「マスターの呟き日記」
2001年5月-8月 


この写真は、12月17日(月)の試合の後、2日後のピーポッポでの写真です。
まだ、顔が腫れていますが、3-0の判定で一方的な試合でしたので、
青あざもなく、綺麗なほうです。
これからも頑張ってください。
ボクシング観戦記
8月9日
カーンという、試合開始のゴングともに、壮絶な試合が展開する。
一ラウンドの開始そうそう、前田の強烈な右フックが光吉くんの顔面にヒット。
アッと思った瞬間に、光吉君がダウン。
何と言う事、これで終わりか。
カウントはエイト。光吉君は立ち上がる。意外とダメイジは軽いようだ。
一瞬水を打ったようにシーン静まり返った大応援団が、我に帰ったように、
光吉君に必死の悲鳴にも近い声援を送る。
コーオオキチ!コーオオキチ!

前田の猛烈なラッシュが襲い掛かる。
誰しも、万事休す、これで終わりと思った事だろう。しかし、彼は絶えた。
このチャンスをモノにしなければ。絶対に負けるわけにはいかない。

なんとか、チャンピオンの猛攻に耐え1ラウンドが終わる。
1ラウンドが3分とは思えないほど長く長く感じられた。
3,4,5ラウンドと互角に戦うが、少し前田の圧力に押されているかもしれない。
しかし、6ラウンドから、光吉君の左のジャブや右のまっすぐなスピードの乗ったストレートが、
チャンピオンの顔面にビシッビシッと小気味よくヒットする。

前田がイライラしているのが手に取るように分かる。
1ラウンドの必殺のハードパンチで光吉君をダウンさせたことで、
かえってパンチに力が入り、狙いすぎているようだ。攻撃が少し単調になってる。
そこに光吉君のパンチがパチッ、パチッ、ズシッと前田の顔面をヒットする。
チャンピオンの顔面が腫れてきた。
この最近の何試合までは、このラウンド前に、
全て完膚無きまでに叩きのめしKOでタイトルを防衛している。
何故だ。一度ダウンした奴が、この俺に堂々と立ち向かってきてるではないか。

やがて、7ラウンド迎えた。
このラウンドは怒涛のような、光吉コールがおこる。
コーオオキチッ!コーオオキチッ!コオオキチッ!
前田陣営の応援団の声が掻き消される程の、津波のような大声援である。

突然、大声援に応えるように、光吉君がパンチを猛烈に繰り出す。
チャンピオンの顔面に、右左、右左、左右と強烈なパンチがズシッ、ズシッとヒットする。
光吉君より、一回り大きいチャンピオンがリングのロープに凭れ掛かるようにして、
膝からズズズズっと崩れ落ちた。誰もが、初めて見る我が目を疑う光景である。
百獣の王、ライオンがだらしなく崩れ落ちた。

カウントエイトで立ち上がったチャンピオンに光吉君は猛然と襲い掛かる。
私たちは興奮のあまり、皆総立ちである。
嵐のようにパンチを浴びせるが、前田はフラフラしながらも、強烈なパンチを繰り出す。
あと一撃打ち抜けば、確実に逆転のKO勝ちだ。
壮絶な打ち合いのうちに、非情にもゴングが鳴らされた。
前田は、チャンピオンでなければ必ずや倒れていただろう。
日本人で二人めの3階級制覇を成し遂げるためにも、此処で沈む訳にはいかない。
チャンピオンの意地とプライドと壮大な夢が7ラウンドを耐えさせたのかも知れない。

8,9、10ラウンドと二人は猛然とパンチを繰り出す。
両者とも、パンチを貰ったものが倒れる。
光吉君の右の強烈なパンチが前田の顔面にビシッと炸裂する。
チャンピオンの左の目の上が大きく裂け、鮮血がドドッと飛び散る。
汗と血でドロドロになりながら退路を閉ざされた四角いジャングルの中で、
最後の最後まで敵を叩き潰すまで嵐のようにパンチを繰り出す二人の孤独な戦士。

カーン、最後のゴングが鳴る。

精魂尽き果てた二人の勇者が、互いの健闘を讃えるように,
クシャクシャになりながらリングの上で抱き合っている。

判定は、3-0でチャンピオンの前田の手が高らかに上げられた。
本当に、あと一歩でチャンピオンだったの。とても残念だ。
しかし、最高の試合を見せてもらい光吉君、有り難う。
私がチケットを売って来てくれたお客様達にに感謝されたよ。
「マスター、光吉君凄かったね。最高ですよ。また、光吉君の試合教えてください」

私はこの言葉にジーンときた。
さー、これからだよ光吉君。本当に君は強く逞しいボクサーになったね。
こんだこそ、絶対にチャンピオンになろう。
頑張れ、田中 光吉。

前田とは、角海老ジムで同期で無二の親友、元エリートボクサーの小泉さんが言ってたよ。
「マスター、田中 光吉っていいボクサーだね。
本当に強いよ。前田の眼が空ろで、ほんと危なかったからね。
あんな前田見たこと無いよ。7ラウンド止められても仕方ないくらいだから。
どっちに転んでも不思議じゃないいい試合だった」


「あれ、輪島さんじゃない?」
8月2日(木)
今日は快晴、気温はどんどん上がり、36度。
私は物好きにも、近くの赤塚公園に新聞を持ち、日光浴に出掛ける。
痛いほどの日差し、よくもまー、こんなにクソ暑い日に、日光浴なんぞに出掛ける気になりますよね、ほんとに。
日光浴どころか、火傷しに行くような無謀な行為ですよね。
途中の自動販売機で、水分補給のためアルカリ飲料を買い、公園へ。
公園の4百四方もある大きなグランドの木のベンチに横たわりながら、新聞を読む。
なんと、ベンチの木が、焼け付くように熱い。
私が子供の頃に比べて、日差しが焼け付くようで、突き刺さるように痛い。
やはり、地球は異常事態に突入し始めているようだ。
我慢して横になっていると、ドドッと出る汗で、いっきにベンチが塗れ、温度が下がり、
なんとか横になるのも耐えられるようになる。
しかし、この暑さは半端じゃないね。とてもじっとしている事を許してくれない。
仰向けになったり、うつ伏せになったり、横向きになったりと、なんとも忙しいかぎり。
同じ向きでいつづけることは、苦役にも近い。
だいたい、こんな日差しの時に日光浴なんてするほうも物好きな事である。
でも、グランドの真ん中には、シートをしいて海水パンツ一枚でいる猛者もいて、上には上がいたものだ。
やがてウトウトしていると、私の後ろをトコトコと歩いていく一段がいる。
ビデオを持ったもの、集音機を担いだものたちがグランドの端にかたまり、何か打ち合わせをしているようだ。
私はまたウトウトしているうち、ふっと気がついて、うつ伏せになりながら、何気なく彼らに目をやる。
すると、撮影が始まったのか、こちらに一団が近づいてくる。
紺のスラックス、白のポロシャツにスニカー履いた、私と同じくらいの背丈の男の人が何かを話しながら歩いて来る。
撮影班はビデオを回し、集音機で彼の声を録音している。
やがて、横になっている私の前を通り過ぎてゆく。
「僕がねー、こんな風にしながらやったものさ。あの頃は、なんでもかんで・・・・・・・・・・・・」
なんて、言ってたのかどうかは分からないが、横になっている私の前を、通り過ぎてゆく。
その瞬間、私は、エッと思った。
輪島さんじゃないですか。
日本人で初めて、世界ジュニアミドル級チャンピオンになった、あの輪島 公一さんではないですか。
公園のグランドの端まで、まっすぐに歩き撮影は終わったようだ。
皆此方の方へ戻ってくる。
私は寝てる場合じゃない。
是非輪島さんと話さなければ。
輪島さんが私の前に来た時、私は声を掛けてみた。
「輪島さん、こんにちは。暑いですね」「ほんと、参っちゃうね」「何の撮影なんですか?」
ビデオ回してたスタッフの一人が「○○○○の録画です」テレビを余り見ないので、何の番組なのか良く聞き取れない。
聞き返すのもなんなので「輪島さん、今度の4日の土曜日、後楽園ホールへ行くんですよ。
私の応援してる田中 光吉が日本スーパーライト級のタイトルに挑戦するので、30人位で出掛けるつもりです」
「それはいいね、それは嬉しいね。ほんとに嬉しいね」「うちの子供も三迫ジムに行ってましたよ」
「それはいいね、嬉しいね。三迫引っ越したの知ってる?」
「え、東武練馬じゃなくて?」
「熊野町から東武練馬へ越したのさ」
私は、ハッと思った。だいぶ昔の話しなのに。私の頭の回路とはだいぶ違うね。ボクサーだもの、マアイイか。
「熊野町の前は足立区にあってね、其れはもうきったないジム。
ガンガンやったね、ソウソウ、ガンガンネ」「その頃、トラクター乗ってたんじゃないんですか?」
「土方ね、真っ黒になって、皆働いたね。だから金持ってたよ。良かったねあの頃、今はみんな大変」
「私、大山でバーをやってるのですが、ボクサーもよく来てくれっるんですよ。
昔は竹原さん、今は時々鬼塚さんなんかも顔を出してくれます」
「そう、いいねそれはいいね。まったく、それはいいね」
やがて、ビデオ担当の男が「そろそろ、行きませんか」
私はベンチからたち上がり、輪島さんの黄金の右手とかたく握手をする。
さすが、世界を制した男の拳は太くて厚く、ガッシリとして、これぞ本物の男の手だと思った。


「17年ではじめての呑み逃げ!」
7月27日(金)
なぜか、とても涼しい
或る日、調子のいい一見さんが入ってきた。
「やーマスター、大山も変わったなー」「昔の大山知ってるのですか」
「おお、20年ぐらいまえ、俺、ここに住んでいたからよ。とりあえず
何か酒くれよ」「何にしましょうか」「水割り。美味いやつ、くれない」
「その頃の大山、ヤクザ者がゴロゴロいて、エラクぶっそうだったそうですね」
「そうよ。そのぶんエラク賑やかで何処もかしこも人でウジャウジャ。すごい賑わいだったものさ」
「繁華街にヤクザはつきものですからね。今じゃ、出来る物といえば、全国何処にでもある、
当たり前の居酒屋ばかしですから。街に色気がなくなりましたよ」
「マスター、悪いけど、104でスナック0000の電話番号訊いてくれる」
私は電話を調べお客様に番号を知らせる。
彼は携帯で横浜のスナックへ電話を掛けている。
「0000かね。ママさんいる?・・・・え、まだ来ていない。・・・・何時に来る?・・・・あっそう、じゃ、又電話するわ」
「お客様は横浜なんですか。いい所ですね。いろいろいい飲み屋も沢山あるんでしょうね」
「横浜に行って何年経つかな。そう18、9ってところかな。でも、東京にはチョコチョコ出て来てはいるんだけど」
「何の仕事をなさってるんですか?」
「まー、建築関係というところかな。この時勢、人を雇ってると大変よ。
マスターみたいに、ママと二人でやってるのが一番さ。お、電話、失礼」
彼は携帯電話を持って、ドアを開け外へ。
暫らくして、彼は戻ってきた。
「なんだよ、こんな時間にロクでもない電話しやがって。マスター、お替り。この酒美味いね。なんつう酒?」
「シングルモルトのスコッチでグレンリベットといいます。シングルモルトの」
「おお、ソウダロ、ウメーヨ」
私の説明はこれからだと言うのに、何も聞かないで、「ウメー」は無いだろ。なにか嫌な予感はした。
ツルル・・・。彼の携帯に又電話が掛かって来る。
彼は外に行き、電話をし、暫らくして又もや戻ってくる。
「マスター、度々出たり入ったりで、悪いね。何か飲まねーか」「すみません、この時間はまだなんです。
2時過ぎにならなければ、飲まないことにしているもので」
「まー、そんなかたいこと事言わず、付き合ってくれよ。始めてきたんだからさ。
久し振りに大山に来て、何か此処にジーンと来るものがあってさ。あと一時間で2時じゃないかよ。な、一杯位いいだろ」
私たちアルチュウの予備軍は、一杯じゃ困るの・・・・・・。
一杯で止められれば苦労はない。だから、自分の酒飲み解禁時間を決めているのじゃないか。
まー、今日はお客様の付き合いだから、まあいいか。
「それでは、お言葉に甘えて、ビールを頂きます」「有りがたいね。俺が注ぐからさ、グッと飲んでよ」
彼は、私のグラスにビールを注いでくれる。「俺の方に付けといてくれ。
遠慮しないでどんどん飲んでくれ。俺は女よりは男が好きだからさ」
またしても、彼の携帯いに、ツルルルル・・・・・・・・。
タバコと私が貸したライターをテーブルに置いて、彼は外に出た。
今回はえらく長電話だ。10分経ち、20分経っても戻って来ない。
「マスター、彼外に居ませんよ。逃げたんじゃないですか」「え、そんな馬鹿な」
私は玄関を開け外に出た。
確かに、誰も居ない。なんて言うこと。
でも、まだ、逃げたとは限らない。タバコが置いてあるのだから。
しかし、彼は永遠に戻っては来なかった。
17年間にして、初めて味わされた、苦い苦い飲み逃げの味。
ママさん曰く、「あの人右の小指と薬指、両方とも、第二間接まで無かったわよ」
なんだ、そうだったのか。
ママさんの位置からは、彼の右手は見えるけれども、私の位置からは、死角になってみえなっかった。
なんだ、彼は、むかし、大山のチンピラヤクザだったのではないか。
ヤクザが飲み逃げとは、情けない世の中になったものだ。
本当に、日本は大不況なのかもしれない。
しかし、けちな事言うようだけれど、奢られたはずのあのビール、結局のところ、私自身の自腹で飲んだことになるのか。
まだ、あの時間には飲みたくなかったを、無理矢理付き合わされて。まったくもって、腹立たしい事だ。

「精神病院からの電話」
6月11日
開店早々、電話が鳴る。
「マスター、僕分かる?岩城(仮名)です」
「久し振りだね。如何してるの」
「年賀状有り難う。ジャズが聞こえるね。懐かしいな、マスターの店でお酒飲んでるみたいだ」
「今ごろ、年始の挨拶もないものだね」「遅くなって御免。ピーポッポで呑みたいな。ずっと呑んでないから」
「今から、呑みにくれば良いじゃない。近いんだからさ」
「それが、出掛けられないの。外出できないのだもの」「いい年して何をほざくか、こら!」
「冗談じゃないの、マスター。ピーポッポに行ったの、確か去年の10月の頃だと思うのだけど」
「その頃だね。それで、一体如何したのさ」「実は、その後、牧師の資格を取って教会で仕事をしたの。
其れがいけなかったみたい。色々、懺悔やら何やら聞いている内に、此方の神経がやられてしまっちゃって」
「岩ちゃん、昔からクリスチャンだからね。今何処に居るの?」
「入院しちゃったよ、今年になって」
「え、今病院から電話してるの?」
「だから言ったじゃないの、外出出来ないって。お酒も飲めなければ、ピーポッポにも行けないの。
いいな、ジャズ。ピーポッポに居るみたいな気持ちになれる」
「マイッタネ、まったく。だから、何時も言ってるだろ。うちの店にちょこちょこ顔を出さないと、碌な事がないって」
「確かにそうだね。僕も反省してる。でもジャズは良いな」
「クラシック派の岩ちゃんなのに、そんなにジャズが好いか・・・」
「マスターの店でモルトウイスキーをゆったりと飲んでるみたいだ」
「早く出ておいでよ。たっぷりと、好きなお酒飲ましてあげるから」
「まだ、暫く駄目そう」「何時頃、出て来れるの?」「はっきりとした事は言えないけど、あと半年は掛かりそう・・・」
「あと、6ヶ月か、長いね。それじゃ、たまには見舞いに行くよ。場所は何処なの」
「三鷹。○○病院。でも、面会には、いろいろ手続があって大変みたい」
「そうか、病院が病院だからな。面倒かもしれないね」
「マスターの気持ちだけで、とても嬉しいよ」
「でも、岩ちゃん、声にとても力があるし、早く出てこれるよ。そしたら、まっすぐ、ピーポッポに直行だね。
そして、皆で快気祝い盛大にやろうじゃないか」
「マスター、有り難う。また、電話するから。今ごろの時間なら大丈夫?」
「全然大丈夫さ。永い付き合いなんだから。遠慮することないよ」「それじゃ、また電話するから」
「早く一緒に酒を飲みたいね。それまでは、電話で乾杯だ。仕方ないからさ。何時でも電話はオーケーだからね」
私の店の開店当初からの、お客様の岩ちゃん、早く退院してくれたまえ。
あまり急がず焦らず、ゆっくりでいいから今までの岩ちゃんになって、戻ってきて欲しい。

「マルガリータで泪の乾杯」
5月10日
Sさんが三人でみえた。
えらく酔っ払ってる口調だ。
昔、弟さんと来店した時は、何時もキチンとした物言いで、こんな話し方は初めてである。
如何したことであろうか。
しかし、すぐに分かった。
首の辺りに大きな切り傷がある。
去年癌に侵され、大変な手術をしたそうだ。
「マスター、去年は大変だったよ。見てくれ、この首の周りの傷、グリっと切ったのさ。
中の顎の骨も、右側はほとんど無い。食べるのも一苦労さ」
首を一文字にグルリと深く切った傷跡がくっきりと深々と残っている。
「それは大変な事でしたね。店に来ない間にそんなことがあったんですか」
「また近いうちに、入院する事になっている。俺はもう病院は嫌なんだ」
私は何と声を掛けていいものか言葉を失う。
あとの二人は、息子さんと弟さん、
「兄貴、生きたいんだろ。痛くても、入院しなくちゃしょうが無いじゃないか。仕方ないよ」
私は話題を変えるつもりで、「一番下の弟さんは、元気ですか」
「正雄は死んだよ、2年前に」
とんでもないことになってしまった。
「正雄さん、死んでしまったのですか。暫く顔を出してくれなかったので、心配してたのですが。もう二年にもなるのですか。
私の店に来てくれた時は、まず最初の一杯は、マルガリータでした」
「あいつが何時もマルガリータをねえ。格好つけやがて。マスター、マルガリータ三つ作ってくれないかな。
あいつを偲んで、三人で乾杯したいんだ」
私は三杯のマルガリータを一つ一つ、心を込めてつくる。
三人は乾杯をする。
お兄さんの目には大きな泪が堪って、今にもボロボロと零れ落ちそうである。
「正雄さんの病気、大変な難病だったみたいですね。たしか、白血球の数が普通の人の何分の一なんだと言ってました。
『マスター、私は、鼻血を出しても、転んで擦り傷で血が出ても、もう止まらないんです』と言ってたものです」
「そうなんだ、生きてるのが不思議なくらいだったんだ」
「私も、店に来るお医者様や看護婦さんに、弟さんの話しをしたら『マスター、その人、酒を飲んでる場合じゃないですよ。
即入院ですよ』って言ってました」
「Sさん、お酒飲んでて良いんですか。内のお客様のお医者様に、病気の事聞いてみたら、皆驚いていましたよ。
入院しなければ駄目ですって言ってました」
「でも、マスター、入院してても何もする事ないし。動けない訳でもないのですから」
正雄さんは、淡々と物静かに語りながら、美味しそうに、マルガリータを飲んでいました。
人は何時かは死ぬもの。
しかし、現実に友達や肉親や知り合いの人たちが亡くなってみて、人は死を現実の物と認識できるのかもしれない。
しかし、近い将来、必ず訪れる死をしっかりと受け止めながら、死を覚悟するのは辛く過酷な業苦ではないだろうか。
私も、愚かにも、来る日も来る日も、浴びるほど酒を飲みすぎて肝臓を壊し、毎日毎日病院で半年間以上、点滴を打ったことがある。
その時初めて、まだまだ酒を飲み続ければ、俺は多分、肝硬変になり、肝癌にでもなって、
きっとお陀仏になるのだろうと認識できたものだ。
その時、私は初めて、「人はいずれ死ぬ」という単純で、避けれない絶対命題を理解できた。
正雄さんも、近いうちにかならず訪れる死に、しっかりと向かい会っていたからこそ、
何時も静かに何も無いかのように、静かに残り少ない命をゆったりと生きてゆけたのかもしれない。
正雄さん、天国でも、美味しいマルガリータ飲んでいてください。