小さな旅&日記 2002年㋀ 「今年こそ、鎌倉へ」 2002年 1月6日 まだpM1:30だ。 「ママ、鎌倉へいこう。天気はいいし、最高のコンデション」 私は、パソコンで鎌倉への、車でのアクセスをさくっと調べる。サクッといけるのが去年と一味違うところ。 私達は、ママさんが運転、私は隣で、コンビニで買い込んだ温かいお茶をしみじみと飲む。 まずは首都高にのり、羽田線を目指す。 普段殆ど通らない路線なので、ママさんは少し不安げである。 しかし、酒を飲んでいない時の、私のナビゲーションは捨てたものじゃないぞ、ドーンと任せておいてくれ。 銀座を方面から横羽線にオロオロしながらも、なんとか狩場線に向かっているようである。 狩場と言うのだから、幕府の直轄の鴨猟などの狩場だったのだろうと、勝手に推測する。 東京湾岸を左に見ながら、ゆっくりと蛇行しながら多分横須賀線に突き進んでいるいるのだろう。 とうに羽田は過ぎた。 高速は一度間違えると一巻の終わりである。 慣れない私らは、高速道の表示が、どうも見にくくていけない。 路線分岐の表示が出ると、ドッチダ!ドッチダ!とついついあせる。 しかし、最近は少しは成れたせいか、路線変更と出口を間違える事はなくなった。 昔は、出たくもない出口をよく出て、とても情けない思いをよくしたものだ。 間違えなく、狩場線を南下している。 まもなく、必ず横浜横須賀道に出るはず。 不安を抱きながら、自分たちに言い聞かせるかのように、私達は確信する。 「間違えないわよ。ホラ、横浜横須賀道って出てるわ」 ママさんが、さりげなく、何時もの様に、感情を込めないタンパク質な言い方で、私にボソッと呟いた。 いよいよ横浜市に到着したのだ。 目指すは鎌倉、もうすぐそこまで来ている。 ビュンビュンと高速を飛ばすと、丹沢の山脈の上にクッキリと威風堂々と富士山が顔を出した。 天気は快晴なのだが、朦朧体と揶揄された、 横山 大観の富士ほどではないが、富士山は少し霞がかかかっていた。 (追記:明治時代のこと。日本の美術界いに反逆した岡倉 天心は下村 観山、横山 大観、菱田 春草らを引き連れ、 茨城県五浦の六角堂に籠もり、日本美術の再建を誓う。 当時、大観は下戸だったそうだ。 岡倉 天心は叱咤した。 「酒を飲めんような奴に、ろくな絵は描けん」 大観は、慟哭したそうだ。 「クソー、俺は飲んでやるぞ!」 努力のかい在って、彼は大酒飲みになった。 やがて、横山 大観(1868-1958)は、日本を代表する日本画家の大家になる。 在る時、大観から礼状が、酔心山根本店の社長のもとへ届けられた。 文面は「何時も何時も、酔心を毎日、晩酌に美味しく頂いております」 酔心酒造の社長は、いたく感動し大観先生に申し出た。 「先生、宜しかったら、先生の御飲みになるお酒、全て手前どもが引き受けましょう」 それからと言うもの、大観の飲む酒は、全て酔心が賄ったそうである。 たかが、絵描き風情の飲む酒と思ったのが大間違い。 余の量の多いのにビックリしたそうです。 定番は、2升三合、嘗て下戸だとは、絶対に信じられん そんなにも飲んだ大観先生、確か、91歳の長命でした。 長生きする人は、何をしてても生きるんですね) 富士山の山頂あたりに、ビロードのハットのように、雲塊がたなびいている。 こんなに大きな富士山を見るなんて、何て久し振りだろう。 見るチャンスは結構あったのだけれども、何時も暗闇の中なので、 まったく見るタイミングを失っていただけなのかもしれない。 早起きは三文の得と昔から言われているが、私達は何百両損をしている事だろうか。 うっすらと冠雪した冬の富士も美しいが、どこか大人しく上品で、私には優美すぎる。 葛飾北斎が描く、男らしく勇壮な「赤富士」を一度は見てみたいものだ。 それにしても、葛飾北斎なる絵師は、なんとも凄い人物であったであろうか。 彼に匹敵する絵描きは、古今東西、ピカソやゴヤをおいてないと思う。 製作された絵の数は勿論、さまざまな画風やモティーフ、テーマなど、 時代により同一の人物が描いたとは思われないほどに異なる。 そして、好奇心旺盛で精力的な活動、なお且つ大変な長寿である。 東京から1時間、横浜横須賀道の朝比奈インターで高速を下り、246の鎌倉街道に到着。 なんとも凄い車の渋滞。 正月も松の内とはいえ、こんな事あるのと我らビックリ! 片道一車線の山道、前の車について、ジリジリと牛の歩みより遅く、 亀よりもノロイ徐行運転で、前に少しずつ進む。 アレアレ、日が落ちてきたよ。またか、嫌な予感がしてきた。 此処まできたら、明るいうちにお参りできればいいや、なんて弱気になる。 左手に、「雷亭」の看板が出ている。 そうか、鎌倉山のテッペン辺りに来たのか。 とりあえず、半分は過ぎたなと幾分安心をする。 私がまだ一人で湯島天神前に住んでいた頃の話し。 北鎌倉で降り、天国ハイキングコースをテクテク歩き、一時間半位で建長寺の坊舎にでる。 鎌倉山の木々の切れ間から、遥か彼方の湘南の海を眺めながら、しばし休憩を取る。 鶴岡八幡宮でお参りを済まし、そして、雷亭まで車を飛ばし、蕎麦を食いによく行ったものである。 「雷亭」は昭和が生んだ通人、菅原通斎の邸宅をそのまま料理屋にしたもので、建物の前は広々と傾斜した芝生である。 庭園全体が古美術の展示場のようで、なかなか散策していても風情があった。 私達は蕎麦を食べたあと、一時間位グッスリと柔らかな陽を浴びながら、芝生の上で昼寝をしたものである。 そうそう、あの子は一体どうしているのかななんて、ママさんには気ずかれないように、 心の中でニヤニヤしながら、看板の前を、ユックリと車は通過した。 あと一息で鎌倉で参拝ができそうだ。 日はするすると傾き始めている。 急がなければ。 つづく 1月20日 鶴岡八幡宮の参道へ出た。 人と車でゴッタかえしで、凄い混雑である。 もう3が日も過ぎたのだから、こんなに混込まなくてもいいのに。 いい加減にしてよ、なんて自分勝手に主張する。 はてさて、何処に車を置いてよいやら、止まる事も戻る事も、曲がる事も出来ない。 ただただ、前に押し出されるように、トロトロと進むだけだ。 「今度来る時は、松が取れてからにしよう。こんなに凄いとは、想像できなかったよ」 少し後悔しながら、とにかく、私達は駐車場を探す。 半分ヤケッパチに、「ママさん、何処でもいいから、駐車場に入れちゃおう。だんだん鳥居から離れちゃうよ」 お尻を突付かれるかのように、進みたくないのに、車は前へ前へ進んでしまう。 とうとう、海岸の標識が出てきた。 「ママ、まずいよ。早く入れないと、どんどん遠くなる。海へ出ちゃう。戻るのが大変だよ」 ママさんは、「言われなくても分かってるわよ。運転してるのは、あたしなんだから」 なんて、思ってても、けっして口に出さないところが、さすがに偉い! 「ホラ、あそこにある。少し待つみたいだけど、もう入れちゃおう」 「でも、高いわね。一時間800円はないよね」 確かに高い。こんな時期に、車で出掛ける我らもいけないいのだが、 人の弱みに付け込み、法外な値段を付けるのは、更によくない。 仕方なく車を入れて、ヤットのことで、目的の鶴岡八幡宮へ、初詣に向かう。 参道をテクテクトと歩きながら、大鳥居を潜り、八幡宮の境内に入る。 さすがに、6日とあって、着物を着た晴れ着姿の女性は見れず、殆どの人は普段着で、幾分寂しい気がする。 正月の3が日だと、晴れ着姿や着流しの男衆があちらこちらに、ほろ酔い姿で散見できて、とても雅な気分になれる。 鶴岡八幡宮の三が日の人手といったら、とにかく凄いの一語につきる この広い境内が、立錐の余地なく、人で埋まる。 20列か30列か数えられないほどの縦列で、遥か彼方の八幡様まで、 人の山でビッシリ埋まり、200人くらいづつロープで規制しながら、前へナメクジほどの速度で誘導される。 さすが、今日はノンビリしたものである。 サクサクと砂利道を踏みしめながら、あっという間に、大階段に到達する。 ママさんは少し息が上がっているみたいだ。 「一休みしてから、階段をあがる?」 「だいじょうぶ、行こう」 意外に、元気で安心する。 私達は、階段を一気に登りきり、八幡様の正面に立ち、お賽銭を投げ入れた。 昨年度は、大変なことがありましたが、今こうしてこの場所に2人でいれる事に感謝するとともに、 今年はよい年になることを、しっかりとお祈りして、パチーンパチーンと神妙に拍手を打つ。 去年は、、私達には試練の年であったかもしれない。 しかし、最悪の事態は避けられ、家族の者たちも何とか無事につつがなく、 一年を過ごせた事に、大いに感謝しなければいけないのだろう。 参拝も終わり、絵馬や破魔矢や御札が置かれたコーナーで、私はお御籤を引いてみた。 100円を払い、年季が入って、黒光りした木の箱を、カチャカチャと振る。 竹の棒が2個出てしまった。やり直しだ。カチャカチャと再度振る。今度は見事一本でた。 37番です。お札を貰う。 お御籤といえども、何故か緊張するものである。ソロソロとおっかなびっくり開けてみた。 ゲ!大凶。 「ママさん、コンナノあり?」少し暗い気持ちなった。 内容は、自分を見失わず、己の出来ることを、前向きにひたすら進むことが、肝腎というようなことが書いてあった。 「これ以上、悪い事がないのよ。あとは上がるだけじゃないの」 ママさん、分かったような分からない慰めを言ってくれた。 三年前も、同じようなことがあったのを、私は思い出した。 つづく 1月27日 御神籤といえども、大吉とまではいかなくても、最低でも末吉くらいは期待するもの。 幾らなんでも、選りによって、大凶がヌーッと顔を出すと、一瞬ドキッとすると同時に、まさか「其れはネーダローッ!」 私とした事が、ついつい下品に、心の中で叫んでしまう。 気を取り直して、「今年は、気を引き締めて、とにかく頑張れ。どんな場合にも、 挫けるな」と、御神籤が諭してくれているのだと、何とか言い聞かせながら、一人でしょうがなくも合点した。 そうそう、三年前にもこんな事があった。 運悪く大凶を引いてしまい、それなりに嫌な気分がして、御神籤を木に括りつけようとしていた。 すると隣に、二十歳そこそこの、可愛らしくも愛くるしい女性が2人いたのである。 私は、オジサンのクソ勇気を出して、彼女達に話し掛けた。 「ほら、大凶だって。あるんだよ、信じられないね」 すると、背の高いすらっとした方の彼女が答えた。 「あたしもそうなんです。ガッカリしてたの。私だけじゃなくて本当に良かった」 「それじゃ、一緒に木に結わえて、今年がいい年になるように、お祈りしよう」 私達は近くの木に、御神籤をシッカリと結わえて別れた。 でも、あの歳は、僕にとっては、とても良い年で終わった。 「ママさん、確かに、これ以上悪い籤はないのだから、頑張れば登る一方ってことになるよね。三年前もそうだったから」 「よかった。私も御神籤をひこうかしらって思ったけど、止めた。私、もう少し、いい籤を引いてあげようと思ったの」 此れが、ママさんらしい優しさ、私はジーンと胸にきた。 私達は、テクテクと裏道をとうりながら、もと来た境内に戻り、ぷらぷらしながらまだ正月気分でいっぱいの、八幡宮の参道を歩く。 「ママさん、鎌倉に来たら、何時も立ち寄る喫茶店があるから、行って見ようか。確か、この路地を入った左のはず。ほら、そこ」 私達は、喫茶店「玄」に立ち寄る。 この店には、かれこれ何年通っているのだろうか。 両手の指の数では、とりあえず間に合わないだろう。 店の奥には、昔から、ガラス張りの焙煎室がドッカリと設えている、今は珍しい本格派の喫茶店である。 正月のせいか、とても混んでいる。 扉をガラリト手で開け、なかに這入り、奥の大テーブルに、相席で座る。 メニューを見ると、「お正月の限定メニューですが、値段は同じです」と書いてあった。 見ると、モカ¥700、キリマンジャロ¥700とか色々あったが、なんと、ブルーマウンテンが¥900。 たったの¥200の違いなので、私はセコクもブルーマウンテンを二つ注文する。 三年前は、マスターと中年の男性二人でテキパキと、カウンターを切り盛りしていた。 ホールも男性が一人で、確実で的確な、見ていても気持ちの良いサービスをしていた。 今日は、カウンターの中は、マスターと若い女の子2人。 コーヒーは全てマスターがコーヒーを、ペーパードリップで、スピーディーにして丁寧に、カップに落としている。 さすが、コーヒー一筋、年季のはいったプロの技をを感じさせる ホールのサービスは、中年の上品な女性が一人で、さり気なくサービスをしていた。 私は決して、女性が嫌いな訳ではないのだが、男だけのサービスもスッキリとして、なかなか気持ちの良いものである。 三年前の、此処の背筋がキリッと伸びた、シンプルで気品のあるサービスが、とても懐かしく感じられた。 なかなか、終わりませんね。 次回で、必ず完結させます。 1月30日(水)まだまだ、寒さ厳しい 焙煎はシティーローストぐらいで、なかなか上品な味わい。 私の好みからいうと、フレンチローストとイタリアンローストの中間くらいが好きなのだがなどと、 つらつらと思いながら、ゆったりとしたひと時を過ごす。 一息入れてコンディションを整え、さー、これから第二の目的地、江ノ島に向かう。 駐車場を出て真っ直ぐ行くと、海岸に突き当たる。 右へハンドルを切ると、いよいよあと8キロ位で江ノ島に着くはず。 ところが、意に反して、またしても、国道は大渋滞である。 日はとうに暮れ落ち、防波堤の向こうで、潮騒の音が微かに聞こえる。 トロトロと車は、前の車のお尻に曳かれるように、少しずつ進んでいく。 やがて、左に、何時もは江ノ電越しに見る、懐かしの由比ガ浜が見える。 さすが、この時間になると、サーファーの姿は何処にも見えない。 いよいよ、江ノ島はすぐそこである。 さすが、湘南と唸らせるバーやらレストランや、瀟洒でなかなかに気取った店が、山側のロードサイドに点在する。 右にハンドルを切って、ちょっと立ち寄って見たいところだが、どちらの車線も車でいっぱいで、身動きが出来ない。 でも、とても魅力的な店なので、残念で名残惜しさを引きずりながら、仕方なく進む。 左側はずっと海岸で、潮騒の音は微かに聞こえるのだが、何故か磯の香りが鼻に伝わってこない。 重たくも、鼻腔にモアーンと膨らむように、ムッチリとした熟女のように、 ふくよかに纏い付いて来るような、磯の香りを嗅ぐ事が出来ない。 何時も、好んで飲むアイラモルトの磯の香りを、大自然の海の香りで確認したかったのにと、 なんとなく訳の分からない損をしたような気持ちになる。 やっとのことで、遥か彼方に、江ノ島の煌々と輝く灯が見える。 「ママさん、やっと此処まで来たね。あとわずかだから」 ママさんもだいぶ疲れたみたいだ。 なにせ、何時ものことながら、運転しているのはずっとママさんだけだから。 元気になったとはいえ、まだまだ無理はさせられないのに、なんて心のうちでしっかりと心配する。 とうとう、鶴岡八幡宮を出て、一時間半余で、江ノ島へ渡る大橋に出た。 昔は、この橋も有料であったが、今は開放されている。 何か、少し得をしたような気持ちになる。 日はドップリと暮れ落ち、前方に広がる海は、墨をドボドボとこぼしたように真っ黒である。 橋を渡りきり、近くの駐車場に車を入れた。 さすがに、此処までくれば、駐車料金は2時間600円である。 「この値段で当たり前よね。一時間、800円はないよね」ママさん、運転の疲れも手伝ってか、幾分憤慨してるみたいだ。 私は、江ノ島に来ると、必ず立ち寄る店がある。 橋を渡って正面に位置する一階は土産物屋で、二階が和風のレストランである。 私達は二階へ上がり、海岸線の美しい夜景の見渡せる、小上がりの座敷にドッカリと腰を下ろした。 ママさんは、天麩羅や刺身や小鉢などのセットになった定食を美味しそうに食べている。 私は何時ものことで、枝豆や酢の物をツマミに、 ママさんの茶碗蒸もチャッカリ貰いながら、まずは生ビールをグビグビと飲む。 由比ガ浜から、遥か彼方の三浦半島まで、海岸線はゆったりと美しいカーブを描きながら、 湾岸道路に連なった車のライトで夜景が、異次元のように幻想的に、ショウアップされている。 やっとのことで、江ノ島まで辿り着いのだ。 色とりどりのビーズを繋げた様に、車のライトが海岸線をキラキラと照らし、 遥か彼方にあるメルヘンの世界へ、誘っているようである。 そして、私達の明るい未来を予言しているかのようでもあり、 今年が素晴らしい年になるように、煌びやかに祝福しているかの様である。 そう、大凶を引いてしまったけれど、今年はきっといい年になるはず。 おおいに頑張るぞと、そっと心に誓う。 これから、私達も東京へ戻らなければいけない。 いったい、東京には何時に着くのだろうか。 ママさん、もう一息頼みますね。 余飲まないで、チョビチョビやりながら、しっかりナビゲーションをしますから。ヨロシク。 完
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