愉しいかな、高校3年9組同級会
2013年5月18日

若葉も美しく葉音も爽やかな今日、母校・都立千歳ヶ丘高校の同級会へ出かけた。
東武東上線から山手線へ乗り換え新宿へ。
久しぶりの新宿は、大勢の人で賑わっていた。

私が子供の頃、新宿の高層ビル街は、淀橋浄水場で、高い石塀で囲まれていた。
やがてそこが都市再開発により埋め立てられ、草が生え
茫漠とした風景を晒していた。
懐かしい新宿の地下街を歩く。

学生時代に通った喫茶店へ行ってみる。
2軒の行きつけの店は、すでに消えていた。
40年以上も経つのだがら、当たり前のことなのであろう。

地下道から西口会館へ歩く。
昔のソシアルビルで、様々な店が同居していたビルも、ユニクロに変わっていた。
外へ出ると新宿の雑踏の中、大久保に向かい、青梅街道を渡ると柏木に出る。

柏木にある老舗「おいどん」へ出かけてみた。
柏木は30歳位まで、よく出かけた街だ。
当時は2階建ての木造の飲食街が、軒を接していた。

昼間は殺風景で死んだように静かだが、夜の帳が落ちると、様々な色のネオンや提灯が灯る。
なかには見るからに、如何わしい風情の店もある。
今は小洒落た店が立ち並んでいる。

薩摩料理と焼酎の店「おいどん」も、今はダイカンプラザの2階にある。
階段を上ると、すぐ左手にあった。
だが現在、土曜は休みで、電気が消えていた。

そして時間に余裕があるので、ビルを出て近くの柏木公園へ寄った。
この公園はアナキストで作家であり翻訳家であもあった大杉栄が、憲兵大尉・甘粕正彦に逮捕連行されたことで有名である。
大久保に住む大杉栄1885年(明治18年) - 1923年(大正12年)は、伊藤野枝と大杉栄の甥・橘宗一(6歳)と、この公園に来て遊んでいた。
 
それは1923年(大正12年)のこと、逮捕された3名は甘粕たちにより獄中で虐殺された。
今では誰も知る由もなく、この公園の辺りは海賊盤CDのメッカとなり、たくさんのブートレグの店が犇めいていた。
だが今はその店も、ラーメン屋や立ち飲み屋に変わっていた。
 
小さな公園にはのんびりと午睡を愉しむ人や、ベンチで語らう若者たちがいた。
ビルの谷間の公園は緑に包まれ、街の小さいオアシスのようである。
鳩たちが地面を歩きながら、忙しなく餌を探している。
 
公園の横の道を少し歩き、路地を右手に折れると、偶然にも目的の料理店・華王飯店の前に出た。
同級会は5時からであったが、30分近く前に到着した。
店内を見ると懐かしい顔が見える。
 
中へ入り仲間と挨拶を交わし、これから到着する面々を待った。
東上線の最寄りの駅へ向かう車の中で、車を運転するママが訊いた。
「今日は何人くらい来るの?」
「幹事が4人いるから、俺を混ぜて5人は確実だね」

テーブル席には、15人の名前が書き込まれた箸が置いてあった。
どうやら15人が参加するらしい。
やがて三々五々、仲間たちがやって来た。
 
40年以上ぶりの人もいる。
瞬間的には思い出せない人もいる。
箸に書かれた席に座りやっと思い出す。

長い歳月が経つと人の姿も変わり、こちらの印象も薄れる。
やがて開宴の5時に、14人が集合した。
そして司法書士のEさんの挨拶のあと、会が始まった。
会話が進むに従い、40年の歳月が輝きを増す。
 
その話し方、物腰、笑い顔に昔の思い出が蘇る。
団塊の世代の最初の年、昭和22年に生まれた我々。
高校3年の9組を、ともに過ごした仲間たちの面々に、笑顔が溢れる。
すでに鬼籍に入った友もいる。

連絡のつかない人もいる。
残念ながら今日は出席できなかった友たち。
お酒を酌み交わし、懐かしい時代を語り合いながら、中華料理を美味しくいただく。
外を眺めるとすでに初夏の日も、すっかり落ちていた。

お酒の満ちたグラスを手に、あちらの席へこちらの席へと移動する。
様々な昔のエピソードに花が咲く。
今日の会を開くことを提案したN女子は、残念ながら病気のために、出席できなかった。
現在、病院に入院しているようだった。

順番に手渡されるノートへ、彼女のために皆んなで寄せ書きをした。
私も「早く元気になって、近い将来、また同級会を開き、再会しましょう」と書き添えた。
すると1時間前、お店に電話があったS女子が、閉会間近の8時前に登場した。

仕事を済まして高崎から会場へ、直行したとのことだった。
幹事たちは会費は要らないと固辞したが、本人は「働いていますから払いますと」と言って会費を払う。
会社勤めをしている人たちは、殆どの人が定年で退職していた。

私たちのクラスは、不思議と個性的な人達も多く、今でも現役の人達がいる。
映画監督、作家、大学教授、モダンダンサー、司法書士、バーテンダーなど。
きっとまだ連絡の取れない仲間も、いろいな職業に就いて活躍しているであろう。

全ての仲間たちへ連絡をとり、さらに愉しい時を、ともに共有したいものである。
閉会の予定時間は過ぎ、8時半に閉会となった。
幹事の皆様、ご苦労様でした。
そしてまた何時の日か、再会できることを愉しみに待っています。