元人気プロボクサーが3人で来店! 2020年7月13日 先週の金曜日の午後11時ころ、元プロボクサー3人組が来店した。 1人は元ライト級と、スーパーライト級1位だった、田中光吉さん。 そしてもう1人は、ライト級とスーパライト級で活躍した、大嶋宏成さんである。 田中光吉さんが、私の店に来たのは、21年前だったであろうか。 元WBA世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二さんと、落語家の柳家獅堂さん、元ライト級の千島広明さんと一緒だった。 カウンターに並んで座り、竹原さんが私に、 「マスター、光吉はもうすぐ、日本ランカーになります。応援してください」と言った。 私は光吉さんに約束した。 「君が現役の間は、みんなで応援するよ」と。 それ以来、彼の試合は欠かさず、お客さんたちと大勢で、応援しに行った。 その後、日本タイトルマッチに、4回くらい挑戦したが、無念の涙を飲んだ。 2001年8月4日、日本タイトルを、2階級制覇した、最強のスーパーライト級チャンピオン・前田宏行さんとの試合は、壮絶だった。 左右の強烈なパンチを、チャンピオンに連打し、ダウンを奪う。 さらにKO寸前まで追い込み、勝利目前であったが、僅差の判定で敗れた。 前田さんも私の店に、2度くらい来店していた。 親友の先輩ボクサー・小泉秀司さんが、 「ダウンしたことのない前田が、あそこまで打ちこまれるのを、初めて見たよ」と言っていた。 前田さんはその後、ウェルター級のチャンピオンとなり、日本人で2人目の、3階級制覇を果たした。 かつて前田さんは、私に約束をしたことがある。 かならず4階級制覇し、マスターのところへ、スーパーウェルターのベルトを持ってきますと。 だが、その後、スーパーウェルター級チャンピオン・クレイジー・キムに敗れ、私との約束が叶わなかった。 光吉さんは現役時代、ヴィジュアル系ロックバンド・ペニシリンや、アルフィーの高見沢さんから、 彼らがデザインした、ガウンやトランクスをプレゼントされていた。 そのトランクスやガウンを着て、大声援の中、華やかにリングに登場した。 彼は正統派のハードパンチャーで、華麗なボクシングは、とても魅力的だった。 試合には、かつての「新宿そだち」でミリオンセラー歌手だった、大木英夫さんが来て、光吉さんの応援を盛り上げた。 大木さんが音頭を取り、場内に、コーオキチッ! コーオキチッ! とコールが巻き上がる。 後楽園ホールが、一気にヒートアップした。 だが、長いボクシング生活で、ボクサーの命である拳は、疲労していた。 ジムのトレーニングでも、拳の痛みで、満足できる練習も、できなくなった。 それでも試合当日は、両拳に痛み止めを打ちながら、戦っていた。 やがて彼は引退を決意し、最終戦を迎えることになった。 私たちもお客様たちと、後楽園ホールで、光吉さんの最終戦に、最後のエールを送った。 彼は引退したあと、地元熊本名物のホルモン焼き屋「くらんど」を、五反田駅近くで経営している。 彼の店には、元プロボクサーや、現役のボクシング関係者が、大勢来店する。 その中に、親友の元WBC世界フライ級王者・内藤大助さんも、度々、顔を出すようだ。 そして、光吉さんと来店した大嶋宏成さん。 彼は私の店に、15年ぶりに来たと言う。 私は彼のことを、鮮明に憶えていたので、彼は感動したようだ。 15年前の初来店のとき、私の前に座り、ボクシング談義をした。 当時、元ヤンチャで、刺青ボクサーとして人気があった。 光吉さんは、隣の若いカップルに、「もとヤクザで、日本で最初の刺青ボクサー」と紹介した。 大島さんは苦笑いしながら聞いていた。 作家・安倍譲二さんも、彼のかつての経歴を知り、彼を贔屓にしていた。 現在、大嶋さんは、ボクシングジムを開く予定で、準備中である。 振り返れば、彼らの現役時代から、すでに15年は経過したのだ。 だが、あの頃の記憶は、鮮明に甦る!
|