小さな旅&日記
2002.8.23
ママが入院してから、今日でちょうど、丸一年が経過した。 いろいろ大変な事があったが、あっという間に、無事に今日を迎えた。 元気なママを見ていると、ホンマかいなソウカイナという感じで、 去年のことが嘘のように思われます。 それ程、ママが元気になったと言うことで、とても嬉しいことです。 皆様の、温かいアドバイスや励ましにより、家族全員で、 苦境を乗り越えられ、大変に感謝しております。
先日、新聞を読んでいたら、 還暦を迎えた医師の話しが紹介されていた。 長い間、余命いくばくもない患者をみとってきた時の体験から、 三つの心得を、自分に課するようになったそうです。 まず、患者の痛みを止める。 二つ目は、患者のいいところをほめる。 どんな人であろうとも、其の人生にあって、 絶対に、幸せな時、得意絶頂の時期がある。
それを聞き出して、褒める。 おのれ自身の生きていたことの、素晴らしい証を実感した時に、 生きてきたことの喜びを確証し、 今を耐えることを受け入れられるのかも。 そして最後に、黙って、その身体をさする。 無心になって、ただひたすら、自分の生の温もりを患者に伝える事が、 患者へ優しい心の癒しになり、人の心根の深さに触れ、 やがて来る終末を迎えることができるのかもしれない。
医者にできる、最後の仕事は、 患者の身体をさする、それ以外は何もできない。 でも、それが、終末を迎える患者への最良の贈り物ではないか。 私も、私の手で優しくさするように、 大事な大事なお酒やカクテルを、皆様に提供したいものですが、 まだまだ、修行が足りない未熟者ですので、私の永遠の課題にします。
これからもマスター&ママで頑張りますので、よろしくお願い致します。
2002.8.20(火)快晴
午後三時半くらいだろうか、駐車場から車を出すとき、 笑顔の綺麗な男の子に出くわした。 赤塚一中からの帰りなのだろう。 僕らの顔を見るや、少しテレ気味に、ニコッと素敵な笑顔で、ペコッと頭を下げる。 ハンサムボーイは、すれ違う全ての人に、彼は挨拶をする。 照れくさいのか、挨拶と同時に、前かがみになりながら、 昔風のショルダーカバンを揺らしながら、早足で通り過ぎていく。
きっと、赤塚一中の特別学級の生徒なのだろう。 私は、彼と道ですれ違う時、どちらからともなく、いつも挨拶を交わす。 彼の黒く輝いた綺麗な瞳が、溢れるように、 「コンニチワ、コンニチワ」と語りかけてくるので、 笑顔の下手な私も、誘われて、ついつい微笑んでしまう。 この笑顔君は、キット人に裏切られたり、叱られたり、殴られたりされた事もなく、 両親の温かい愛情に包まれて、育って来たのだろう。 私は笑顔君の、優しく澄んであどけない笑顔に出会うとき、 何時もハッとさせられる。
私たちが失ってしまった、人への情愛や優しさの大切さを思い知らされる。 笑顔君は、人よりも物を覚えたり学んだりする事には、 大変な時間がかかる事だろう。 しかし、自分時間で一歩一歩進む時間の中で、 シッカリと消化して、やがて自分のモノにする。 時に追いかけられながら、アクセクとヘタに学問をつんだばかりに、 己の体と頭とハートで、モノを考えられなくなってしまった愚か者達より、 なんと豊かでナイーブで素敵な人生を生きているのだろうか。
笑顔君達が生きてゆくには、日本はまだまだ未熟で幼稚で、 なおかつ、過酷で生き難い国であろう。 笑顔君たちは、自分で感じ考える、素晴らしい才能がある。 あとは、その才能を表現できる環境が是非とも必要だ。 でも、とり合えず、キット笑顔君だったら、見つけられるはずさ。 名前も何も知らない笑顔君が、何時か、 「ナニカ」を表現した時、その作品を見てみたいものだ。
2002.8.5
七月は想像を絶する暑さが続き、ふと涼しい日が、何日も続いたせいで、 場所によっては、ススキやら秋草や秋の花々が、咲きだしたところがある。 植物の胎内時間が狂い、すでに秋の到来を報せた結果だそうだ。 何処かこの日本は、人も植物も生物も、生きとし生けるものの全てが、 異常をきたしているようだ。 またまた一転、猛暑の復活で、ビックリ仰天している事であろう。
でも、一度咲いたものは、後戻りがきかない。 さぞや、苦しい思いをしながら、キット悲鳴をあげている。 何とも、残酷な話しではないか。 異常気象の連続、二十年後は、九州を熱帯に変えてしまうそうだ。 想像しただけでも下に恐ろしい事だ。
それもこれも、全て、愚かしい人間が、神の摂理に逆らいながら、 文明と言う、一見快適そうな「甘い」物質文明の罠に、 嵌ってしまった結果なのだろう。 果たして、人は快適で「文化的」な生活が、そんなに必要なのであろうか。 豊かな自然に囲まれながら、太陽や月や星の輝きのもとで、 ゆったりと流れる時とともに、スローな生活ができれば最高ではないか。
最近話題になるスローフッドとともに、スローライフはさぞや、快適な生活であろう。
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