宿していた。お店を八時に閉め食事のあと春子は二階に二間ある部屋の奥の部屋でモデルを務めた。その部屋は孝道が改造してアトリエに拵えた四畳半の畳の部屋である。孝道が以前骨董屋から購入した揺り椅子に春子は座らされた。
戦時下の昭和十五年の奢侈品製造販売規則発令などにより女性の服装は華やぎを失い着古された和服などから作った上着やもんぺを女性たちは着ていた。勿論お化粧などして外へ出ることもできなかった。春子はモデルになることを引き受けると箪笥へ大事に納めておいた薄紫の牡丹が咲き匂う薄桃色のブラウスを出して着た。そして紺色のフレアースカートを身にまとい揺り椅子に座った。唇には鏡台に大切にしまっておいた口紅を薄く引いている。足は軽く組み手は膝の上に柔らかく重ねた。後ろにひっつめて束ねた戦時下の髪型銃後髷をほどくと長い艶やかな黒髪がはらりと揺れ落ち髪の緩やかなウェーブが春子の顔に華やぎを与えた。その髪は柔らかく纏められ鮮やかな水色の絹のスカーフで巻き込まれている。
孝道は外に光が漏れないように雨戸を閉め切り電灯の仄灯りの中で残された時間の一分一秒を惜しむように画布に向かった。孝道は鮮明な記憶を刻むために春子の裸体画を描きたかった。だが身籠った春子はそれを断った。正直を言えば恥ずかしい気持ちもあった。今にして思えば裸体画を描かしてあげれば良かったと後悔もしている。やがて六十号の画布の上に春子の姿が鮮明に浮き上がって来た。春子の浮き立つような白い肌と黒髪が艶然と描きあげられていた。
だが仕上げに程遠い三分の二位を描き上げた頃に召集令状が届いた。それから孝道は寸暇もない程に画布へ向かった。だが出征する時までに完成することはできなかった。三分の一を残し出征していってしまった。孝道は春子の顔の眼をモジリアニが描くアーモンドの眼のようにして塗り残していた。必ず生きて帰るからその時に眼に瞳を入れこの絵を完成すると約束して出征したのだった。
孝道は昭和十八年の四月二十六日に出征し横須賀の武山海兵団に入営した。そして翌年、戦況が厳しくなった南方のサイパンへ向かった。その前に外出許可を許された海兵団員の戦友へ秘密裏に託した一通の手紙が春子のもとへ届いた。それが孝道の最後の便りであった。
今日も春子は観梅の人だかりの中でお参りを済ました。
境内に櫓で組まれた舞台が設営されていた。梅まつりになると湯島天神太鼓保存会の若衆たちが白梅太鼓を軽快に時に勇壮に叩く。午後の一時頃になると太鼓の響きが湯島天神界隈に響き渡る。参拝を済ました春子は女坂をゆっくりと下る。そして定刻の十一時前に店の玄関の鍵を開け帳場に座る。
すると近くの豆腐屋「やまげん」の若旦那がねじり鉢巻きに長靴姿で顔を出した。大旦那はすでに他界しているがこの界隈の昔からの癖で五十歳になりすでに白髪交じりで禿げ上がっている「やまげん」さんを町内では今でも若旦那と呼ぶ。下町では先代を知る者は後継者は変わることなく若旦那なのである。
「春さん、おからを持って来たよ。卯の花にでもどうかね」
「あら、こんなにたくさん。お婆ちゃんには多すぎるわよゥ」
「春さん、まだまだ若いですよ」
「やだね、若いだなんて。お婆ちゃんをからかっちゃいけませんねェ。でも食べきれないわ、ほんとうに」
「余ったら捨てちまってくだせェ」
「それはいけませんよ。そんな勿体ないこと」
「春さん、お孫さんの春樹君、この前天神下の交差点で見かけたけど、男前になったね。奇麗な女の人と歩いていたよ」
「そう……春樹が女性と? もう二十六歳になるから、そろそろ年頃だものね」
「上野公園の美校に行っているのだって?」
「やだね、若旦那、美校だなんて。今は芸術大学っていうのよ」
「あちゃッ、一本取られた! 春さん、若旦那は堪忍して下せェ。じゃ、またッ」
「おから、ありがとう。卯の花を作ったら、持って行きますからね。若旦那」
「また若旦那ですかい。春さんにはかないませんなァ」
と頭を掻きながら店を出た。
たいした用事がなくても隣近所の人が顔を見せてくれる。それが下町の住み良さで春子のことをさり気なく気遣ってくれる。
やがて十二時を知らせる柱時計が鳴る。大和障子を開け奥の板敷の台所でお湯を沸かす。台所の手前にある茶の間に木目も浮き出て黒光りした卓袱台が置いてある。それは孝道と所帯を持った時に買ったものであった。さらに使い古してでこぼこになったアルマイト製の薬罐でお湯を沸かし急須にお茶を入れお湯を注ぐ。そして茶渋で文様が浮き出た萩焼の夫婦湯呑へお茶を淹れた。質素な春子はお茶と海苔は少し贅沢をし湯島に嘉永五年創業の老舗「大佐和」で購入する。
今日のお昼は昨日の残りご飯で作ったおにぎりが一つ。海苔を巻き中に梅干しが入っている。そしてご近所からいただいた胡瓜と茄子の浅漬けを小皿に盛る。食も細くなった春子にはテレビの連続ドラマを見ながら過ごす昼食が束の間の安らぎである。やがて連続ドラマが終わると午後一時遠くから白梅太鼓が鳴り響いて来た。
太鼓の音を聞くとかつて孝道と境内で梅見をしたことを今でも鮮明に思い出す。梅まつりの今日春子は秩父銘仙の矢羽絣に黒繻子の帯を締めている。それは梅まつりの時に孝道と暮らしていた頃に着ていた思い出の着物であった。凛とした姿は齢を取ったとはいえ昔日の華やぎが香る。かつて「まる勝」の美人お運びさんで人気者だった姿を彷彿とさせる。
食事を終え後片付けをする。卓袱台の上の食器などを台所の流しに運ぶ。奇麗好きの春子は流しに置き放しにできない。運んだお茶椀や器を洗い水切り笊に乗せる。
すると店の玄関の扉が開く音がした。
店に戻ると天ぷら屋「天六」の御隠居が店に入ってきた。
「春さん、ちょいとお邪魔するよ。……何時聞いてもいいね、白梅太鼓は」
と言いながら、店に置いてある丸椅子に腰かけた。
「太鼓が湯島の春を教えてくれますわ。これもご隠居さんのおかげですよ。湯島天神の氏子衆を纏め、白梅太鼓をここまで、育ててくれたのですから」
「私の力などは小さなものでさァ。湯島を愛し湯島天神を崇敬する氏子さんたちの力があればこそです」
「私などはこの太鼓の音を聞くと、湯島にも春が来たなと、心が浮き立って来ますの」
「湯島の春、いい響きだ……。そして梅が終わると上野の山に桜が咲き、やがて新緑の季節がやって来くる」
「そうですわね。上野や湯島が華やぐよい季節になりますわ」
「それにしても最近は、昔の地名がなくなって寂しいですなァ。湯島だけは何時までも変わらず、湯島でいて欲しいものだ」
「そうですね。ここらあたりはまだ、昔の地名が残っているからよろしいですけど、隣の台東区などは酷いですわ」
「広小路や三橋も上野何丁目ですから泣けてくる。浅草などは訳のわからない松ヶ谷ですから情けねェ。落語家さんは泣いているよ。黒門町もなければ、稲荷町もない。残っているのは、町会と小学校と中学校の名前に、かろうじて昔の町名が残っているだけだ、まったく」
「ほんとうに、寂しいかぎりですね」
「黒門町と言えば、八代目桂文楽。江戸廓話は最高だったな。端正で品があって色気がある。春さんを誘って行った『鈴本』を思い出すねェ」
「そんなこともありましたね。あの時はお世話様でした」
「天六」のご隠居は恥ずかしそうに白髪頭を掻きながら、
「いいえ、こちらこそ愉しい思い出ですよ」
「こちらこそ」
と春子は笑顔を返した。
笑顔に気を良くしたご隠居はさらに話が弾む。
「稲荷町と言えば林家彦六師匠よ。稲荷町にある三軒長屋の端の住まいで、春夏に色変えの暖簾が懐かしいねェ。トンガリで生真面目。さすがに彦六師匠は江戸っ子の粋の鑑よ! くどいようだが、行政さまの勝手で、湯島の名前だけは変えさしゃァしませんッ!」
ご隠居に限らず湯島の住人はお節介で情がもろく直情型な人間が多い。それが人と人の絆を強くしている。
昔堅気のご隠居は大島紬に黒の羽織を着て雪駄姿。今では板場に出ないが下町特有のいなせな板前気質を今に伝える。頭は真っ白だがすっきりと短い職人刈りで決めている。
「これ、鶴瀬で買って来た豆もち。後で食べてくださいな。春さん、少し痩せたんじゃないのかい。顔色も少し悪いようだけど」
「そうですか? 別に具合が悪いわけでもないのですけど」
「それならいいのだけれど……。あまり無理をしてはいけませんよ。身体の調子がおかしいと思ったら、すぐに病院へ行ってくださいな、春さん。じゃ、私はこれで」
「ちょっと待ってくださいな。お茶でも飲んで行ってくださいよ。すぐに淹れますから」
「いや、これからちょっと、湯島天神へ顔を出さないといけませんので。町内の寄り合いがあるので、今日の処は失礼するよ」
「すみませんね、お茶も淹れませんで。そしてお土産までも頂戴しまして」
「じゃ、また顔を出させてもらいますよ」
湯島天神下の天ぷら屋「天六」のご隠居はすたすたと雪駄の音を響かせ店を出て行った。別にご隠居は町内会の寄り合いがあるわけではない。一人暮らしの春さんの様子を見に来ただけである。春さんは同じ茨城県の出身で何かと話が合う。ご隠居の店はすでに息子が継ぎ所帯を持ち孫が三人いる。今はご隠居夫婦が店に出ることもなく季節の折々に温泉旅行や秋になれば紅葉狩りへ二泊三日ほどの旅を愉しみにしている。昔からの町内のよしみで自分と同じ齢の春さんを気遣い「湯島堂」へ立ち寄るのである。
息子の幸夫夫婦は春子に根津の家で一緒に住まないかと言ってくれる。だが昔のこともあり春子は身体が続く限り「湯島堂」の店を開け帳場に立っていたい。店にいれば町内の昔馴染みが店を訪ねよもやま話も弾む。息子の嫁も優しく春子は申し分のない嫁と自慢に思っている。だが一緒に住み四六時中一つ屋根の下で暮らすと何かと互いに気遣いが生まれる。離れて住んでいるからこそお互いを認め合うこともできると昔を振り返り今更ながら思いを強くする。
それに春子には孝道との約束がある。孝道は必ずや復員し何時の日か「湯島堂」の玄関を開けると信じている。その時までこの「湯島堂」を離れることはできない。親戚からはたくさんの見合い話もあったが春子はすべてをお断りした。
(必ず孝道さんは生きて帰って来る。私は何年でも待ち続けます)
春子は心の中に堅く誓い折れそうな心を支えた。
親戚の人たちや春子の友人にまでなんて頑固で傲慢な女なのだと陰口を叩かれたこともあった。
春子が生き抜くためには(孝道さんは帰ってくる。そして私を描いた肖像画を孝道さんが完成する。二人が交わした約束を必ず果たしてくれる)と信じることであった。時が経つにつれそれは妄想なのではないかと心が揺れることもある。しかし頑なに信じ続けることで日々の苦しさを乗り越えることができた。そんな春子たち親子へ優しい眼差しを送ってくれたのもこの湯島天神下の町内の人々であった。
湯島天神の夏祭りが終ると湯島に本格的な夏がやって来る。
この界隈は朝に夕に路地へ打ち水をする。今年の夏も昼の陽光は灼熱のように照りつける。だが上野の森の緑と不忍の池が清涼な風を湯島に届けてくれる。そろそろ不忍池畔や上野公園の遊歩道に「上野のれん会」が奉賛する納涼提灯が灯り始める。池のほとりを巡る遊歩道は提灯の仄な明かりが情緒を添える。やがて水上公園で漫談や落語に演歌等が日替わりで観客を愉しませてくれる。春子も息子夫妻や孫の春樹を連れ不忍池へ出かけた。春樹は綿飴が大好きだ。綿飴屋の前を通りかかると春子にねだって買ってもらい口の周りを綿飴だらけにしたものである。今年も不忍池に夏祭りがやって来た。だが春子の体調が思わしくない。店は開いているのだが帳場に春子の姿はない。
そこへ天ぷら屋「天六」のご隠居がやって来た。別に何か用事があるわけはない何時ものこと隣り近所のよしみで「湯島堂」を覗くのがご隠居の習いである。店の玄関を開け中へ入り、
「春さんいるかい? ちょっと失礼させてもらうよッ」
部屋の中から春子の声がする。
「はい、どちらさんで?」
「天六でさァ」
ご隠居が部屋を覗くと何時も食事をする部屋に座布団を並べて春子が臥せっていた。
春子は起き上がる。
「具合が悪いのかい?」
「いいえ、ちょっと身体がだるくって……」
「それはいけないなァ。病院へ行ったかい?」
「まだです……。少し横になっていれば、じきに良くなると思いますので」
「春さん、無理はいけないよ。私がついて行くから、今から木村病院へ行きやしょう」
「ありがとうございます。でももう少し横になっていれば、大丈夫ですから……」
「そうかい、それじゃくれぐれも気をつけてくださいよ。何かあったら、すぐに連絡しなさいな、春さん。それじゃ、また来るから……」
ご隠居は心配そうな表情を残して「湯島堂」をあとにした。
「天六」のご隠居は春子のことが心配で気にかかる。家に戻り妻に相談すると根津の息子夫婦へ連絡する方が良いと言う。春子の息子夫婦も「天六」を何かの折に利用してくれる。そして年賀状の交換もする懇意な間柄である。今年の年賀状を探し出し電話番号を調べ電話することにした。
そして午後七時頃ご隠居が電話を入れると息子の幸夫が電話口に出た。
「ご連絡、ありがとうございました。早速、母の処へ行ってみます」
幸夫は妻の絵美子と共に根津から車を拾い「湯島堂」へ行く。店の裏手の勝手口を預かっている合鍵で開け部屋の中へ入る。部屋の蛍光灯は消され真っ暗である。
「お母さん、絵美子です……。失礼します」
蛍光灯をつけると薄い青色の木綿の寝間着に着替えた春子は布団から起きようとした。
「お母さん、そのままで……。具合が悪いのですか?」
「いえね、ちょっと身体がだるくて……」
幸夫は、
「母さん、木村さんへ電話をしてみるよ」
「こんな時間に……。夜分、申し訳ないじゃないか。明日、行くからさ……」
「まだ八時半だよ……。じゃ電話してみる」
昔馴染みの木村院長が電話口に出てくれた。
下町の町内は優しく院長は喜んで診察に応じてくれた。
三十分くらい過ぎると「湯島堂」玄関のインターフォンが鳴る。幸夫が受話器を取ると女性の声で、
「小島さん、木村医院の者です。往診に伺いました」
幸夫がお店の蛍光灯をつけ玄関を開けると木村院長が看護師さんをお供に「湯島堂」の前に立っていた。
「どうぞ足元に気をつけて、こちらへお願いいたします」
木村院長と看護師さんを案内して、
「お母さん、木村院長が往診に来てくれましたよ」
「さあ先生、お上がりください」
と絵美子が院長を促す。
院長と看護師は靴を脱ぎ板の間から春子の寝ている座敷へ静かに進む。春子が布団から起き上がろうとするのを院長は春子の肩に手を置き、
「春さん、そのままでいいですよ」
「そういうわけには参りませんから……」
春子の声に何時もの精彩な響きがない。
「いや、無理をしなくてよろしいですから」
「絵美子さん、先生にお茶を差し上げて下さい」
絵美子は思いもよらない言葉に、
「はいッ、ただ今」
と驚き反射的に顔を縦に振った。
「若奥さん、お構いなしに。すぐに診察して帰りますから。お茶は結構です。春さん、とにかく診察しましょう」
「先生、夜分、相済みません……」
院長はいいえと顔を横に振りながら、
「どうしました?」
「身体が何だかだるくて……」
木村院長は黒光りした往診鞄を開け聴診器を取り出し一通りの診察を終えたあと春子の腕に注射をした。そして千駄木にある大学病院へ紹介状を書いておくので明日病院へ立ち寄るようにと幸夫夫妻に告げて「湯島堂」の玄関を出る。
幸夫夫妻が見送るその時小さな声で、
「幸夫さん、春さんも高齢だし、一人暮らしもそろそろ限界なのではないでしょうか。お母さんは頑張り屋だから、これまで一人暮らしもできたけれども……。一緒に住む方向で考えた方がいいと思うがね。色々と幸夫さんたちのお考えもあるかと思いますが……」
と木村院長は小声で言った。
「はい、私も前々から考えているのですが……。母はこの湯島を離れたくないと言いますもので。父の孝道を待っているのだと、私の言うことを聞きません。私が死んだら『湯島堂』をどうにでも処分しても良い。でも私は生きている限り、ここを離れるわけにはゆきませんと言いまして……」
「孝道さんが戦死していることは、春さんも知っているはずなのですがね……。孝道さんとの約束が、春さんの心の支えだったのはよく分かります。でも気持ちだけでは、高齢にかてなくなっている事実を、受け入れないといけない時期に来ています」
幸夫と妻の絵美子は無言で頷いた。そして幸夫夫妻に見送られながら木村院長と看護師は月明かりが落ちる湯島の路地を歩いて行った。
翌日、幸夫は会社を休み木村病院へ行き病院の紹介状を貰う。そして春子のもとへ戻りタクシーを呼び「湯島堂」の前から千駄木にある大学病院へ出かけた。病院の受付で紹介状を出し順番を待つ。大学病院は混んでいた。受付の前の広い待合室に並ぶたくさんの長椅子は診察を待つ人々でいっぱいであった。治療に通う患者や退院後の定期検診の老若男女が溢れ初めて病院を訪れこれから初診を受ける子供の不安そうな顔も見える。それを心配そうに母親が見守る。
待合室で順番を待つ人たちはあまり言葉を交わさない。だが高齢のお年寄りはそれなりに人生を達観しているのであろう。時折老人の囁くようなとりとめもない会話が聞こえる。
春子と幸夫はじっと順番を待つ。三時間も過ぎた頃ホールに小島春子の名前が流れた。春子が診てもらう消化器系は病院の六階にある。古い造りのエレベーターで診察室へ向かう。やがてエレベーターは到着し外へ出ると通路の壁は灰白色に塗られ床は薄い緑色の樹脂タイルが無機質に鈍く光っていた。人気なく静寂な廊下を進むと診察室があった。診察室の前の長椅子に二人は座る。診察を待つ人たちはすべて老人であり若い人たちの姿はなかった。やがて小島春子の名前が呼ばれ母は診察室に消え一人待合室に残る幸夫は不安になった。
時折白衣を着た若い先生が靴音をたてながら足早に歩き去り看護師が急ぎ足で通り過ぎる。それ以外は音のない世界である。壁の色が不安を増幅し床の薄緑が不気味な光を帯びている。人は不安に襲われると見慣れた色が恐ろしい恐怖へ駆り立てることがある。すでに高齢である母に何があってもそれなりに覚悟はしていた。だがそれが現実になることとは別問題である。
母一人子一人の母子家庭。何故私には父親がいないのだ。どうしてこんなに慎ましい生活なのだと母を憎んだこともある。父兄参観や運動会など母は必ずお店を閉めて学校へ来てくれた。だが化粧もしない母の姿が同級生の母親に比べ極端に質素であった。
(私の母は友達のお母さんより絶対に美人だ。どうして人前に出る時くらい、もっとお洒落をしてくれないのか。僕のためにもっと綺麗にしてくれ)
と何度思ったことであろうか。
子供の思いは勝手で残酷である。母と歩くことさえ厭な時代もあった。だが成長するに従い幸夫は女一人で子供を育てることの厳しさを理解できるようになった。今は一年でも二年でも母に長く生きていてほしい。慎ましく気丈な母であればこそ私をここまで育ててくれたのだ。診察室に入る母の後姿を見て改めて母が齢を取っていることを再認識した。人は老いる。だがその母の老いに人はどこまで依り添うことができるのであろうか。
春子は診察の結果二週間後に大学病院へ検査入院をすることになった。
絵美子は毎日春子を見舞い幸夫は仕事帰りに病院へ寄る。幸夫たちが住む近くの病院なので何かと便利であった。
春樹も病院へ春子を見舞ったあと「湯島堂」を訪ねた。
春樹は春子から預かっていた合鍵で勝手口を開け中へ入る。そしてかつて孝道がアトリエにしていた二階の部屋へ黒光りした狭い階段を上がった。部屋の壁の前に置かれた画架が風呂敷を縫い合わせた袋で覆われていた。袋を外すと春子お祖母ちゃんの肖像が現れた。長い歳月を経た絵は瑞々しく春子お祖母ちゃんの表情に柔らかな笑みが溢れていた。薄桃色の緩やかに流れるブラウスと紺色のフレアースカートにたくさんの塗り残しが見える。さらに背景は一切手がつけられないでいた。明らかに時間がなかったのだ。
すでに春子の余命は僅かであるような予感がする。お祖母ちゃんは孝道お爺ちゃんが必ず復員しこの「湯島堂」へ戻って来ると信じている。だが孝道お爺ちゃんはすでに戦死していることは誰の目にも明らかなことなのだが……。そして出征する時に約束した描きかけの春子お祖母ちゃんの肖像画を孝道お祖父ちゃんが復員し完成させてくれると信じている。お祖母ちゃんが元気なうちに孝道お祖父ちゃんの意志を継ぎ春樹はこの絵を完成させなければならないと思った。
春子お祖母ちゃんの心の中に孝道お祖父ちゃんは永遠に生き続けている。そして何時かきっと私のもとへ帰って来ると信じることで人生の荒波を乗り越え生きて来た。夫が「湯島堂」へ戻り未完成の肖像画を完成すると信じることで、厳しい現実社会を息子の幸夫と生きて来ることが出来たのである。人はそれを非現実的で妄想だと言うかもしれない。だが誰しも強く逞しくはない。死んだ人と心の中で寄り添うことで生き続けることが出来ることもある。
春樹が部屋の押し入れを開けると赤茶けた柳行李があった。蓋をそっと開けるとデッサン画が分厚く詰まり絵具が残るパレットと筆が収められていた。絵具箱を開けるとたくさんのインクチューブが揃っていた。物不足の戦前にこれだけのインクを揃えるのは苦労したであろう。だが戦争から復員し未完成の肖像画を完成させたい思いと孝道お祖父ちゃんの肖像画への強い意志がこのインクの量に漲っていた。
春樹は運命的な強い霊気を感じた。春子お祖母ちゃんが生きている間にこの肖像画を完成させなければならないと思った。残された僅かな時間と戦い激しい情念の燃え盛る炎のもとでお祖父ちゃんはこの肖像画を描いた。春樹は愛するお祖母ちゃんのためにこの未完成の絵を仕上げることを決心した。例え血を分けた孫であろうとも孝道が描き遺した肖像画を他人である自分が完成させることは許されることではないかもしれない。それは作品を冒涜することでもある。
昨日、お祖母ちゃんを見舞いに行くとベッドの中でぐっすりと寝ていた。するとお祖母ちゃんがベッドの夢の中で呻いた。
「孝道さん、帰って来たのね。待っていたわ。私の絵を完成してくれるのね……」
この絵が完成される日を信じてお祖母ちゃんは今も待っているのだ。そして今臨終の時が刻一刻と近づいているような暗い予感が春樹を襲う。お祖母ちゃんの夢の中で完成された絵を春樹は想念の中で思い描き残された僅かな時間で肖像画を完成しなければならない。
しかし他人が描き遺したものに手を加えることには抵抗があった。何か他に方法はないものであろうか? 春樹は悩んだすえに出した結論はお祖父ちゃんが遺した作品に手を加えず模写し新しい春樹の作品として完成することであった。遺作の絵を模写しその心を写し取った作品を描きあげることであると。
春樹は春子お祖母ちゃんが大好きだ。小学校から帰ると根津の家から子供自転車を飛ばし「湯島堂」へ遊びに行った。春子は早めに「湯島堂」を閉め池之端にある湯屋へ春樹を連れて出かけたこともある。下町ではお金持ちも内風呂に入らず湯屋へ行く。普通の家に内風呂などなく湯屋へ行くことは楽しみでもあった。下町の習いで決して銭湯とは言わず湯屋と言い湯屋(ゆや)の響きに下町の風情が残る。
桜が散り根津権現のツツジも終わる初夏も近い上野の不忍池畔の道を歩く。
春子と春樹は下駄を履き弁天堂へ向かう。途中池畔の長椅子に腰を掛ける。新緑に萌える若緑も鮮やかな柳を渡りくる生暖かい微風が揺らす。池は小さな漣が鱗のように光る。空の茜色は薄れ雲間から落ちる残光が水面を金彩に染める。やがて雲海は紫色を帯びながら薄墨色に棚引き夕靄が深く垂れ込めはじめる。池に水鳥が青紫の影となり羽を休め手漕ぎボートは寂しげに繋がれている。
二人は腰を上げ歩き始める。
一面に広がる蓮の緑葉が暮色に陰り花弁を閉じていた。その向こうに琵琶湖の竹生島に見たてた弁天島の弁天堂が浮かび上がる。翠に葺かれた屋根に朱色も鮮やかな柱と白亜の壁が美しく輝く。さらに池畔の小道を進むと弁天堂についた。階段を上り春子と春樹は並んでお参りを済ます。すでに日はとっぷりと落ちている。
二人は弁天堂を後にして進むと寛永寺清水観音堂へ続く急勾配の階段が正面に現れた。階段の前の道路を左に折れてゆくと五条天神神社の森が濃い影となりその森の奥に「上野精養軒」の灯りが煌々と耀いている。
さらに鬱蒼とした森が繁る寂しい道を進む。この辺りになると人通りも絶え深い闇に包まれ春樹は怖さを感じた。やがて頭上高く上野動物園のモノレールのレールが道路を覆う。その下を抜けてゆくと「水月ホテル鴎外荘」の前に出る。ドイツ留学から帰朝した二十八歳の森鴎外が新居を構えた赤松家の屋敷跡が「鴎外荘」である。ここで海軍中将赤松則良の長女登志子と家庭を築き『舞姫』や『於母影』を執筆した。
寂しい裏道のようなこの道を黄昏時は滅多に車も通らない。
すると後ろから車のヘッドライトが一条の光となって二人を照らしながら猛然と進んできた。
前を歩く春樹へ、
「春樹ッ、危ない!」
春樹は吃驚して路肩で転んだ。
車はテールランプの光を残して消えた。春子は咄嗟に春樹のもとへ駆け寄り車を睨みつけながら叫んだ。
「危ないじゃないかッ!」
春樹はそのとき普段は優しく物静かな春子お祖母ちゃんの激しい一面を見た。
そして春樹を助け起こしながら
「春樹、大丈夫かい……?」
「うん!」
春樹を起こし春樹の膝の汚れをたたきながら、
「危いったらありゃしないッ。春樹は絶対にあんな人になってはいけませんよ」
春子は静かな口調であったが言葉に激しさが籠っていた。やがて池之端の昔ながらの町並みに入った。その家並みの一角に湯屋はあった。それは懐かしい風情の唐破風の建物である。開け放した玄関を入り下足箱に下駄を入れ番台の小父さんに入浴料を払う。そして春樹は春子に連れられて女風呂へ入る。
風呂場の脱衣所と浴室の境のガラスは湯気で曇り中へ入ると湯けむりで生暖かい。四角い小さなタイル張りの洗い場に椅子を置き春樹を座らせ春子は春樹の背中を流した。そのときお祖母ちゃんの乳房が背中に触れ気持ちが良かった。子供ながらそこに異性を感じさえもした。
春樹を洗い春子も身体を流し湯船につかる。ここは古い黒湯の鉱泉で古材を集め焚き上げている。子供には湯温はとても熱かった。湯は漆のように黒く自分の足が微かに透けて見え隣に座る春子の白い身体が黒湯に艶めいて滲んでいた。春樹は春子の肌の色を覚えている。だからこそ若い頃の春子の身体の色と線を想像することができる。
春樹は芸大の油画科で人間の解剖学も学んでいる。画家は女性の手を見ただけで身体のすべてを想像できると洋画の大家が言っていた。かつて春樹の子供時代、春樹が湯屋で見た春子の裸体の記憶が春樹の脳裏に鮮明に浮かび上がる。
春樹は誰にも知らせずこの肖像画を完成させようと決意した。「湯島堂」の二階の部屋に置かれた肖像画を模写しさらに絵を完成させることに使命を感じた。芸大で絵画の修復を専門にしている科がある。その大学院に友達がいる。この画布とまったく同じ材質のものを製作してもらおう。そしてもう一枚の春子の肖像画を完成させればよいのだ。
大学院の友達が作ってくれた画布と新調した画架を持って春樹は二階へ向かう。急な階段を用心深く上り奥の部屋へ入る。かつて孝道がアトリエにしていた部屋に描き残された春子の肖像画の隣に新しい画布を並べた。すでに夕刻も近づき部屋は仄暗く蛍光灯のスイッチの紐を引くと部屋は明るくなり春子の肖像画がひと際生彩を放った。春子の肖像画に春樹は遠く近く前後して向き合う。そしてまっさらな画架に向かう。
肖像画は春子の表情を丹念に描いている。それは出征する孝道の心の中に春子の全存在を焼きつけるための行為なのであろう。出征までのわずかな時間のもとで春子の顔を克明に描き上げることにより春子を鮮明な映像として記憶する。そしてその妻の顔を戦地で思い浮かべ生き延びる力に変えることであったのであろうか。
その燃えるような情念と生きることへの執念が春樹の心に伝わる。春子を描くことで今ある生を燃焼しつくそうとする孝道の姿が眼前に浮かぶ。春樹は孝道のためにそして春子へ最後の贈り物としてもう一枚の肖像画を描くことを誓った。
すでに日は落ち窓の外は仄暗く辺りに物音もなく静寂が訪れた。
春樹は木炭を細く削り春子の肖像画を画架の上に写し取り緻密に輪郭線を描いてゆく。春樹はかつて数々の絵を模写してきた。だがこれ程に緊張したことがあったであろうか。戦地に赴き明日をもしれない最愛の妻と別れゆく孝道が残した絵を写し取る行為が春樹に重圧となって手が震えた。この行為は単純な模写をすることではない。この絵の魂を掬い取り完成することである。せつなく揺れる心を押しとどめ輪郭線を描き切った。
春子が新年を迎えるために張り替えた真っ白な障子戸を引きガラス窓を静かに開け放つと晩秋の風が爽やかに吹きこんできた。湯島天神の上に煌々と月が金色に輝いている。狭い坪庭の銀杏が色づき始め梢が月明かりで夜空に浮き上がる。そして青紫を含んで冴えた空に星が煌めいていた。
明日から時間の許す限り肖像画を描き続けなければならない。春樹は長い緊張から解放されると大きな疲労に襲われた。押し入れから少し黴臭い夜具を出し服のまま布団に潜り眠りに落ちた。
孝道の描き遺した絵は春樹の目から見れば画塾に通っていたとはいえやはり趣味の域を出ていないのは明らかだ。しかしそこには孝道の魂と情念が渦巻き孝道の全存在をかけた魂が叫んでいる。肖像画を模写している以上に春樹は孝道の情念の叫びを聞き肖像画を描きながら今まで感じたことのない己の魂を突き動かす激しい心の衝動を覚えた。
それは春子の肖像画を完成することで春樹自身が画家として生きてゆくことを教えてくれている。
かつて春樹は行き詰っていた。絵は点と線と面と色で構成されている。そして正確なデッサン力により対象を精緻に描写する。だがそれでは単なる絵の散文と変わりがない。春樹は絵を描くことに懐疑的になっていた。絵を描く行為に充足感を失い描き続けることの意味を見失っていた。
春樹は自己の才能に懊悩し自分の才能に限界を感じ油絵を描くことに失望していた。春樹は絶望し自暴自棄に荒れていたこともあった。たいして強くもない酒を飲み愛する大学院生の同期生森本真理子に悪口雑言を浴びせた。そして恋人は春樹のもとを去った。昔ながらの友人にも当り散らし顰蹙を買うことも度々あった。行き場ない自分への怒りは春樹を深い絶望の淵へ誘う。そんな暗澹とした苦渋の時は過ぎたとはいえ今でも自分の人生に激しく迷妄していた。そのとき孝道が描く情念が燃えるさかる真実の絵に春樹は出会ったのである。
孝道の絵は決して上手くないが真実がある。
春樹は模写でない自分の存在を賭けた新しい春子の肖像画を描こうと決心をした。春子の肖像画を完成することは自分自身が生きることである。肖像画を描く行為は孝道の魂を描くことであり孝道の霊が降りて来る依り代なのである。それは自己の進むべき道に絶望していた春樹の再生なのであった。
春樹は毎日「湯島堂」へ通い肖像画を描くのだが肖像画に精彩がなく生の躍動がない。何故なのであろう? 春樹は煩悶する。
(上手い絵など必要ないのだ)と吐き出すように口ごもった。
春樹は絵筆を置き布団に横になると瞬時の内に眠りに落ちた。早く描き切らなければという焦燥感と絵を完成することへの渇望で疲れていた。
やがて夢を見る。
それは子供の頃に歩いた無縁坂だ。
池之端にある黒湯の帰り根津から本郷へ抜ける坂道である。
春子は洗い髪に手拭いを姉さんかぶりに纏め湯上りの薄化粧をしていた。春子は店を出るときや風呂上りでも化粧を欠かさない。それはお客様商売である限りどこでお客様に出会うかもしれずだらしない姿を見せたくないという思いからであった。
街灯の薄明かりの中を春子に連れられ幾度となく歩いた坂下にリヤカーを改造した屋台のおでん屋が出ていた。
「春樹、おでんを食べるかい?」
「うん!」
春樹はおでんが大好きだった。
おでん屋にお客が一人いてコップ酒を飲みながらおでんを摘まんでいた。
白髪交じりにねじり鉢巻きをしたおでん屋の親父さんが、
「何にしやしょうゥ?」
「そうだね、そこのゲソを一つおくれかね。それとウィンナーソーセージも一つ入れてやってくださいな」
すると背広姿の中年のお客が、
「坊や、卵食うかい?」
春樹は春子の顔を見る。
春子は春樹を見ながら、
「食べられるかい?」
春樹は頷いて、
「うんッ!」と言った。
春子は、
「うん、じゃないでしょ。はいッ、でしょッ」
春樹は頭を掻き照れながら、
「はいッ!」
と小さな返事をした。
「春樹、もっとはっきりと大きな声で、ありがとうございますと言いなさいッ」
中年のお客は笑いながら、
「いいんですよ」
「良くないですわ。春樹、言い直しなさい!」
春樹は酔客に向かいはっきりと力強く、
「ありがとうございますッ!」
中年のお客は、
「坊やは偉いな。お親父さん、卵を二つ入れてやってくれッ」
「一つでいいですよ、この子はそんなに食べられませんから」
「良いってことよ、余ったらお婆ちゃんが食べればいいから。お親父さん、二つね。俺の勘定に付けておいてくれ」
「あいよ! 僕、食べられるだろう?」
「はいッ!」
春樹は嬉しかった。お祭りの時以外は滅多に外で買い食いすることはなかった。
背広姿のお客に春子はお礼を言いながらお金を支払い二人は無縁坂を上ってゆく。
「春子お祖母ちゃん、ウィンナーソーセージ、食べていい?」
「しょうがない子だね、家まで待てないかい?」
「……」
「今日は特別だよ」
春樹はおでんを入れた袋からウィンナーソーセージを刺した串を右手で摘まむ。そしておでんをふうふうと吹き食べながら歩く。そのとき食べたおでんの味を今でも鮮明に覚えている。
坂を上りながら春子はグレープが歌う「無縁坂」のメロディーを小さな声で口ずさむ。無縁坂は森鴎外の『雁』で帝大生の岡田が通う道でもある。坂を上り切ると春日通りに出る。そこに高利貸の末造に囲われたお玉が住む妾宅があった。文学好きの春子はこの坂に思い入れがあり自然と口ずさんだのであった。きっとこの坂を夏目漱石の小説の主人公・三四郎も歩いているであろう。
やがて日の温かさに誘われるように春樹は夢から醒めた。
部屋の中に長く西日が差し込んでいた。障子に紅葉し始めた木の葉の影が揺らぎ陽光に燦きながら部屋の中へ長い日足を伸ばしていた。
柱時計を見ると夕刻に近づいていた。
春樹は布団から起き押し入れに夜具をしまう。
そして「湯島堂」の勝手口を出て地下鉄湯島駅から千駄木の自宅へ向かった。
検査入院の二日後、幸夫夫妻は担当医に呼ばれ大腸ガンであると宣告された。
症状はかなり進みリンパに転移していた。余命は八ヶ月と言われ春子に伝えるべきか幸夫夫妻は迷った。だが検査入院のときに春子に言われていた。何があっても私には全てを教えてくださいと。
幸夫夫妻はその旨を担当医に伝えた。担当医もそれが良いでしょうと夫妻の意見に同意した。そして担当医は余命が八ヶ月であることを春子に伝えた。気丈な春子は担当医から余命を告げられたとき担当医の眼を凝視し言葉の意味を確かめるようにしっかりと運命を受け入れた。
同席した息子の幸夫は担当医が告げた余命の言葉に震えた。さらに担当医は高齢なので手術はしない方が良いのではと言った。老人のガンの進行は遅い。病状を見ながら治療方法を探してゆくことになった。
春子は担当医に語った。
「私の延命治療はしないでほしいと考えていますの。これは私のわがままなお願いです。私は孝道さんと過ごした『湯島堂』で最期を迎えたいと思います」
担当医は幸夫と相談し春子の思いに同意した。
六ヶ月の入院ののち春子は「湯島堂」へ戻ってきた。
すると「湯島堂」へ近所の人たちが集まってきた。家族以外には誰にも伝えていないはずなのだが……。きっと「湯島堂」の前に停まった介護センターの車から車椅子に乗って店に入る春子を近所の住人が目撃したのであろう。
下町の人情は篤く噂や評判や異変もすぐに伝わる。
春子は主治医に頼んでいた。最期の時は意識のあるうちに「湯島堂」へ戻してくださいと。そして主治医から許可を取り昔からかかりつけの木村医院の若先生に引き継がれ帰宅したのである。若先生と看護師そして介護センターの人と息子夫婦に付き添われて店の中に入った。
春子は一階の部屋が好きだ。襖をを開け放すとお店を見渡すことができる。孝道と暮らした「湯島堂」が春子の人生の全てであった。そしてこの店を守ることで一人息子の幸夫を大学まで出すことができた。
春子の寝起きする一階の部屋が春子の人生のすべてをを支えてくれた。二階の部屋は湯島天神の祭に息子家族が泊まるくらいで普段はほとんど使われることもない。一階の押し入れから幸夫と嫁の絵美子が布団を敷こうとした。そして寝巻きに着替えるように介護の人が春子へ促した。
だが春子は端座し嫁に毅然として頼んだ。
「絵美子さん、まだお布団は結構ですョ。お湯を沸かしてくださいな」
幸夫が、
「お母さん、如何したのですか?」
「お世話になる先生たちへ、お茶を淹れて差し上げたいのです」
医者は驚き、
「春子さん、私たちは結構です」
看護師も、
「気を使わないでください、春子さん」
「何にも出来ませんが、私の感謝の気持ちなので、ぜひッ」
と凛として言った。
幸夫は母の気持ちを察し、
「先生、看護師さん、母は一度言いだしたら聞きません。母の淹れたお茶を飲んでいってください」
医師たちは顔を見合わせ春子に無言で頷いた。
暫くしてお湯が沸き嫁の絵美子が台所から運び黒塗りのお盆に置かれた急須にお茶を入れ湯が注がれた。そして茶卓にのった志野茶椀に淹れられたお茶を春子は端然としてそれぞれへ丁重に出した。
それはお世話になっている先生たちへ「湯島堂」の主人として迎える春子の矜持である。自分の最期を診てもらう感謝を示す凛々しくも厳粛な儀式であり人生の終焉を迎える覚悟でもあった。
医師たちはお茶を飲み終え春子の脈などを見て「湯島堂」を去って行った。
近所の住人たちは店の前にたむろし店の中を伺っていたが医者たちが帰ったので家々に戻って行った。同じ町内に住む人たちは病院から帰宅した春子と今日は挨拶を交わさないことが最上であることを知っていた。
部屋に息子夫婦と春子が残った。
残された急須や茶碗を台所に運びながら、
「お母さん、横になって休んでいてください。今日は疲れたでしょう」
「いいえ、大丈夫ですよ。暫く家を開けたので、孝道さんに挨拶をしなければね」
春子は茶箪笥の上に飾ってある孝道と出征まえに写真館で撮った二人の写真に手を合わせた。
そして振り返りながら、
「絵美子さん、今日は色々とお世話様でした。貴方には色々と辛い思いをさせてごめんなさいね」
春子は微笑を浮かべながら絵美子に頭を下げた。
「お母さん、謝るのは私の方です……」
春子は幸夫に向き直りながら、
「幸夫、貴方が一番しっかりしなければいけなかったのですよ。お前が悪い」
幸夫は照れ笑いを浮かべながら、
「お母さん、その通りです。私が逃げたために、おかしくなってしまいました。反省しています……」
三人は顔を見合わせると笑みがこぼれていた。
絵美子は、
「お母さん、今日は私たち泊っていきましょうか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。まだまだ元気です。それにあとで春樹も来るでしょうから」
「それじゃ、もう少しして落ち着いたら帰ります」
と幸夫は母に伝えた。
幸夫と絵美子は押入れから布団を出して敷いた。
「お母さん、もう休んでください。あとは私たちがしますから」
「絵美子さん、ありがとう……」
春子は布団に入るとすぐに眠りに落ち小さな寝息が聞こえた。
すでに日は暮れ落ち静寂が訪れた。春子の退院の一日は幸夫夫妻に疲労を残しながら二人は湯島堂を辞し帰宅した。
しばらくすると一人残された春子が目覚めた。
春子は布団から起き仏壇の下の引き出しを開け黄ばんだ封書を取り出した。
宛名は小島春子である。
それは戦地へ向かう孝道が春子へ宛てた最後の手紙であった。
愛する春子へ |
私は毎日横須賀の武山海兵団で想像を絶する激しい訓練に明け暮れている。それは壮絶なもので日本人がこれほど非人間的であるのかと思い知りました。訓練のあとも内務班で苛め抜かれます。これが戦争を戦う仲間になるとは信じがたいことです。外のことをこちらでは娑婆と言っています。ここはすでに理性と常識が許されることのない牢獄なのかもしれません。 せっかくの手紙なのに私の繰り言で申し訳ありません。 近々、私は南方へ送られます。戦地は戦局がますます悪化しているようです。発表されませんが、敵国に制海権を握られ日本の駆逐艦や巡洋艦も次々に撃沈されています。もしもこの文面が軍部に知れたらあなたのもとへ届かないことになるかもしれません。ですから私は信頼するNさんへこの手紙を託しました。あなたを湯島に残し戦地に赴くことになりこれも運命と思い諦めております。 私の子供を宿してくれたそうですね。先日の手紙で知ったとき、驚天動地の喜びでした。明日の命も分からない身ながら新しい命があなたの身体の中に誕生したことを思い涙が止まりませんでした。春子、ありがとう! 私に生き抜く力を与えてくれたのです! 私は約束をしました。必ずあなたのもとへ帰ります。そして書きかけの肖像画を完成させます。新しい命を授けていただいたのですから、私は絶対に「湯島堂」へ戻ります。私がいない生活は辛い毎日でしょう。でも諦めず私が復員する日を待っていてください。 近日の内に横須賀を出港します。行く先は南方の戦地であることに間違いありません。これから生まれて来る子供をお願いします。男の子だったら幸せを祈り幸夫。女の子でしたら幸子と名付けてください。これから先は手紙を出すことができないと思います。これがあなたへの最後の手紙になると思います。くれぐれもお身体に気を付けてください。そして生まれて来る子供をお願いします。 ここでは八紘一宇の理想など誰も信じておりません。悠久の大義に死すなど誰が言いましょうか。私は春子と生まれて来る子供、そして私の両親や親戚のために戦います。その戦いは激烈で過酷であろうとも私は生き抜きます。そして必ずやあなたのもとへ戻り私の子供をこの手で抱きあげます。その新しい命の誕生を祝し、描き残した肖像画を必ず完成します。それでは何時の日か再会できることを信じて筆を擱きます。 |
孝道
春子お祖母ちゃんのガンの宣告と余命を春樹は両親から知らされた。
春樹は春子の肖像画を描くことに苦闘していた。孝道の絵の中に存在する生命の躍動が自分の絵の中に欠乏している。何故なのであろうか? 絵を描く行為は対象を写し取ることではない。目に映る対象の中に見える真実を描くことである。その真実とはまさに根源的な生命の賛歌ではないだろうか。肖像画を描く行為は春子への孝道の思いと春子の孝道への思いの二重奏なのである。
春樹はかつて春子に連れられて歩いた不忍池畔を歩きたくなった。不忍池は夕靄に包まれ水鳥たちは黒い影を水面に映していた。池を割るように弁天堂に続く遊歩道を進むと右手の蓮池の蓮の葉は枯れ錆び微かに流れ渡る風にかさこそと音を響かせていた。その彼方に朱色も鮮やかな弁天堂が灯り雪洞のように浮かび上がる。その夕靄の日陰に誘われるように歩く。言葉少なにすれ違う人たちが影絵のように遠ざかってゆく。人々はそれぞれに喜怒哀楽しながら日々を生活しているのであろう。
道をまたぐ弁天堂の低い渡り廊下の下を潜り抜け弁天堂の階段を上りお賽銭をあげ柏手を打ち拝礼した。そして弁天堂の参道を真っすぐ進むと右手に「蓮見茶屋」の灯が風情を添えていた。広小路方面から続く道路を渡り寛永寺境内の清水寺へ急傾斜の階段を上り清水寺の舞台へ出た。舞台の欄干に手を置き遠く不忍池を眺めると池の彼方に白い大きなマンションが朧に霞む。その右手に「東天紅」の灯りが煌々と輝いていた。
空に大きな月の光が満ちはじめ薄墨を帯びた紺青の空に星が煌めいていた。一人で清水寺の舞台から不忍池を眺めたのは初めてのことである。ここへ来るときは必ず両親か春子お祖母ちゃんが一緒であった。目の前に広がる夕景を漠然と春樹は眺めていた。それから子供のころに春子と歩いた道を歩き「鴎外荘」の前を通り「黒湯」の前に来た頃はすでに日はとっぷりと落ち、人通りの少ない道は夕靄に包まれていた。
そしてしばらく漫然と歩いていると不忍通りに出た。
さらに夕闇の中を進んでゆくと無縁坂に辿りついた。
するとかつて春子におでんを食べさせてもらった懐かしいおでん屋の屋台の提灯が見える。それはリヤカーを改造したような屋台である。かなり老け込んではいるが確かにあのときの捻り鉢巻の親父さんであった。春樹は立ち寄ることにした。
「親父さん、ゲソと卵とウィンナーソーセージをください。そして燗酒を一杯お願いします」
親父はおでん鍋から菜箸で青磁の取り皿に盛り込みだし汁を加えた。
そして日本酒の一升瓶からアルミ製のチロリへ注ぎ燗銅壷へ入れた。しばらく置いて燗銅壷からチロリを取り出し厚手のコップに注ぎ春樹へ手渡した。
春樹は辛子を辛子壺からスプーンで掬い皿に添える。そして辛子を烏賊ゲソに付け口に入れる。その味は昔の味そのままのようだった。コップ酒を口に含むとかなりの熱燗であった。
「親父さん、俺、この店に来たのは十年ぶりくらいかな。子供の頃、湯島に住むお祖母ちゃんと黒湯の帰り、おでんを買ってもらったんですよ。勿論ここでお酒を飲むのは、今日が初めてだけどね」
「そうなんだ、十年前か……。俺もここでかれこれ二十年くらい商売しているからな。お兄ちゃん、嬉しいな寄ってくれて。お婆ちゃんは元気かい?」
「……」
「具合が悪いのかい?」
「……」
春樹は無言で頷いた。
「そうなのかい。それは大変だな」
「お婆ちゃんと昔歩いたこの道を、今日は歩きたくなり、立ち寄らせてもらいました」
「そういうことかい。元気を出しな。これは俺の気持ち、遠慮なくやってくれ」
親父さんは竹輪麩を皿に入れてくれた。下町の気取りのない優しさに春樹は人情を感じた。
コップ酒を飲み切り代金を払いほろ酔い機嫌で寂寥とした無縁坂を上ってゆくと春日通りに出る。
春日通りは相変わらず交通量が多く切通坂を下り湯島天神へ続く緩やりかな上りの女坂を歩いてゆくと湯島天神の境内に出た。すでに境内は人けなく拝殿で柏手を打ち参拝をした。そして急峻な男坂を下り春子が待つ「湯島堂」へ向かった。空に月が煌々と輝き紫色に染まるむら雲が広がっていた。
勝手口の合鍵をズボンのポケットから出し静かに裏口を開け靴を脱ぎ揃え台所へ上がる。居間と境の襖を静かに開けると春子が眠っていた。そのとき幽暗な月明かりが台所のガラス戸から漏れ居間に射し込み春子の寝顔が垣間見えた。春子の枕元に孝道と春子の写る写真が飾ってある。春子の枕辺に音をたてずに近づくと柔らかな寝息が聞こえた。孝道が出征前に写真館で写したセピア色の写真をそっと手に取り月明かりに照らし見る。孝道は黒い略礼服を着て立ち矢羽根模様の銘仙の着物に身を包む春子は椅子に座り少し緊張した面持ちで並んでいた。
春樹は春子お祖母ちゃんに何時も言われた。
「春樹は本当に、お祖父ちゃんに、そっくりだね」
春樹も今年二十六歳になり写真に写る孝道お爺ちゃんの齢に近づいている。確かにお祖母ちゃんが言うように春樹はお祖父ちゃんに非常によく似ていると思った。すると春子が何か小さな声で呟きながら寝返りをうつ。春樹は急いで写真を元の場所へ移し春子のもとから離れ音をさせないようにゆっくりと襖を閉めた。そして階段を静かに上がり二階の部屋に入る。先程飲んだ屋台の燗酒が程よくまわり敷きっぱなしの布団に潜り込むとすぐさま眠りに落ちた。
すると春樹は夢を見た。
孝道お爺ちゃんが先ほど見た服装で春樹の前に立っている。
そしてにこやかに微笑みながら春樹へ小さな声で囁いていた。青白い光を放ちながら春樹の前に背筋を正した孝道が立っている。
孝道の声がはっきりと聞こえ始めた。
「春樹、ありがとう。私が書き残した春子の肖像画のために苦労しているようだね。春樹、私の絵のことは忘れていいよ。君が書きたいように自由に描きなさい。春樹の春子への思いを描けば良いのです。絵は人間の心を描くことです。私は春子の肖像画を完成させることはできませんでした。だが私の春子への思いは描ききれたと思います。もう二度と春子には会えないでしょう。この春子の肖像画は、戦死するかもしれない不安の中で必死に描きました。絵は拙いかもしれないが絵は技量ではありません。人間の心の叫びを描くことなのです。
春樹、春子はもう長いことはないでしょう。春子への春樹の最後の贈り物として、春子への思いを描けば良いのです」
すると青白い燦光を残しながら孝道は消えた。
春樹はお祖父ちゃんッ! と微かに叫ぶ。
その声で春樹は目覚めた。そしてそれは夢であったのかと自得した。だがその夢は春樹へ確かな助言となった。
孝道お祖父ちゃんが残した未完成の絵を完成させたい思いが燃え上がってきた。春樹は自分の春子への思いを肖像画の中へ結晶させれば良いことを確信した。
やがて外はかすかに明るくなり始め雀の鳴き声が聞こえ始めた。窓から射し込む陽光はだんだんと強くなり部屋の薄闇が消え始める。そして陽光が部屋の中に長く伸び春樹の顔を眩しく照らす。障子一面が金色の後光のように照り輝き銀杏の木の影が濃く障子に映し出された。やがて光は光輪となりその輪の中心に真っ白な障子が浮き上がった。ますます陽光は強くなり真っ白な障子を鮮やかな金彩に変えやがて眩い光彩が徐々に消え障子の純白が柔らかく照り映えた。
春樹の脳裡によみがえる。
光は魂の再生であるとともに白は春子の肌色であり生命の躍動を示していた。春樹に鮮烈な画想が顕現し燦然と輝く光の中に春子の肖像が燃え上がる。光と春子の命が共振し光の渦のなかに孝道の顔が浮かび上がっている。孝道が出征する前に近くの写真館で写したセピア色の写真でみた祖父の顔が鮮烈に浮かび上がった。
光り輝く後光の中に若き日の孝道の顔を描こうと思った。
春樹は押し入れから孝道が遺したパレットを探し出す。濃紺の綿布に包まれたパレットに考道がチューブから捻り出した絵具が塊となってこびり付いていた。手に取りパレットの穴に親指を通し絵筆を持つ。すると孝道の体温が伝わり春子の肖像画への衝動が燃えたぎってきた。春樹は今まで描いた春子の肖像画を白の絵具で塗りつぶした。そして何度も繰り返しながら白を塗り重ねていった。
春子の像は隅々まで正確にイメージができる。
この真っ白な画布に春子の肖像画を描き直すことを決心した。
そして画布の絵具が乾き始めると肖像画を描き始めた。木炭で下絵を書くこともなく絵筆を取り画布に向かう。するとあれ程苦しんだことが嘘のように筆が進む。何故なのであろうか?
夢から目覚めたとき、何かが降臨したように気持ちが穏やかに変わっていた。そして春子の肖像画に素直に向き合い色を重ねることができる。春樹は一心不乱に絵筆をとり描き続けた。
画布に描かれる春子の表情が柔和に輝き始める。
柔らかな肌色が下地の白に反射し気品を帯びた肌色が浮かび上がりブラウスの水色は鮮やかな燐光を放っている。あれ程動かなかった筆が生き物のようにしなやかに滑り手が共振している。絵は一気に描かれ完成の見通しがつくと春樹は心地よい疲労を覚えた。
すでに時刻は正午を回っていた。千駄木の自宅に帰ることにして階下へ降りた。
すると春子が寝間着姿で起きて昼食を摂っていた。
「春樹、食事は?」
「今日はいいです、これから家に帰って食べます」
「春樹、このところ毎日来てくれてありがとう。学校は大丈夫なの?」
「大学院だから毎日ゆかなくても、課題の作品を出せば大丈夫なのさ」
「それならいいけど。二階で課題の作品を描いているの?」
「よくわかるね」
「それは分かるわ、あなたの様子を見れば。ほら、ズボンに水色の絵具がついているわよ」
「本当だ、気がつかなかった。お祖母ちゃん、今日は千駄木に帰るけど、明日また来ます」
「そうかい……。でもちょっとお祖母ちゃんの話を聞いてくれないかね」
春樹は怪訝そうに無言で頷いた。
「春樹、私が何故湯島を動かなかったか分かるかい?」
突然の言葉に春樹は春子の顔を見た。春子は春樹を見ながら静かに諭すような口調で話し始めた。
「孝道さんが出征する時、必ず湯島に戻って来ると、私に約束したのよ。私の顔をじっと見つめながら、私の右手を両手で強く握ってね。孝道さんの両手の掌が、とても温かだったわ。でも孝道さんの瞳の奥に、無念の涙が私には見えました。その涙の中に、決して若くもない自分までも徴兵する国へ、怒りの炎が燃えていたのよ。徴兵の年齢も引き上げられ、学徒動員まで実行する国ですからね日本は……。戦局は益々悪化していました。大本営の発表など、すでに誰も信じていなかったわ。だけど私たちは真実を語ることができなかったの。それを言ったら国賊ですからね。この頃の日本は、戦争が始まる前の状況に似て来ているように思うの。若いあなたたちは、しっかりと真実と向き合わないといけませんよ。私は孝道さんが帰って来ると信じていた。ですから東京大空襲のときも湯島に残ったの。幸夫だけでも実家の茨城に疎開させたかったけれど、まだ幼くて一人にするわけにいかなかったわ」
春子は話を止めて大きく息を吸った。
「お祖母ちゃん、続きはまた明日聞くよ。少し疲れたみたいだよ」
「いや、話しておきたいの、今こそ。夜になると毎日のように空襲警戒のサイレンがなり、真っ暗な空が焼夷弾で昼のように明るくなったわ。そして大雨のように爆弾が降り、閃光が光ると、爆弾が炸裂して、私たちの町が焼かれたの……。罪のない子供たちも、大勢犠牲になった。それは悲惨で、地獄のようでした。幸いこの湯島界隈は、奇跡的に空襲を免れたわ。この辺りに、工場がなかったのが、幸いだったのでしょうね。荒川区や墨田区など、町工場が犇めいたところは、全て焼き尽くされてしまったわ……。悲しいと言うより、アメリカが憎かった。そしてこんな戦争を起こした、日本の愚かさを思い知らされました。孝道さんも何処かで必死に戦っている。何時か日本へ復員する日を、硬く信じながら戦場で生きている。だから私も孝道さんと一緒に開いたこのお店を、力の限り守りたかったの。分かる?」
春樹は大きく頷きながら、
「お婆ちゃん、続きは明日聞くよ」
「いいえ、私は何時まで生きていけるか分かりません。このことだけはあなたに言っておきたいのです。聞いてくれるわね……」
春樹は、
「はい……」
と頷くほかなかった。
「孝道さんは必ず戻って来ると信じたから頑張れたのね、今まで。そしてあの肖像画を完成してくれる。その時まで、この湯島を離れるわけにはいかなかったの。私も今となっては、孝道さんが戻って来るとは信じていない……。でも私の心の中に、孝道さんは確かに戻ってきています。そしてあのときの手の温もりを、はっきりと感じるのです。私のそんな頑なさが、あなたのお母さんやお父さんに、辛い思いをさせたのかもしれません……。生きることで精いっぱいで余裕がなくて……。あなたのお母さんに、厳しすぎたのかもしれなかったと、今は後悔しているの……」
春子の眼に涙が溢れていた。
「お祖母ちゃん、大切なお話をありがとうございました。家に帰ったら、両親に今の話を伝えます」
「そう、それじゃ絵美子さんに、よろしく伝えてね。そしてごめんなさいと……。死ぬまでに、きちんと謝らないと思って……」
春樹は春子に別れを告げ「湯島堂」を後にした。
春樹は地下鉄湯島駅から二つ目の千駄木駅向かった。
千駄木駅で降り駅の階段を上りきると日本医科大学病院があり春樹はこの病院で生まれた。病院の前にある根津権現は五月になるとツツジが満開に咲き匂い境内を見下ろす小さな丘が色とりどりのツツジの花園となり見物の人たちで溢れる。
秋色に染まり始めた権現様の丘に連なる朱色の鳥居が降り注ぐ陽に照らされ鳥居の影法師が石畳を漆黒に刻む。澱んだ池には大きな亀がゆらゆらとあちらこちらで泳いでいる。春樹は池に巡らされた鉄の柵に両手を置き池の中で大きな鯉や亀が波紋を作りながら悠然と泳ぐ姿を眺めていた。
そして池の端を離れツツジ園へ続く背丈の低い朱塗りの鳥居を歩き抜ける。さらにツツジ園のツツジの木々に包まれた散策道を上り下りして境内へゆく。この散歩道を母に手を引かれて何度歩いたことであろうか。
境内に人影もなく境内の端に置かれた鉄製の長椅子に腰を下ろした。
すでに秋の陽は西に傾き境内の老樹が長い影を落としていた。子供たちが境内で鬼ごっこをして遊んでいる。何を見るでもなくぼんやりと物思いに耽るように椅子に座っていた。
すると権現様の大鳥居を潜る母親の姿を見つけた。
そのとき母と息子の目があった。
母親の絵美子は、
「春樹、どうしたの、こんな処で……」
「お母さんこそ」
絵美子は水色のブラウスにジーンズ姿で茶色のパンプスを履いていた。茶色に染めた短髪の母は齢より若く見える。春樹にとって母親は自慢の存在であった。
絵美子は春樹の隣に腰を下ろした。
「毎日、春子お祖母ちゃんの絵を書いているようね。だいぶ出来上がったの?」
春樹は頷くが何も言わない。
「春樹はお祖母ちゃんが大好きだから。孝道お祖父ちゃんの残したあの絵を完成させているのね。私も一度、幸夫さんに見せていただいたことがあるわ。孝道お祖父ちゃんは必ず復員し、書き残した春子お祖母ちゃんの肖像画を完成させてくれるって、お祖母ちゃんは信じていると、幸夫さんは言っていたわ」
「お母さん、お祖母ちゃん、あとどれくらい生きられるの?」
「……それほど長くはないって……。お祖母ちゃんは強い人ですから、病気にも心が折れないのね」
春樹は無言で権現様へ目をやる。権現様の影が境内に大きく伸びていた。
「権現様にお参りに来たの?」
絵美子は無言で頷いた。
「変なことを聞くけど、昔、お母さんとお祖母ちゃんの間に、何かあったの? ……今日、ここに来る前、お祖母ちゃんが僕に言うの」
「何て?」
「絵美子さんには悪いことをしたって……」
「他には?」
「何も……」
「そう……」
「もし言えることなら聞かせてくれる? 僕もお母さんが、何かお祖母ちゃんに遠慮しているような気がする……」
「そうかしら……」
「お祖母ちゃん、にっこりと笑いながら言っていた。死ぬまでに、一度、お母さんにきちんと謝らないとねって……」
「そんな……」
「よかったら、僕に言ってくれないかな」
「何でもないのよ……。心配しなくても良いの」
「お母さんに、今できることは、春子お祖母ちゃんが苦しまなくて、一日でも長く生きてくれることを祈るだけなの」
「お母さん、僕ももう二十六だよ。本当のこと、言ってほしいんだ」
絵美子は息子の顔を見ながら、
「昔のことだけど、お父さんと私が結婚してしばらく、お祖母ちゃんと同居したことがあるの。幸夫さんは別居を望んでいたけれどもね……。でも長く同居は続かなかった。そして湯島から近い千駄木に住むことにしたの。幸夫さんはお祖母ちゃんの性格を考えて、この先、同居するのは難しいと思ったみたい。それ以来、お母さんをほったらかしにして……。私たちはお祖母ちゃんのために、何もしてあげられなかった。気丈なお母様だからこそ、一人で誰の手も借りずに、幸夫さんを育てあげたのに。そのお祖母ちゃんの気丈さが同居を無理にさせたと幸夫さんは……」
春樹の目を見ながら絵美子は嗚咽しそうになった。
「お母さん、もういいよ、そこまでで……」
絵美子はゆっくりと頷いた。
「お母さん、お祖母ちゃんのために、権現さまに祈ってあげよう」
二人は長椅子から立ち上がり参道を権現さまに向かって歩く。
そして春樹は拝殿の前の大鈴から垂れる綱を引くと大きく乾いた鈴音が境内に響いた。二人は手を合わせた。親子でこの権現さまにお参りに来たのは春樹が小学生の頃以来のことであろう。
春樹たちの住むマンションは権現様の大鳥居から程近いところにある。森鴎外が長い間住んだ「観潮楼」もここから近く鴎外が愛したS字坂を降りると春樹たちの住むマンションがある。
ツツジの咲く季節になると境内へ続く日医大病院側の参道に犇めくように露店が立ち並び大勢の見物人で溢れていたことを思い出す。
参拝を済ませ二人は権現さまの横に回り池の前に佇む。
小さな池に大小の亀たちがのんびりと泳いでいた。そして岩に上った亀が甲羅から首を長く伸ばし辺りをきょろきょろと見回していた。
「春樹はよくこの池に、亀を見に来ていたわね。春樹の帰りが遅いとき、この池に来ると、春樹は池を泳ぐ亀をじっと眺めていたわ……」
「覚えていないな……」
すでに日は落ち境内は暮色に染まり明かりがともり始めた。人の気配もなく静寂が忍び寄っていた。
絵美子は春樹に、
「そろそろ家に帰ろうか」
とささやく。
そして二人は境内に戻り大鳥居を潜り家族の住むマンションへ消えて行った。
森鴎外が家族と散策した緩やかなS字にカーブする狭い道のS字坂を下りしばらくゆくと白いマンションの玄関に出た。玄関を入りエレベーターに乗り家族の住む八階へゆく。
絵美子と春樹が連れ立って自宅へ戻るのは何年ぶりであろうか。大きく成長した息子とマンションの廊下を歩きながら絵美子は嬉しくも気恥ずかしいような気持ちが込み上げてきた。
玄関の鍵を開け中へ入り狭い廊下をゆくと突き当たりに居間がある。
居間のドアを開けると幸夫がすでに帰っていた。居間の広い窓の外は暗紫色の空が広がる。
「幸夫さん、早いわね」
「今日は早退させてもらった」
「何かあったの?」
「いや、お袋のところへ、見舞に行ってきた」
春樹は、
「僕とすれ違いだな」
「お袋もそう言っていた。毎日、春樹が来てくれるのを喜んでいたよ」
絵美子は、
「お母さん、喜んだでしょう」
「お袋も以前のようじゃないな。そろそろ俺たちが、付き添わなければいけないかもしれない」
「そうね。私たちも努力するわ。ね、春樹……。」
春樹は頷きながら、
「でも、お母さん、大丈夫ですよって断るかもね」
「うん、お袋も頑固だから。でも、その気丈さが、俺を育ててくれたのだからなァ」
すると絵美子は思いついたように、
「久しぶりね、家族三人が揃うなんて。魚屋さんへ行って、おいしいお刺身を買ってくるわ。そしてお酒を飲みながら、食事をしましようか。私、買い物に出かけてくる」
絵美子は買い物籠を持って足早に玄関から出て行った。
二人は居間のソファーに向かい合って座る。
「お父さん、さっき、お祖母ちゃんが僕に言うの。お母さんに謝らなくちゃいけないことがあるって……。お祖母ちゃんとお母さんに、昔、何かあったの……?」
「そうか、そんなことを言っていたか……」
「お父さん、よかったら言ってくれないかな」
「春樹も幾つになった?」
「今年で二十六です」
「そうか、そんな齢になったか。そろそろ話してもいいかもしれんな……」
春樹はじっと父親を凝視しながら小さく頷いた。
「これはお母さんに内緒だよ。ここだけの話だ」
「はい……」
幸夫は春樹が生まれる前の遠い過去のことから語り始めた。
絵美子は高校を出ると幸夫の勤める小さな商事会社に就職し配属は庶務課だった。きびきびと仕事をこなす絵美子は社内の人気者であった。髪は短髪で少し茶色に染めた髪は僅かに波打ちにこやかな挨拶がとても魅力的だった。隣の部屋の営業に所属する幸夫とは所属部署は異なったが昼食のときに社員食堂で同席することも多く何気なく話をするようになった。
絵美子は高校時代から演劇が好きで入部した演劇部が全国大会で優勝したこともある。
会社で一年働き仕事に慣れた頃、演劇学校の夜間部に入学し一年後の卒業公演を終えると絵美子は小さな劇団に入る。そしてそこで知り合った演出家の山田光男と結婚することになり商事会社を円満退社した。
「だがお母さんの結婚は上手くいかなかった。二年間、劇団を支えるために、スナックでアルバイトをしながら頑張ったのだが……。深夜の帰宅などであらぬ詮索や誤解されたらしい……。私は会社の同僚を誘い、お母さんの芝居のチケットを買ったりしていた。私はかつてお母さんの先輩なので、お母さんの苦しいときに相談相手になり、色々とアドバイスをしたりした。それが相手に嫉妬される原因になってしまったようだ。物事は悪くなると何をしても誤解され、悪い方向へ流れてゆく。お母さんは結婚生活に区切りをつけるために、家を出たんだ……」
春樹は息を殺しながら父親の言葉に耳を傾けている。
「すると山田君は、私の勤める会社に電話をかけ、私に嫌がらせをする。さらに『湯島堂』のお袋のところまでやってきて、暴言を吐いたりしたそうだ。そのことを知ったお母さんは、区役所で離婚届の用紙を用意し、演出家の山田君のところへ行った。そしてその場で離婚届に署名をしてもらい、その足で区役所へ直行し、離婚届を出した。私は毅然としたお母さんの態度に心を打たれた。この人のために、私ができることをしてあげようと思い、お母さんと真剣に付き合うようになったのさ」
だが幸夫を女手一つで育てた春子は反対であった。
できることなら複雑な過去を持たない普通の女性とお付き合いしてほしかった。そして絵美子の離婚後二年経過してから幸夫は絵美子との結婚を決め春子にその意思を伝えた。春子は大反対であったが息子との確執を避け不肖ながら認めた。
一度結婚に失敗した絵美子は盛大な結婚式を嫌がり近くの教会で身内だけの式を挙げ二人は「湯島堂」の二階に住むことになった。
結婚に反対はしたものの許した結婚に春子も精いっぱい姑として誠意を示した。だが春子が絵美子に心配りするほど嫁の絵美子は春子にすまない気持ちをいだき思い悩む。その思いが春子への遠慮となり、姑にはどこかよそよそしい態度に映り嫁と姑の思いやりが行き違うことになった。
そして決定的なことが家族に起こってしまった。
「春樹の前に、子供が一人生まれるはずだった。『湯島堂』の二階に物干し場があるだろう。あの狭い板戸を潜り、段差を跨ぐ狭い物干し場を」
じっと息を詰めるように聞いていた春樹は、
「あそこから見る湯島天神が、僕は好きだな。でもあの物干し場に出る小さな段差で、何回も転んだりして、痛い目にあわされた」
「日曜日の朝だった。……お母さんもそこで躓いてしまった。……お母さんは妊娠していた……。その頃のお母さんは、毎日貧血気味で体調がよくなかった。お祖母ちゃんは、洗濯物を干すぐらいはすると、いつも言っていたのだが、お母さんは、私の仕事ですからと言って、物干し場へ出たのさ。洗濯物を抱えながら、物干し場へ出る狭い戸口を、頭に気を付け、足場に注意しながら段差を跨いだ。ガタッ! ッと大きな音がした。私は道路側の六畳で本を読んでいた。慌てて物干し場へ行くと、お母さんが倒れていた。下の階から大きな音に驚いて、お祖母ちゃんが二階に上がって来た。そして私は倒れていたお母さんを助け起こした。お母さんは笑いながら、大丈夫と言った。お祖母ちゃんは病院へ行こうと言ったけれど、お母さんは病院へ行かなかった。今から考えれば、あのときなぜ、病院へ行かなかったのか悔やまれる。あれが原因で、子供が流産してしまった……」
春子は何時も絵美子に言っていた。
「絵美子さん、食事も洗濯も全部やらせて申し訳ないから、どちらかは私にも手伝わせてね。今のあなたは大切なときですから」
だが絵美子は嫁としての務めと思い家事のことをすべてやろうとした。過去を償うためにそれが当然であると思っていた。
「流産して以来、お母さんから笑顔が消えたよ。お母さんは何も言わないが、心に大きな傷を負っていることが、私には痛いほどわかった……。そしてお祖母ちゃんに家を出て別居したいと私が言うと、お祖母ちゃんは、何も言わずに許してくれた。かえって私が叱られ、大反対をされたほうが楽だったかもしれなかった。お祖母ちゃんも、私たちのことで苦しんでいた。どちらにも非はない。それぞれの思いやる心が、すれ違ってしまっていたのさ。もつれた糸はますます複雑に絡み合う……」
春樹は無言で父親の言葉を聞くより仕方なかった。
風が出てきたのだろうか窓外の木々が揺れている。そして烏の鳴き声が遠く聞こえた。
すると玄関を開ける鍵の音がした。
「お母さんが帰って来た。まだまだ言い足りないことはたくさんあるが、またの機会にしよう」
と春樹に小さな声で告げた。
「お父さん、十分です、これ以上は私も辛くなります。私はお祖母ちゃんもお母さんも、そしてお父さんも好きです」
春樹は初めて父親と向かい合って心を交わしたことが嬉しかった。一人の男として父親が話してくれたことで自分が大人として認知されたことを知った。
春樹は家族全員の和解を絵の中で表現しようと硬く誓った。
幸夫の後ろには大きな窓が広がる。
少し前は薄墨を溶かしたような紫色の空が暗紫色に変わっている。一つ二つ星が瞬いていた空は今ではたくさんの星たちで夜空が輝いていた。
そして根津権現の社の上に月が煌々と輝いていた。
やがて一週間が経ち湯島も秋色が深くなって来た。
春子は布団の中で薄い呼吸をしながら眠っている。その顔は安らかである。
布団の周りに息子夫婦や木村医師と介護センターの人が座っている。
肖像画は最終章に入り眼を描くと完成する。
春樹は何故か孝道の残した柳行李が気になった。
押入れに行き柳行李を開けるとたくさんの絵筆と絵の具箱が入っていた。その筆の中に一本だけまっさらな筆が収めてあった。
その筆は「私の筆で最後の仕上げに使ってください」と叫んでいるようである。春樹はその筆に魅入られるように筆を握った。
そして肖像画の眼を乳白色に塗り瞳を漆黒に塗りこめた。
筆が孝道の精霊の依り代となり春樹の春子への純真な心と孝道の魂が共鳴した。
そん瞬間アーモンドの眼が精気に満ち肖像画は燦然と輝き始めた。
眼を描くことは孝道お祖父ちゃんの復活であり春子お祖母ちゃんの歓喜なのだと春樹は思った。肖像画は完成した。
その絵を持ち春樹は二階の部屋から降りる。両手に描きあげたばかりの春子の肖像画がある。
春樹は春子の前に進む。
春子は微かに力ない呼吸の音をさせている。春樹は春子の顔を見ると眼に涙が溢れて来た。そして静かだがしっかりとした言葉で、
「春子お祖母ちゃん、見てください」
完成したばかりの肖像画を春子の前に差し出した。
すると春子はうっすらと眼を開けた。
そしてゆっくりと起き上がる。幸夫夫妻が身体を支える。
春子は掛け布団を捲り起き上る。
絵美子は春子が起き上がるのを制止しようとした。
「お母さん、そのままで」
「絵美子さん、大丈夫です」
春子は毅然と布団に端坐し絵に向き合った。
そして春樹へ、
「春樹、ありがとう……私の眼が輝いている」
「はい、お祖父ちゃんの代わりに、描きました」
「ずっと待っていたの、この時を……」
春子の眼に涙が滲んでいる。
そして春樹をじっと見て、
「家族が全員揃っている。私の左横に孝道さん、その隣に幸夫がいる。右手には絵美子さんと春樹が笑っている……」
そこには若い頃の春子の瑞々しい美しさを湛えた姿を真ん中にしその両脇に化仏のように、孝道、幸夫、絵美子、春樹の肖像が描かれていた。それは春子の光背のように燦然と輝いていた。
「私の後ろに孝道さんが居るわ。そして私の家族が全員で笑っている。家族全員が一つになって微笑んでいる。孝道さん、永かったわ、とても……。でも私、ここまで頑張ってこれた。孝道さん、誉めてくれるわね。苦しいことも悲しいことも、沢山あったけれど、ここにいる湯島の人たちに助けられ、何とか生きて来ました。そしてあなたが、私に残してくれた幸夫のお陰で、強く生きて来られました。今は絵美子さんとも和解ができたわ……」
絵美子は、
「お母さん、ごめんなさい……」
「お母さん、何もしてあげられなくて、私は親不孝者でした……」
と謝る幸夫の目に涙が滲む。
絵美子は顔を横に小さく振りながら、
「お母さん、私がいけなかったの。私が幸夫さんに迷惑を掛けたために、お母さんと幸夫さんの間に、ひびを入れてしまったのです。本当に、申し訳ありませんでした……」
絵美子は深々と頭を下げる。
「絵美子さん、あなたは悪くないわ。私ももう少しあなたに、優しくしてあげればよかったの。私は強情で気が強いものですから……。こちらこそ、ごめんなさいね……」
春子の声は微かに震えながら消え入るように小さくなっていく。
「絵美子さん、幸夫、しっかりと生きてくださいね。……これからは人生を愉しんでください」
絵美子と幸夫は頷く。その時、二人の目から涙が零れおちた。
「春樹、素晴らしい贈りものをありがとう……。あの世に行って、孝道さんに伝えるわ。最高の作品だったってね」
春樹は春子を見つめながら零れおちる涙のまま、
「お祖母ちゃん…、僕こそ、ありがとうございました。僕は絵を描くことの意味を深く理解しました」
「春樹……、ありがとう……」
春子は透き通った笑顔で春樹の顔を凝視した。
その瞬間春子は力なく崩れ落ちる。
息子夫婦が身体を支えながら春子の身体を静かに横たえる。
春子の呼吸が激しくなりやがて息を引き取った。
木村医師は脈を取り臨終を知らせた。
そして静寂が訪れ何処からともなく小さくて柔らかな拍手が起こりはじめた。それは春樹の行為と凛とした春子の最期への称賛かもしれなかった。
完成された春子の肖像画は春子が永い間待ち望んでいた理想の肖像画そのものであった。
それは夫の孝道と孫の春樹の新たな共同作品になったのである。
東京大空襲の最中も疎開することなく孝道の帰りを信じ湯島を去らなかった春子の戦後は終わった。そして春樹は肖像画を描き切ることにより孝道の意思を継承し画家として生きることを教えられた。
過去・現在・未来と時は流れる。
湯島天神下で古本屋「湯島堂」を守り続けた春子は家族や湯島天神下の人たちに見守られ静かに息を引き取った。
長い春子の戦後は終わった。
「湯島堂」の中に近所の人たちが大勢集まっていた。春子がお世話になったとんかつ屋「まる勝」の若夫婦もいる。「天六」の旦那や豆腐屋の若旦那も見守っていた。店内に天神下の鳶の親方や若い衆が刺し子袢纏と股引きの町火消姿で集まり、町内の氏子たちは祭り半纏を着て「湯島堂」に駆けつけていた。
やがて鳶の親方が静かに言った。
「天六の旦那ァ、祭り好きの春子さんのために、ここは一本締めでェ、送り出してやりましょう」
「天六」のご隠居は、
「それがいいでしょう。春さんには、涙より晴れやかな手締めが似合う」
一同は無言で頷く。
「親方ァ、よろしくお願いしやすッ」
「はい、かしこまりやした。僭越ながら手前ェが手締めをさせていただきやす。皆様ァ、よろしいですか。それでは、お手頭を拝借!」
部屋は一瞬息をのむ静寂。
「ヨォーッ! シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャンシャンッ!」
乾いた響きを残して一本締めが決まった。
そのとき遠くから白梅天神太鼓の軽快な音が響き渡る。それは湯島天神で子供たちが叩く太鼓の練習の調べであり祭りを愛した春子への野辺の送りのようであった。
すると秋の訪れを知らせる金木犀の柔らかな匂いが「湯島堂」の玄関から流れ漂い始めた。
(了) |