小さな旅&日記

本当に楽しかったな、サンズマーケット
 IN PーPOPPO LIVE

2003.2.27(木)

リハーサル風景。左から、田原さん、松村さん、飯野さん
03.2.23(日)は、サンズマーケットのライブの日。
前日の天気予報では、夕方から雨模様。
でも、かろうじて、当日は曇り、何とか天気はもってくれた。
私は店に約束の4時にまでに行かねばならない。
何時もと違い、少し余裕をもって家を出る。
何か忘れ物があるようで、気持ちが悪いが、ともかく駅までサクサクと急ぐ。
駅に着くや、「アレ!鍵がない、ヤッパリ!」
慌てて、ママに電話を掛ける。
「ママ、ヤッパリ、忘れ物。鍵をタノム〜」
余裕を持って出てきてよかった。

三田線の区役所前で降りる。
あまり、時間がない。
買い物も途中でしなければと考え、店への近道を早足で急ぐ。
アレ!学生時代の友達みたい。
「倉持さんじゃないですか?」
半信半疑に尋ねる。
「倉持ですが・・・」
本人も、怪訝な顔。
「西洋史の田村だよ」

「なんだ、何処のジェントルマンかと思ったよ」
「そこのマンションにまだいるの?」
「うん。電話も同じさ。田村、元気そうだね」
「ああ。今日もこれから、店でライブ。よかったら見に来いよ。6時から」
なんと、16年ぶりの再会であった。
なんとも、今日は慌しい一日だ。
店に、4時少し前に着く。

良かった、まだ誰も来ていない。
やはり、店の主人が一番早くなくては、格好がつかない。
店を開け、スタンバイしたところへ、謙吾さんがみえ、すぐさまメンバーが揃った。
それぞれ、ライブの準備を行い、やがて、リハーサルが始まる。
私は、ファクスを送る用事があり、店をしばし離れる。
戻ってみると、サンズマーケットのリハーサルは、すでに熱気を帯びてきた。
6時のオープン前、既にうら若い女性が入店してきた。

6時30分頃には、既に店はいっぱいになり、立錐の余地もなくなる。
つくづく、もう少し店が広ければなーと思わず溜息が出る。
殆どが、若い女性客。
さすが、サンズマーケットは女性に人気がある。
やがて、演奏が始まる。
オープニングは「ポスティング・クルー」
謙吾さんの、綺麗に透き通る、華やかなハイトーンが響き渡る。

あまりに観客とサンズマーケットの距離が近すぎるのか、歌うほうも聴くほうも少し緊張気味。
しかし、「IDKの潜水艦」、「DO YOU WANT TO KNOW 、SECRET?」、「BLAK BIRD」と
進むうちに、お客様もだんだんとリラックス、ピーポッポの不思議な空間にも馴染んできたようだ。
「空を見上げてた」、「セーヌ通り」、「雨にぬれても」、「花やしきで会いましょう」
サンズマーケットのメンバー、会場の熱気で汗だくになって来たようだ。

狭い空間で、窮屈そうにお酒を呑みながら、熱心に熱い視線を投げかけながら、シッカリと聞き入るお客様。
私は大感激!心の中で、皆様に「アリガトウ」を叫びたくなる。
「さよなら、ペニーローファー」、そして、「ロンサカパ・センテナリオ」が始まる。
今までの曲想とはあきらかにちがう、哀愁をおびた心に響くメロディー。
謙吾さんが大山にスタジオを構えていた頃、私の店で呑んだ酒、グアテマラのラム酒、
ロンサカパ・センテナリオに感動して書いた、私達とサンズマーケットの思いで深い曲である。
「見つめていたい」、「不毛な毛布にくるまって」、
謙吾さんたちの語りも滑らかになり絶好調、益々盛り上がってきた。

「PERFECT」、「エスプレッソをもう一杯」、いよいよ1部も最終章に向かう。
5枚目のサンズマーケットのCDのタイトル曲、「玄米ライフ」でしめて、
楽しい1時間半にわたる1部は無事終了した。
お疲れ様、お客様もサンズマーケットのメンバーも一休み。
店の中は、ワイワイガヤガヤ、ワキアイアイと交流の時を楽しく過ごす。
やがて、2部が始まる。
お客様のリクエストに応えたり、即興で曲を演奏したりで、ピーポッポはノリノリ最高潮。
あっという間の2時間半の楽しい時間が過ぎてしまいました。
サンズマーケットの皆さん、ご苦労様。
そして、遠いところから、わざわざピーポッポのライブに来て下さったお客様、
大変にアリガトウ御座いました。


スナック「てんじん」は心の中に、何時までも

2003.2.11(火)

1月19日の月曜日、店に着くと、玄関に挟まっていた官製葉書が、
パラッと玄関マットに落ちた。
はて、年賀状の返事にしては遅いし、ふと嫌な予感がした。
葉書を拾い、差出人を見た。
牧田俊也とある。
マスターに何かあったのかな。
玄関を開け、店の中に入り、電気をつけ、葉書の詳細を読む。
マスターの弟さんからの葉書であった。

「兄、綾夫は、平成13年5月20日、急性心不全で急逝しました。
急のため、連絡不行き届き、誠に申し訳御座いませんでした」
何ということだろう。
たしか、去年も年賀状を出したはずだけど、まったく知らずに、今年も年賀状を出した。
いつも、筆ペンで、「いつも元気で酒飲んでいる。今年もお互い、頑張ろう」
なんて、勢い良く、デカデカと葉書に書かれていたものである。
今年は、如何したんだろう、不思議だなと思いきや、大変な葉書が届いてしまった。
すると、去年は年賀状が届いていなかったわけだ。
狐に包まれたようで、頭が混乱してきた。

昔、私が湯島天神のまん前のマンションに引っ越したのは、28年前のことである。
仕事の帰り道、上野の風月堂の裏道を通り、かつての黒門町を抜け、
湯島の男坂の方に、ぶらりと寄り道をした。
すると、湯島天神男坂への参道の入り口に、
スナック「てんじん」の看板が、ポツンと少し遠慮がちに灯っていた。
まだ、カラオケも8トラックの時代。
中に入ってみると、スナックの客達は、みな歌詞本を見ながら、楽しそうに歌っていた。
私はもっぱら、酒を飲みながら、静かに聞き役にまわっていた。

それ以来、私が板橋に引っ越すまでの9年の間、
マスターの店にチョコチョコ顔を出し、湯島、上野、本郷、浅草の連中と酒飲み仲間になった。
スナック「てんじん」の閉店はAM2:00.
マスターが得意げに歌う「さよならルンバ」で終わり、照明がパッ明るくなる。
そして、スナック「てんじん」の一日は終わった。
そのあと、上野、湯島界隈へ、よくみんなで繰り出したものである。
マスターは根っからの地元人、何処へ行っても人気者。
ついて行く我々も、お陰で大変に、いろいろおいしい思いをさせてもらった。
スナック文化の全盛期であった。

水割りやビールにカラオケ、世の中は賑やかなバブルの絶頂期に向かっていた。
やがて、バブルも弾け、スナック「てんじん」も昔の勢いを失う。
ながい間続けたスナック「てんじん」を、マスターはたたたたむ事になった。
あまり詳しいことは分らずじまいだが、言葉に出来ない、色々なことがあったのだろう。
ある時、私の店に、マスターから、久しぶりに電話がかかってきた。
「田村さん、店たたむ事にしたから、お別れパーティーに顔出してくれる。みんながやってくれるんだって」
「勿論、伺わせてもらいます」

そして、スナック「てんじん」で開かれた最後のパーティーと共に、
ながいながい、スナック「てんじん」の灯が、寂しくも湯島天神下から消えた。
パーティーの当日、「田村さん、板橋に引っ越す時、都落ちだったよね。そう思ったんじゃない?」
「僕は何処へ行っても、馴染んじゃう方だから、そんな気はしなかったけど」
「そう。俺、こんだ柏で店をやる事にったの。この店全て処分する。都落ちだよ」
地元に生まれ地元で育ち、湯島てんじんの氏子でもあった彼には、とても辛いことだったようだ。
昔は大晦日になると、何時もの店の仲間達が、「てんじんに」三々五々に集まってくる。

店の前は、初詣の参拝を待つ人たちで、十重二十重に群がっている。
私達は、その長蛇の列を酒のつまみに、悠然と酒を酌み交わし、ワイワイガヤガヤ飲んでいたものである。
やがて、除夜の鐘と共に、初詣が始まる。
私達は、参拝客の列を尻目に、神社の関係者の腕章を、腕に自慢げに巻いて、
急な男坂をサクサクと登り境内に行く。
境内では、「てんじん」の仲間達が、天神太鼓をドーン、ドーンと勢いよく叩いている。
焚き火は天まで届かんばかりの勢いで、ガンガンと燃え上がっている。
仲間がお神酒をくれる。

焚き火にあたりながら、ベチャベチャたわいない事を話しながら、メデテーメデテーなんて、
訳のわからない下町言葉を交わしながら、お神酒がグイグイとすすむ。
フラフラした足取りで、サッと列の前にずるして潜り込み、初詣を済ませ、
そして、またマスターの店に舞い戻る。
店では、堪え性もない仲間達と共に、新年早々の大宴会が始まり、またまた酒をグビグビ呑んだものである。
スナック「てんじん」は、私達に多くの楽しい思い出を紡いで育ててくれた。
マスター、天国では、好きな酒を浴びるほど、好きなだけ飲んでいてください。