カクテルのモヒート(Mojito)ストーリー
2011年3月24日

昨年の夏は何故か私の店でも、カクテルのモヒート(Mojito)の注文が多かった。
日経新聞によれば、巷でもモヒートが大変なブームとなり、バカルディ社のホワイトラムの売上量は記録的だったようだ。
一昔前なら、モヒートのカクテルを知る人も少なく、カクテルブックによっては、モジートと書かれているくらい、日本ではマイナーな存在だった。
それが今では、人気カクテルになるとは、隔世の感を抱くのは私だけだろうか。

かつて、アメリカの作家ヘミングウェー(Ernest Miller Hemingway・1899年 - 1961年)が愛飲したカクテルの一つでもあり、
キューバに定住を決めた1940年代、ハバナの旧市街にあるバー「ラ・ボデギータ・デル・メディオ(La Bodeguita del medio)」でモヒートを飲み、
ダイキリはバー&レストラン「ラ・フロリディータ・デ・キューバ(La El Floridita de Cuba)」で愛飲していた。

一説によれば、エリザベス一世の時代、国王の庇護のもとに、カリブ海を暴れまわった海賊フランシス・ドレイクが指揮する海賊船の船乗り、
リチャード・ドレイクが、キューバに伝えたというドラケ・Draqueに起源を持つ説が現在では有力である。
ドラケとはサトウキビを原料にした蒸留酒アグアルディエンテという、まだまだ酒質の荒いラム酒で造られた、土着的なカクテルであった。

1830年、ドン・ファクンド・バカルディ・マッソ(Don Facundo Bacardi Massó・1814 – 1886)は、
スペインのカタロニアからスペインの植民地であるキューバのサンティアーゴ・デ・クーバへ移住し、ワインの輸入販売をした。
そして1862年のこと、バカルディは小さな蒸留所を購入し、バカルディ社を設立する。

そしてその蒸留酒で、バカルディはラム酒を製造する。
さらにまだまだ荒削りだったラム酒を、チャーコールでろ過し、ライトでスムーズな高品質のラム酒へ進化させていった。
キューバで造られた最古のカクテルのドラケは、1920年代の半ばになり、キューバの国民的なカクテルとなっていた。
そのドラケにバカルディを使用し、進化洗練されたドラケを、人々はモヒートと愛称を込めて言うようになる。

一説によれば、モヒートとはアフリカのードゥー教の言葉であるMOJOに由来し、英語の俗語でも、お守り・魔力・麻薬等の意味を持つ。
モヒートを飲んだ瞬間、爽やかでありながらも、強いラム酒のカクテルの媚薬的な魅力により、軽い魔法にかけられてしまうと言うことだろうか。

1959年1月1日のこと、キューバのハバナを占領したフィデル・カストロは、革命政権を樹立し、国有化政策を遂行し始めた。
だがバカルディ社は国有化を避け、1960年10月、キューバより撤退する。
やがて、会社の本社をバミューダ諸島のハミルトンに移転し製造を再開した。
現在は蒸留所をカリブ海に面する諸国に保有し、ハミルトン本社で、バカルディ家の者によって、厳しい品質管理が行われている。

現在ではバカルディ社は世界最大のラム酒のブランドになっている。
ボトルに描かれる赤い円に、金色の淵に飾られた、羽を大きく広げた黒い蝙蝠は、バカルディ社の商標であり、
蒸留所の中に住む蝙蝠を、ドン・ファクンドの妻、ドーニャ・アマリア・モロー(Doña  Amalia Moreau・1822 - 1896)が考案しデザインしたものである。
その黒い蝙蝠は、「バット・デビス」と言われ、かつてキューバに住む先住民に、健康、富、幸運、家族の団結などのシンボルと信じられていた。


モヒートの作り方
ロックグラスに砂糖を加え、ミントの葉を適量入れ、バースプーンかペストルと呼ばれる擦りこぎ棒などで潰す。
そして、クラッシュドアイスをたっぷり加え、ラム酒を適量注ぎ入れる。
さらにライムを絞り皮つきのまま、ロックグラスやタンブラーに入れ、材料が混ざるように攪拌する。
仕上げにソーダ水を注ぎ入れ、ストローを2本差し、ミントの葉を飾る。

好みにより、皮を加えずジュースだけでもよく、砂糖も加えても加えなくても良い。
アーネスト・ヘミングウェイ流に、シュガーシロップに、ビターを2滴垂らしてみても深いコクを味わえる。
また、ソーダ水の代わりに、水を使用することもある。
最近は様々なフルーツで作るモヒートのバリエーションも人気がある。
自分の好みに合わせた、自分流のモヒートを愉しんでください。