小さな旅&日記

「酒は、なんと、緑内障によいそうですよ」
2002.6.17(月)

まだ、開店間もない時間に、ぶらりとお客さまがみえた。
私は、メニューをさり気なく、差し出す。
「決まりましたら、おっしゃってくださいね」
お客様は、メニューを見ずに、カウンターの前の、ボトル棚を見ながら、オーダーした。
「マスター、ボウモア、くれんかな」
「いいですね。アイラ島のモルトは、昔は、なかなか注文がなかったですからね。
ストレート、オンザロック、何でお出ししましょうか?」
「ストレートで、頼むわ」
お酒を、いとおしむように、静かに口にする。

「マスター、やはり美味いわ。
この酒、わしの近くの店のマスターに、教えてもらったんや」
「なかなか、いいマスターですね。アイラのモルトを教えてくれるなんて」
「わしなー、目悪くしてもうて、わしの大好きな、コーヒー止められてな。
マスターに、相談したんよ」
「何の病気なんですか」
「緑内障、ゆうてな」
「聞いたことはありますが、どういう病気なんですか」

「私も、ようは分らんのですけど、精神的なストレスとか、
原因はいろいろあるそうですわ。
ひどくなると、目がバチッと破裂しおるそうですわ。
破裂しなくても、失明するそうですわ」
「怖い病気ですね。治す方法はないのですか?」
「それがな、残念ながら、ないんですわ。
一日、朝と夕方、二回、目薬を点眼するだけですわ」

「という事は病気とは仲良く、一生つきあってくれ、そういうことですか」
「まー、そんな事ですわ。何か、マスターのお勧めのモルト、お願いするわ」
「そうですね。このさい、アイラづくしで行きますか。
もっと、これより、香りの強いのいってみましょう」
「お願いするわ。わしあんまり、酒、詳しいないやから、教えて欲しいわ」
「ラガブーリンなんかどうですか」
「知らんわ。それ、頼むわ」
私は、ショットグラスに注ぐ。

「マスター、コレいいわ。いろんな酒あるんやな」
「マスターの店にないですか。こんど、その店にいれといてもらうといいですよ。
イギリスの、大変に有名な、ウイスキーの利き酒の大家、
ウォーレス・ミルロイという人がいるのですけど。この人が、この酒を、
{モルトウイスキーの巨人}と表現しているくらいですから」
「それがな、死んでしもたのや。まだ、40位やろ、とても残念な事してしもたな」

「それは、それは残念なことに。その店は、どちらにあるんですか?」
大阪の、茨木市いうてな。マスター、知らんやろ」
「聞いたことはありますね」
「京都と大阪の間あたりにあるんやけど。そのマスターにな、相談したのや。
わしの好きな、コーヒー、飲めんようになってしもうた訳や。
水もガブガブ飲めん。
医者に聞いたわ。酒はあかんのかて。

したらなー、酒も水で出来てるようなものやから、
アカン言うといたが、少しくらいは、言いやろいうてな。
もともと、精神的なストレスが原因なわけやから。
何もかも、楽しみが無くなってしもたら、
余計アカンことになるわけや。
したらな、マスターが、勧めてくれたのが、ボウモアやった。
もともと、わしは、酒は飲めんほうだったな。だから、今でも、4杯が限度や。

それ以上飲むと、頭が、クラクラしてよう飲めん。カックランとひっくりかえるわ」
「それはいいものを教えてくれましたね。私も大賛成ですね」
「でも、マスター、もし、わしが病気にならんかったら、わしは一生、
モルトウイスキーを知らんかった訳や。わしは、病気に感謝してる。
こんなに美味しいものに出あわさせてくれて、ほんまに感謝や」
「次は、何にしましょうか。折角だから、究極のアイラモルトで行ってみますか」
「それ頼むわ。折角マスターの店見つけたのに、来週、また引越しや。」

私は、アイラのモルトでも、特に刺激的で男らしく、
屈強なモルトのアードベックを出した。
「マスター、これ美味いわ。凄いわ。なんて言った?紙に書いとくわ」
私は、メモ用紙とボールペンを渡す。
「有り難う。アードベックね。おぼいとこ。ほんまに美味いわ、コレ」
「この酒が美味いなんて。酒が飲めないなんて、信じられませんね。

どちらかといえば、酒をほんとに好きな人が、飲む傾向がありますからね」
「マスター、あと何日かで、埼玉の与野に引っ越すけど、
東京には、あと2年ほどいるので、またよらしてもらうわ。
今日は、これで、よう飲めんわ。また来るわ」
彼は、引っ越すまでの間、ほとんど、毎日のように、早い時間に来店してくれた。
彼は、素晴らしいモルトウイスキーに、今日も、出会えたことに感謝していた。
考え方一つで、人は逆境も喜びに、転化できるものなのですね。

「飲むことの出来ないめない、想像のカクテルは、最高かも」
 2001.6. 8 (土)

今、上野の西洋美術館で、「プラド美術館展」が開かれている。
ベラスケスやムリーリョの傑作が展示されているようだ。
20年くらい前、スペインの絵画が、日本にやってきた事があったが
ベラスケスやゴヤなどの傑作は展示されずに、終わってしまった事がある。
見に行ってみたら、ベラスケスの傑作は、急遽取りやめになって、
とても残念な思いをしたことがある。

今回の展示は、ガラス越しではなく、なまで直接、
至近距離から見れるそうだ。
「おいおい、そんな危険な!大丈夫?」なんて、
ついつい老婆心ながら、小心者の私は心配してしまう。
芸術作品は、一度破壊されたら、2度と修復は効かない。

一度限りであるからこそ、その作品と向き合ったとき、
ピーンと張り詰めた、心地よい緊張感を味わい、
強烈で至高の感動を与えられる。
そこに、日常性の向こう側の、崇高な世界に誘われ、
私自身の心が解き放たれる。

何時も、時に追われながら、あくせくと、忙しくもないのに、
何故か、煩瑣な生活をおくっている私としては、何としても、
ゴヤの傑作に向かい合ってこなくてはいけない。
そんな事をつらつらと考えているところへ、カズチャンがやってきた。
「今、西洋美術館に、プラド美術館の珠玉作品が、やって来てるそうですよ」

「そうみたい。凄く混んでいるみたいですよ」
「それはソウダネ。滅多に、海外には出ないからね」
「西洋美術館、改装されて、とても綺麗になったそうですね」
「それじゃ、是非とも行ってみなければ」
「マスター、最近なんですけど。カンジンスキーの絵、
竹橋の近代美術館で見たんだけど、意外と暗い色合いなのよね」

「そうなんだよね。ミロみたいに、鮮やかで、輝かしく光った色調じゃないよね。
イメージとしては、バウハウスの工房で、デザインや絵画や建築を、
革命的に変革したのだから、スッキリと華やかで、
煌びやかな暖色系の色調のような、イメージがあるのだけれどもね」
「そうなの。以外に、灰色などの暗い色調なので、ビックリしたわ」
「今、思いついたのだけれど。抽象絵画は、最高の絵画の形態かもしれない。

カンジンスキーが言うように、物象は行き着くところ、点・線・面になる。
そして、色。全ては、この4つのモノで構成され、なお且つ表現できる。
見るもの、あるいは抽象的に表現された作品と対峙した人が、
おのれ自身によって、抽象を、想像の中で、現実のアルモノよりも、
強烈な空想の現実として読み取る。

ジャンポール・サルトルが言うように、想像力が、現実を超克するのかも知れない。
ということは、私が作ったカクテルよりも、
空想のコニャックとコワントローとレモンジュースをシェークして、
カウンターにアルとされる、カクテルグラスに注がれた仮想のサイドカーは、
最高のカクテルになるかもしれない」
「現実のカクテルより、仮想のカクテルの方が、最高に美味なカクテルな訳ね」
「そうなんだよね。形而下のカクテルよりか、形而上的で崇高なはずなのだから」

幾ら崇高で最高な形而上的なカクテルといったって、
絵に書かれていないのだけれど、絵に描かれた餅ではない、カクテルより、
飲めるカクテルの方が、絶対に美味しいと思うね。
何せ、酒には、咽喉越しの美味さがありますから。