映画とお酒
映画史上に残る男酒

最近のこと、森谷司郎監督「海峡」(高倉健主演1982年公開 )を見た。
甚大な犠牲と困難の中、難工事の末、25年の歳月を経て、青函トンネルの先進導坑工事は完成した。
そして主人公の高倉健演じる阿久津剛は、単身赴任の地・龍飛を立ち去り、岡山の実家へ帰ることになった。

そしてボストンバッグを手に帰る途次、居酒屋へ立ち寄る。
25年前のこと、厳寒の風が吹き荒ぶ龍飛岬の絶壁から、身投げをしようとする女性が立っていた。、
偶然にも発見した阿久津に救われた、吉永小百合が扮する牧村多恵が、閑散とした店内で、1人店番をしていた。
阿久津は玄関を開け居酒屋へ立ち寄る。

店内には誰もおらず、牧村多恵が1人だけがカウンターの中にいた。
阿久津は止まり木に座り、日本酒を1本、熱燗で注文した。
多恵はカウンターに箸とぐぃ呑みを置き、ザッパ汁をガスコンロであっためながら、酒の燗をする。

そして燗銅壷から徳利を取り出し、止まり木に座る阿久津の横に腰掛け、阿久津のぐい呑へお酒を次ぐ。
阿久津は神妙な面もちで、ぐぃ呑みに注がれた酒を、じっと無言で眺めやる。
やがておもむろにぐい呑を口につけ、ぐい呑の酒を1滴舐めるように口の中へ。

その酒は11年間、先進導坑工事が完工するまで禁酒を誓って以来、初めて飲む酒だった。
そして2呼吸置いて、残りのぐい呑の酒を、一気に口に中へ。
かすかに斜めに顔を傾け、天井を仰ぎながら、数秒の時間が経った。

阿久津はもう1度確かめるように、口の中に広がる酒を飲み込む。
その後、ぐい呑に静かに目をやり、深い溜息をついた。
25年経った阿久津の頭髪には、すでに白いものも垣間見れる。

難工事の25年間の様々なことが、明瞭な画像となって、彷彿と去来したのであろう。
仲間を失い、長い単身赴任により、家庭も犠牲にした。
阿久津は多恵へぐい呑を勧める。

多恵はぐい呑を両手で持ち、阿久津はお酒を注ぐ。
多恵は注がれるお酒を、震えるように受け、傍に座る阿久津の優しさを感じながら、微かに目をつぶりぐい呑を空けた。
絶望の淵から阿久津に救われ、すでに25年間の歳月が経つ。

淡い阿久津への思いを、決して表すことができない日々。
阿久津には岡山に妻子がいる。
そして命の恩人でもある。

2人にとって、この酒が別れの最後の1杯になった。
その酒は2人の心を繋ぐ酒であり、2度と合うことのない別離の酒でもあった。
「海峡」の全てが、最後に交された酒の、このシーンに凝縮されている。
高倉健が飲む酒は、日本映画史上に残る男の酒であろう。