小さな旅&日記


サムライ魂に感動!
!4.29<火>

先週の土曜日、WBC世界スーパー・バンタム級タイトルマッチがあった。
午後3時半からテレビで中継。
チャンピオン・オスカー・ラリオスに、沖縄の星といっても、30歳の仲里 繁が挑戦。
試合は簡単にKO負けでケリがつくのかと思いきや、仲里選手なかなかグッドではないか。
どちらに転んでも、この一戦はKO決着、面白くなりそうだ。
チャンピオンのKO率は70%、仲里はなんと80%の強打同士。

1ラウンドから4ラウンドまでは、軽快なフットワークで的確なパンチを繰り出す、チャンピオンが優勢か。
5ラウンドになるや、チャンピオンのパンチが、仲里の顔面にヒット。
猛烈なチャンピオンのパンチの嵐に、さすがの仲里もたまらずダウン。
これで、試合も一巻の終わりかとおもいきや、仲里も果敢にパンチを繰り出し、ゴングに救われる。
しかし、ここからが凄い!

劣勢を強いられた仲里は勇敢にもチャンピオンに攻撃を開始。
再三チャンピオンをぐらつかせ、KO寸前まで追い詰める。
試合は仲里が強烈なパンチで圧力をかけ追いつめ、
チャンピオンが下がりながらパンチを繰り出す展開になる。
チャンピオンはあきらかに疲れ始め、パンチにも切れも威力もなくなってきた。
仲里のパンチが炸裂すれば、チャンピオンは何時倒れても不思議ではない。
そして、とうとう、予期に反して、最終ラウンドまで来てしまった。

壮絶な打ち合いが展開。
チャンピオンはもうフラフラで余力はない。
後一発、思わず「仲里頑張れ」と心の中で叫んでしまった。
ゴングとともに試合は終わった。
試合は、3−0の判定で、仲里は惜しくも敗れた。

久し振りに日本人ボクサーの、素晴らしい世界戦を見て感動。
勇敢で精悍な挑戦者に、私たちが失い始めた「サムライ魂」を見た。
沖縄県人の中に、真の大和魂を見たような気持がし、とても清清しくも嬉しい気持になった。
この試合で、チャンピオンは顎の骨を骨折したそうである。
それほど、仲里のパンチには威力があったという証明である。


しあわせな1日フリーパス
4.22<火>

前日お酒を飲みすぎたせいか、頭はボンヤリ意識はドンヨリで足取りは重い。
何とか地下鉄三田線高島平駅まで辿り着く。
さてと、ポケットの小銭を10円だし、地下鉄の自動販売機に入れる。
そして、やおら財布を取りだし、一万円札を抜き出そうとしていたその時、
私の袖を軽く引っ張る気配。
見ると、ニコニコと小柄なおばちゃんが私に語りかけるではないか。

「これ使ってください。地下鉄もバスも都電も乗れます」
私にテレホンカードのようなものを差し出す。
「これ、差し上げます」
「何ですかこれ?私に?」
「ええ、とても便利です。今日1日、いくら乗っても大丈夫です。」
ボーッとした私は、アホのようにキョトン!
「これ、如何するんですか?」
「そこに、サッと入れればいいんです。こんな具合に」
「私にくれるんですか。すみませんね。使わせて頂きます」
「有り難う御座います。ああ、本当によかった、良かった使ってもらえて」

ところで、10円如何したっけ。
ボンヤリしたまま、しばし黙考。
すると、親切なおばちゃんは、又しても
「ここです、ホラね」
左上の赤い返却ボタンを押してくれた。
十円玉が下に、チャリンと音をたてて返却。
「ご親切に有り難う御座いました。喜んでつかわさせて頂きます」

おばちゃんは、ニコニコ満面の笑みを浮べ、良かった良かったを繰り返し立ち去った。
私は狐につままれた様でもあり、とても大切なものに触れたようでもあり、
何かものすごく美しいものを贈られたようで、気持がワクワク楽しくなってきた。
今のこんなにギスギスシて、人間関係がギクシャクした時代に、
昔なら何処にでもあった人間の優しさと親切や真心に触れたようで、
まだまだ世の中捨てたもんじゃない。
開店時間に遅刻しそうなので、足早に店へ。

途中、食堂に立ち寄り夕飯を食べる。
人間の優しさに触れたせいか、二日酔いでも不思議と食欲が出る。
やがて、店を定時にナントカカントカ、やっとのことでオープン。
このフリーパス、このままにはしたくないなと思いきや、
7時頃、お客さまが2人で来店。
「○○さん、今日はどちらで帰るの?」
「今日は東上線で、常盤台まで」
「残念だな。三田線じゃ駄目?」
「志村坂上でも大丈夫、歩いて12分位だから」

「それじゃ、このフリーパス使ってよ。今日親切なニコニコおばちゃんに貰ったやつ」
私がフリーパスの経緯を○○さんに説明。
「マスター、すごくいい話しね。なんか、このパスを使うと良いことがありそう。喜んで使わしてもらいます」
「良かった、ニコニコおばちゃんの親切を人に伝えてあげて、本当に嬉しいね」
楽しいこと良いこと嬉しい事を、いつもみんなに伝え合って、生きて行きたいものですね。


我が町大山の昔
4.10<木>

イトーヨーカドーの創業者、伊藤 雅俊氏の「私の履歴書」を読んでいたら、
イトーヨーカドー大山店の記事が出ていた。
1979年のこと、幹部役員が海外視察旅行の時、大山店で出火。
幸い類焼は免れたそうだが、東京で最も長く燃えた火事といわれたそうだ。
私が大山に店を出した当時、イトーヨーカドーもハッピーロードにあったし、
遊座商店街には静岡屋もあり、そこそこのものは、池袋まで行かなくても間に合ったもの。
映画館大山東映もあり、全盛期には映画館が、なんと5館あったそうだ。

キャバレーも「ロンドン」「プレーガール」など幾つかあった。
大山が華やかで大いに賑わっていた往時、ヤクザものも多かったが、
板橋区一番、大げさに言えば、東京でも有名な繁華街だった。
昔の板橋区の住民は、大山に住むのが夢だったそうだ。
タクシーで帰る道すがら聞いた、運転手さんの話しによれば、
「大山に這入って来た瞬間、いくらでもお客様が乗ってきたものだ。朝まで人で人でごった返していた」
早くそんな賑やかな大山が再び戻ってくると良いのだが。

そのためにも、個性をもった個人の店がたくさんできることにより、大山の町が活性化し、
商圏として豊かで魅力溢れるエリアにならなければならないのだろう。
スポーツの世界も強い個人が集まり、初めて強いチームになる。
同様に、強く魅力的な個店が集まり、何処にもない魅力的な商圏が生まれる。
最近は、個人商店は次々に廃業し、そこに大手の居酒屋チェーン、焼き鳥や、コンビ二、
コーヒーショップ、100円ショップなどのオンパレードになってきた。

確かに街は明るくなり、活性化されてきている。
しかし、何処にでもある平準化され、特徴のない街になってきているのも事実。
私たちも含め、個性をもった力のある個人の店が、大いに頑張らなくてはいけない。
日本に一つしかない楽しい街を、何時かみんなで造りたいもの。