小さな旅&日記


仕事が楽しそうで、見ていても気持がいいね
2003.6.24<水>

先日、からっと晴れ上がり、初夏の薫風に誘われながら、酒の仕入れに遠出する。
高島平から、大宮バイパスを抜け、笹目の大橋を渡る。
荒川は満々と水を湛え、川面はキラキラと初夏の陽光に輝く。
河川敷のグラウンドには、色とりどりの野球のユニホームが、モザイク模様のように点在する。
川から吹き付ける心地よい風が車窓からサーッと吹き込む。
車は一路浦和まで、バイパスを一直線に突き抜けてゆく。

美女木あたりの交差点で右にハンドルを切り、そして、すぐさま左にきる。
真っ直ぐに進むと、ディスカウント・ショップのロジャースの駐車場に突き当たる。
今日も居た、駐車場のガードマン・オジサン。
紺のツバつき帽子に紺の制服、右に左に交通整理。
夏の陽射しの中で、体中汗ビッショリ。
顔からは汗が滴り落ちている。

多分、下着や制服もグッショリ、かなり重くなっている事だろう。
年の頃なら、私より幾分したくらいのオジサンさん、ダイリーグの野球の名物パフォーマンス審判のよう。
リズミカルに軽快に、そしてしなやかに、あたかもバレーでも踊るかのように。
いつもの事ながら、晴れやかに見事に、一挙手一投足が決まっている。
前に何台か車が止まり、駐車場に車が入ったり出たりで待たされる。
でも、オジサンの表現力豊かなパフォーマンスにほくそえみながら、ついつい見とれてしまう。

「イヨー、○○ヤー!」と声をかけたいくらい楽しくなる。
まだ、ずっとここで、パフォーマンスを見ていたいくらいだ。
自分の仕事を一生懸命に働き、なおかつ楽しんでいる姿は、美しくも楽しく、こちらの気持を和ませてくれる。
また、帰り道、オジサンの華麗なパフォーマンスに会えることに期待しながら過ぎ去る。


昔は、町はみんなの遊び場であった。
2003 6・6<金>
駅への道すがら、まだ残された畑の策越しに、カイドウが赤・白・ピンクに、
貴公子ぜんとして、賑やかに咲き誇っているいる。
カイドウが咲くと夏も真近、様々な花々がいっせいに咲き乱れる。
朝顔も遠慮がちに、すまなそうに、脇からそっと顔を出す。
茶畑の若芽は、ボウボウと芽を出し、無秩序状態。
早く摘み取り、「お茶にしてください、今が一番美味しい旬ですよ」
一生懸命教えてくれているようだ。

板橋へ来る前、湯島天神の前に住んでいた。
よく、暇を見つけて、俵町・稲荷町・下谷・根津・谷中・千駄木・本郷など、ブラブラ散歩したもの。
下町には、何処にも裏路地がある。
三軒長屋のような建物もいまだたくさん残されていた。
一間ほどの間口には、この時期、季節の花々が咲いている。
狭い場所に、端正込められた草木が、箱庭に活けられ、
躾よく育てられた草花が、楚々と咲いている。

暑い日には、何処の家も、通行人がハネをあげぬほどの打ち水を撒き、
裏路地は涼しげになる。
車も入れぬ狭い道、昔は、子供達の楽しい遊び場。
野球をしたり、隠れんぼうや缶けりをしたりの運動場にかわる。
たまには、大失敗!
野球のボールが、近所の窓ガラスをバリーン!
泣き泣き謝る子供に、「○○坊、いいよいいよ。さ、これでも食べな。これから少し気をつけな」
かみさんが優しく、飴玉をくれる。

やがて、大仰ではないが、気持のこもったお詫びの菓子折りを持って、
お母さんに○○坊は連れられ、謝りに。
昔、町はみんなの生活の場であるとともに、みんなで共有し育てる空間でもあった。
板橋の大山で商売を始めて19年になるが、最近は近所で開店しても、
挨拶に来る人もいなくなり寂しい限り。

何時の頃から、人間関係がこうも希薄になってしまったのか、いささか嘆かわしい。
アメリカが日本人にした最高の教育。
自由・平等・博愛・契約等を標榜するが、現実には、悪平等・責任無き自由を教える
現代日本の教育が、日本人の魂を腑抜けにしたような気がしてならない。
政治家にしても、アメリカに毅然として、NOといえない人物が多すぎる。