小さな旅&日記

「壮大な夢の実現は、すぐそこまで来てたのに」
2003.1.29

1月17日のこと。
「いらっしゃい、久しぶりですね」
「マスター、覚えてる。この前は、何時来たかしら」
何時もと違って、心なしか元気がない。
言葉に力が無く、弱弱しい。
「まだ、暖かかったから、六月ごろかな」
2人は静かに、カウンターに座った。
「マスター、社長、何時も何を飲んでました?」
「そう、社長はバーボンが好きだったね。私が勧めた、イーグルレアーを飲んでいたな」
「それ、ロックで下さい。社長は何時も、ロックでしたから」
「私も、同じものを下さい」

私は、氷をカットして、2人に出した。
「社長は、いつもこれを飲んでいたんだ」
「そうか、社長はこの店で、この酒を飲んでいたんだ。
わかる様な気がするよ。俺もこの店好きになりそうだ。
マスター、俺もこれから、ちょくちょく寄らして貰ってもいいですかね」
「それはもう、勿論OKですよ。是非、いらして下さい」
2人は、静かに、何かを噛み締めるかのように、バーボンを啜る。
女性の瞳には、重く涙がウルウルと浮び、今にもドッと零れ落ちそうである。

「マスター、社長、先月の17日に亡くなりました。今日は、社長の一月命日なんです」
私は、余にも突然のことで、言葉を飲み込み、声が出ない。
「今日、社長の家で、お線香をあげて来た帰りなの。
そしたら、どうしても、ピーポッポに寄りたくなって、こうして来てしまいました」
「そうなんですか。あんなに元気で、病気なんか、まったく縁が無いような方でしたけれども」
「弟は、肝臓ガンだったんです。入院して二十日で亡くなりました。
今でも、すぐそこにいるようで、堪りません」

「二十日間ですか。まだまだ、私よりズット若かったのに、残念ですね」
彼女は、バッグの中から、一枚の記念写真をカウンターに出した。
「これが、社長との最後の、会社の慰安旅行になりました」
浴衣姿で、社長は、ドッカリと真ん中に、堂々と、元気そうに座っていた。
「こんなに、社長は元気だったのに」
少し涙声になるが、シッカリと泣くのを堪えている。

「この時は、弟は、まだまだ元気だったのに。本当に、ガンは恐いです」
社長は、脱サラをして、苦労しながら、医療関係の会社を興す。
文字どうり、獅子奮迅の如く、馬車馬のように働いたそうです。
彼の、人懐こい笑顔と思いやりのある性格で、取引先の人たちから、
大きな信頼を勝ち取り、会社は10年間で急成長した。
社長は、去年私に語った。

「マスター、やっと自社ビルを買ったよ。これから、僕の夢を実現するつもりです」
「まだ、夢があるのですか?」
「僕はフィリピンが好きなんです。前に、言ったこと無かったかな。土地を買ったって話」
「何エーカーか買ったって、あの話しですか?」
「そう。僕は、もう少ししたら、今の仕事は辞めて、
フィリピンで事業を始めるそのための土地なんです」
「今の会社は如何するのですか」
「僕が居なくても、会社は大丈夫です」
社長の夢は、壮大な夢でした。

でも、壮大な夢に向かって、事業は既に着手されていた。
余にも、社長は時を急ぎすぎたのかもしれない。
しかし、壮大な己の夢の実現へ向かい、まっしぐらに突っ走った社長は、
己の夢と壮絶な討ち死にをしたのかもしれない。
私達が失ってしまった、男のロマン、武士道などを、
社長は身を持って体現したのかもしれない。
五十二歳、短い人生を潔く、輝かしく生きたのではないだろうか。


「千両役者が揃いすぎると、映画は希薄に」
2003.1.11

昼の一時頃、昼飯を食べながら、ケーブルテレビで映画を見る。
何とはなしにテレビに目をやると、井上靖原作「本覚坊遺文」が始まるところだった。
かれこれ、20年以上前、小説で読み、深く感銘をうけた覚えが有る。
きっと、この作品は、誰かが映画にするなと思いきや、すぐ映画になったと記憶している。
当時封切りで見に行きたかったのが、何時ものことで、行きそびれてしまった。
その映画が、偶然にも、今、テレビで放映し始められる。

監督は熊井 啓、千利休は三船敏郎、本覚坊は奥田映二、小田有楽斎は萬屋錦之介、
古田織部に加藤剛、数え上げればきりの無いほど、当時の映画界、演劇界の重鎮が、
これでもか参ったかというほどに、押すおすなで登場する。
それぞれ、一枚看板をしょうだけ合って、貫禄といい個性も際立っており、
一人一人の演技を見ているには、それなりに面白い。

だが、映画の統一された凝集力と言う観点では、
個人個人が秀ですぎ強すぎてしまい、バラバラな印象をぬぐえない。
監督の表現したい一番大切なテーマなりモティーフなりが、
こちらにビシビシと伝わらないのはどうしたことなのだろうか。
個が強すぎて、全体が希薄化するのはおいに問題がある。
野球でもサッカーでも、個が強いことを前提にして、強力なティームが出来上がる。

管理野球などと、かつて持て囃されたこともあったが、基本は個人の比類まれな、
磨かれ鍛え上げられ、人に感動を与えることの出来る個人の力である。
その力の集積と統合の上に、個人では出来ない、想像を絶する、偉大な表現をも可能にする。
力の有る役者をゴマンと集めたならば、監督の演出力により、
迫真の演技とリアリティーを持った役者たちにより、感動的な映像を作り上げることは可能なはず。

例えスターであろうと、偉大な役者であっても、監督は遠慮はしてはいけない。
膨大な時間と金と才能のある人間のエネルギーを、無駄にしてはいけないのである。
素晴らしい役者達を集めているなら、とてつもない感動的な作品を生み出す責務が、監督にはある。
ふと、気がつけば、この映画に登場した大御所は、殆どが他界している。
冷酷な時の無残さを感じた。

ドラマが終わり、映像が終幕に向けてスルスルと流れている。
最後に、協力や後援会社の名前が浮かび上がる。
今は、凋落した西武グループや西友の名前が映し出され、映画は終わった。
日が昇り絶頂にあったものも、必ずや何時かは沈むのかもしれない。



賀春

2003.1.4<>

いつもの事で、大晦日から元日の朝まで営業する。
この27年間、およそ紅白歌合戦とは無関係の人生である。
子供の頃は、紅白がはじまる前に、風呂に入り、晩飯を済ませ、一家がテレビの前に集まり、
ミカンやお菓子をつまみながら、ワクワクと始まるのを待ったものだ。
始まるや、赤が勝った、これはヤッパリ白だねなんか言って、いっぱしの批評家気取りで、
子供ながらにアレヤコレヤ論評しているうちに、あっという間に紅白も終わる。、

除夜の鐘がゴーン、ゴーンとなり始めるとともに、荘厳な気持ちで、鐘の音に耳をすませた。
古い一年が去り、新しい年を、大人も子供も、厳粛な気持ちで迎えたものだ。
そう、これで、2002年、私達の大晦日も終わったのだ。
包丁や、何時もお世話になる大切な道具類をカウンターに並べ、感謝の気持ちで盛り塩をする。
店を閉め、家に帰る途中、熊野神社で初詣を済ませる。

参拝者は既にまばらで、私達は賽銭を投げ、良い年でありますようにと2人でシッカリと祈る。
早く世の中が明るくなり、社会が逞しく活動的になり、
経済も活性化された時、私達の商売も豊かに実る。
今年こそ、全ての人が良い年を迎えられますよう、心より祈念します。

ショット バー ピーポッポ