平凡はいがいと難しい……?
2023年6月3日

先週の土曜日、久し振りのお客様が、来店した。
「マスター、分かりますか?」
「う~ん……?」
「英語の中村さんと……」
「……千葉さん?」
「憶えてくれていましたか」

千葉さんとは30年くらい前に会った。
中村さん主宰の、クリスマスパーティーのことである。
パーティー用グッズを、店の近くにある、
ダボスタジオに、2人で取りに行った。

彼は運搬のために、自家用キャンピングカーで、やって来た。
全て積みこんだ後、ダボスタジオの前から、路地を右に切ろうとした。
だが路地が狭く、ハンドルが切れず、立ち往生した。

2人で冷や汗をかきながら、何とかピンチを、脱出した。
そのことを話したら、彼も懐かしそうに笑った。
その場所は、腹話術の一石堂さんが、住んでいるあたりだ。

そののち彼は、アメリカに行き、事業を起こした。
中古のハーレーダビッドソンを、買い付け、日本に輸出した。
事業は成功し、映画「イージーライダー」のピーター・フォンダにも、仕事であったようだ。

そのご日本に帰り、現在は私の店の近くに、住んでいる。
彼がアメリカにいる間、中村さんは、日本人で初めて、
TOEICで990点のフルスコアをとり、時の人になったことも、知らなかった。

千葉さんとは、不思議な縁がある。
彼は当時、葛飾に住んでいた。
彼の行きつけの、スナックの名前を聞いてビックリ!

私の店に来ていた、大江戸太鼓の太鼓仲間と、飲み友達だった。
千葉さんはその日も、バランタイン17年だった。
彼の先輩が教えてくれた酒を、30年前も飲んでいた。

すると午後10時ころ、アメリカ人と日本人の、2人づれが来店した。
一人はギネスを、もう一人のアメリカ人は、私の勧めで富士山麓を、オンザロックで飲む。
日本人の彼が「私のこと、分かりますか?」
「……?」

すると隣の彼が、「私は30年前、ここに来ています。マスターとドイツ文学などを話しました」
「え、 30年前?」
「友達のカナダ人と……?」

その瞬間、一気に当時の記憶が、復活した。
「ティムの友達で、江戸川橋のお花見であった彼……?」
「そうです!」

30年くらい前、噺家の柳家風太郎さんや、商業写真家の大御所たちと、
江戸川橋でお花見の宴を、していた時のことである。
彼がゴールデンレドリバーを連れながら、ティムと散歩していた。

あまりの偶然に、ティムも私も驚いた。
それから30年経っていたのだ。
彼はドイツ系アメリカ人で、今はアメリカの大学で、ドイツ語を教えている。

彼の友達のティムとは、音信不通のようだ。
ティムはお酒のことが詳しかった。
訊いてみれば、ニューヨークで、バーテンダーをしていた。

カナダに帰国したおり、私にウイスキーやビール評論家の、マイケル・ジャクソンの本を、
お土産に買ってきてくれた。
さて隣の日本人とも、30年ぶりの再会のようだ。

「マスター、ティムのこと、よく憶えていますね」
その瞬間、はっと思いついた。
「……明角さん?」
「嬉しいな、絶対無理かなって、思ってました」

彼の名字に特徴があり、記憶が甦った。
滅多にない名前は、瀬戸内海の入り口の島にあった。
明角さんの先祖は、村上水軍と関係してるのじゃないですかと言ったら、
そうですと言っていたのを思い出す。

瀬戸内海の入り口を守る一族が、先祖であると言っていた。
明角さんは、親戚のいるアメリカで、幼稚園から大学まで過ごす。
そのあと母親の経営する幼稚園で、英語教育に携わった。

当時、幼稚園で英語教育は、かなり評判になった。
そのころ、私の店に、立ち寄ったのだ。
幼稚園のクリスマスパーティーの帰り、
彼の助手だったティムと、来店したのだった。

現在彼は、石川県に住み、明日、石川県に帰るらしい。
ドイツ系アメリカ人ケーゲルも、水曜日に帰国する。
30年の間、お客様には、様々な人生が、繰り広げられた。

その間、バブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍などがあり、
昭和、平成、令和と、時代も変わった。
だがショットバー・ピーポッポは、変わることなく、
板橋区大山の片隅に、39年間、生き続けた。
人生、普通に平凡であることは、難しいことなのかもしれない。