小さな旅&日記
2002.02 
「足の裏のツボは、如何するの?」
2月26日
或る日のこと、某救命センターに、両足の裏を大火傷した患者が、運ばれた。
足の裏が、両足とも完全に焼け爛れた、悲惨な状態だったそうです。
救命センターの医師と看護婦達は、ティームワークよろしく、テキパキと一刻を争う治療を施した。
そして、患部の治療が終わり、いよいよ患者の足の裏に、完治後
、患者がキチッと、普通に歩けるように、足の裏を、人工的に造る必要があった。
そこで、患者の背中の皮膚を切り取り、患部に移植した。
今の医学は、驚くほどの長足の進歩である。
足の裏に、背中の皮膚を移植して、神経や血管を繋ぐ手術は、いとも簡単に行われ、
患者は短期間で、完全に社会復帰出来るそうだ。
この手術も,
3時間から4時間くらいで行われたらしい。
10年くらい前だったら、治療が不可能な病気や怪我も、
完全に治すことも出来るほどに、医学は進んでいるようである。
そういう意味において、私たちは、医学の進歩に、大いに感謝しなくてはいけないだろう。
両足の裏の移植手術は、大成功だったそうである。
手術にあたった外科医に、麻酔科の医師が聞いた。
「OO君、足の裏のツボはどうするの?」
「先生、ツボまで、移植出来ませんよ」
こんな冗談を言えるほど、医学は進歩したのですね。
勿論、患者さんは麻酔で眠ってますから、この冗談は聞こえません。


俺達は、団塊の世代であると共に、全共闘の世代だ!」
2月19日
今年になってから、何故か昔の友だちや、久々ぶりのお客さまが、ピーポッポへ来店してくれる。
高校時代の友達の加藤さんから、或る日突然電話が掛かってきた。
「オイ、俺の声分かるかね。前橋の加藤だよ」
「やー、久し振り、どうしたの」
「お宅へ行こうかと思ってるの。石井も一緒だよ。じゃー、これからそちらに向かうから」
そして、加藤君とは、なんと25年ぶりの再会、
石井さんとは、驚くなかれ、大学時代から数えて30年はゆうに下らない。
加藤君は、あと3年で定年だそうである。
「田村や石井はいいよな、定年ないから。うちは57で定年よ」
「でも、俺その分、司法試験に時間とられたから」
石井さんが、司法試験に受かってから、今日始めて会ったのである。
昔、金が無いのに、新橋や銀座で、一緒に酒を飲んだものである。
今は、虎ノ門で弁護士事務所を開いていた。
よく考えてみれば、俺達団塊の世代も、いよいよ遅かれ早かれ、定年を迎えることになってるようだ。
幸い、一般社会から、ズッポリと転がり落ちた私には、自分がギブアップしない限りは、定年はない。
その分、油断をすれば、すぐさま社会から放擲され、無残にも退場を迫られることにあいなる訳だ。
しかし、今、構造改革と称して、血も涙もないリストラの嵐が、私たちの世代に向かって、
無情にも正義面をして、日本中の津々浦々で吹き荒れている。
私たちの団塊の世代は、何処にいっても人の山であった。
競争の上にもまた競争、なんとも過酷な競争社会を、生き抜かされてきた。
そして、上手くいって無事に定年を迎える。
しかし、突然リストラという名の、無慈悲な決断が下される事もある。
家のローンも終わり、子育てもあと一歩のところで、突然にしてリストラである。
私は、サラリーマン生活を殆どしないで、好き勝手に生きてきたから、
会社勤めの事は、あまり理解できているとは思わない。
しかし、人事ながら、私たちの世代がリストラの嵐の矢面に立たされていることに、なんとも、とても腹が立つ。
少し前までは、終身雇用だ、愛社精神だ、忠誠心だとか、期待される人間像だとか、社会は理想を掲げていたではないか。
私たちの世代のお尻を蹴飛ばしながら、前へ前へと歩兵の如く、前線に叩き込んでおいて
、敗色濃厚になるや、突然自分たちだけ退却して、和戦するようなものではないか。
私たちの世代は、もっともっと、社会に怒りをもって、発言しようではないか。
私たちは団塊の世代であると同時に、誇り高い全共闘の世代でもあったのである。
いまだに、こんな事をのたまわっているのだから、いい歳ををして、青臭いと言われるのかもしれない。


酒場とホモルーデンス」
 2月3日(日)
最近、都市再生とかやらで、建物の容積率が緩和されるようである。
益々、都心には、高層ビル郡が立ち並ぶ事であろう。
古い建物が壊され、無残にも、新しい建造物に取って代わられることになる。
当然の如く、フランク・ロイド・ライトやル・コルビジェなどに代表される、明治時代に建築された、
歴史的な価値をもつ洋風建築物も壊され、世界中の都市に聳え立つビルと同じ顔をした、無味乾燥な建造物に替わってしまう。
確かに、古い皮袋に、新しいお酒は保存できないのかも知れない。
しかし、一度破壊したものは、二度と復元できないことも事実である。
私は秩父に良く出掛ける。
20年位前には、茅葺や昔ながらの黒瓦屋根に、立派な欄干や格子窓を持った
、日本家屋が至るところに、威風堂々と構えていたものである。
そして、山間に張り付くように点在する家々の光景に触れると、なぜか心がホッと和み、心地よく癒されるのである。
いつしか、地方にも、都会化という文明の波が押し寄せる。
古い日本家屋がガラガラと崩壊され、何処にでもあるような、平準化された、表情のない家屋に替わってしまう。
人は、生活の中に利便性や快適さを求めるのは、私もよく理解できる。
だが、文化というレベルでものを考えた場合、一見無駄と思われるものの中に、
人間にとって、合理性や利便性の対極に位置する、大変に豊かで大切な物がある事も事実である。
オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガ(JOHAN HUIZINGA1872-1945)が語るように、
文明を発展させるべく理性的で「思考する人間」のホモサピエンスに対し、
一見無駄と思える、非生産的な行為をする「遊戯する」人たち、つまりはホモルーデンスが存在する事も真実なのである。
「思考する人間達」と「遊戯する人間達」が微妙なバランスを持った、
活力に満ちた拮抗関係がたもたれていることが、健康な社会においては絶対に必要なのである。
さしずめ、私達の酒を提供する仕事は、まさに非生産的であるが、
人々に心の「遊空間」を提供する、ホモルーデンスの、憩いの場所であるのかもしれません。
酒場はまさしく、誰しもがホモルーデンスになれる、隠れ家であって欲しい。
そんな酒場になれれば、どんなにか素敵な事であろうか。