小さな旅&日記


川越祭りは半端じゃないね
10/26<日>

10月19日<日>、二年ぶりに、川越祭りにやって来た。
駐車場に車を入れるのもやっとこさの賑わい。
しっとりと落ち着いた風情の小江戸川越も、今日だけは街が人と屋台と鳴り物でごった返す。
とりあえずは、川越駅の方へ行ってみよう。

この人ごみでは、どちらが何処なのか、まったく見当がつかない。
川越駅の廻りも老若男女で一杯、一体全体どれくらいの見物客が繰り出しているのだろうか。
屋台の数も半端じゃなく凄い。
何百と言う数え切れない程の屋台が、川越の街を狭しと、ビッシリと張り巡らしている。
やはり、祭りには、少し恐いくらいのテキヤの屋台が似合う。

祭りのクライマックスは夕方6時から始まる。
山車と山車がすれ近いざまに、囃し方や踊り手の応酬が見事な「曳っかわせ」にはまだ時間がある。
人ごみの中、蔵が建ち並ぶ通りを進み、地酒や名産物販売コーナーで、
生の川越地ビールや栃木の地酒やらを飲み、
ママは運転なので、フレッシュジュースを飲みながら、暫しの休息。

やがて、囃子の音が大きく激しく鳴り響き始める。
山車がそろりそろりと動き始めた。
私達も人ごみの中へ。
すでに、道路の真ん中は、山車と引き手で占領、沿道は人で押し合いへしあいの大混雑。
だいの大人でもはぐれない様にしなければ、大変なことになる。
恥ずかしくも、迷子なんてな情けない事にあいなる。

山車が一台近づいてきた。
太鼓がドンドコドンドコドンドン、小太鼓テケテケテケテケ、スットントンと気味よく、
鉦はチャリーンコチャリーンコチャリリーンコ、チャリリンリン、横笛ヒョロヒョロヒョロヒョロ、ヒョロリーンリーン。
狭い欄干舞台ではおか目が着物姿でクネクネ踊る。
仮面をつけた仕種や演技や踊りが、艶かしくも異様に、さらに異彩を放つ。
人間のわざとらしくいやらしくも小賢しい顔を、仮面でスッポリ消し去る事により、
人間の本質的な情念なり欲情が放散されるのか、異様な表現の魔力を照射しているようで、
くにゃりくにゃり踊りは猥雑な表現でありながら、おどろおどろしい人間の狂気までをも表現しているようだ。

沿道脇に設えた特設舞台、静御前のような女房がおか目に、なにやら怒りを体全体で表す。
山車がくるりと回り舞台のように大きく1回転、おか目はあざ笑うかのように、女房を挑発、まさに一触即発。
提灯を手に手に、曳き手たちが欄干舞台のおか目を、イェイイェイェーイ!と囃し立てる。
山車の引き手も舞台の演者も囃し方も、特設舞台も観衆も渾然一体。

やがて、ひょっとこをのせた山車も到着。
おか目に対してなにやら挑発。
囃子は互いに、スットコドッコンスットコドッコン、ピーピーヒャララリ、チョリリーコリーン、
囃し方の儀礼打に始まり、壮絶なバトルが展開する。
受けてたつおか目、まさにひょっとこをあざ笑うかのよう。

ひょっとこの山車が1回転、おか目の所業を諌めるかのように、あるいは嗜めるかのよう。
一進一退のパフォーマンスがながながと繰り広げられる。
そして、女房、おか目、ひょっとこが三者三様、強烈な個性のせめぎ合いが繰り広げられる。
まさに、観衆をも撒きこんだ、一大野外時代劇スペクタクル。
街の辻のいたるところで、こんな凄いドラマが展開している。
時間はあっという間に過ぎ、祭りの終章が近づいてきた。

騒然としたなかにも、何か素晴らしい体験と感動をしたせいか、私達は心地よい疲労感を感じる。
とぼとぼと口すくなに歩きながら、帰路に着く。
街はまだまだ祭りの余韻で賑々しく華やいでいる。
このまま帰るのは何とももったいない事、何処かで美味いものを肴に、
祭りの余韻に浸りながら、一杯やることにした。
勿論、帰りの車の運転をするママは飲めないのだけれども。

酒はやっぱりぬる燗だね
2003.10.8<水>

めっきり秋色が深くなる。
武蔵野の面影を色濃く残す、わが板橋区徳丸地区。
公園に残る雑木林の広葉樹も、黄金色に輝きながら、ヒラリヒラリ、ヒヤリと冷たい風に舞い落ちる。
もうすぐ満艦飾の木の葉の絨毯を踏みしめながら、公園を散歩しながら出勤出来る。
なんとも豪勢な話し。

10月4日は旧暦で重陽の節句、9月9日の菊の節句にあたる。
この日をさかえに、寒暖が徐々に入れ替わる。
室温でもそろそろ冷たい酒に、菊の花びらをスーッと、少し山吹色に染まった、腰の強めの冷酒に浮かべ、
照り映えた菊の花を眺めながら、菊酒をちびりちびりと、備前焼のぐい飲みで、一献やるのはなんとも贅沢。

この日から、そろそろ燗酒が美味しくなる。
人肌につけられた酒、有田焼の薄手の猪口に注ぎ、ちびりちびり手酌酒で飲むのも粋なもの。
最近は、ぐい飲みやらグラスやらで、吟醸酒や純米やらを飲まされる事がつとに多くなった。

しかし、日本酒の奥義はやはりぬる燗の酒。
盃でチビリグビリとやりながら、
気心の知れた友達やら、妖艶な女性やらとサシツササレツの献酬は、古来日本の酒飲の文化。
もっと、酒飲のいなせや粋を大切にしたいもの。
だんだんと全ての仕来りや習慣が、大雑把になってきたように思う。