ミント・ジュレップ物語 Mint jJulep 夏が来れば、やはりミントの香りも爽やかなカクテル、ミント・ジュレップだろう。 5月最初の土曜日に行われる、アメリカのケンタッキー・ダービーでは、競馬場で1日10万杯程出ると言うから、それは想像を絶する数だ。 チャーチルダウンズ競馬場のあるルイビルでは、出走馬の本馬場入場とともに、ルイビル大学のマーチングバンドの演奏がたからかに鳴り響く。 そして観衆たちは、ミント・ジュレップを飲み、ケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)を観客全員で歌う。 アメリカ人にとって、ミント・ジュレップは格別なカクテルなのだ。 アメリカの酒場では、とにかく、どんなミント・ジュジュレップが出てきても、まずは褒めなくていはいけないらしい。 けちでもつければ、それなりに覚悟をしなければならいという。 それほどに、アメリカ人にとって、このカクテルは、人々の思い入れの強いおふくろの味にして、誇り高い郷土のカクテルなのだ。 しかし、その誕生の経緯は、余り定かではない。 19世紀の初めには、すでにイギリスで紹介されているそうだ。 だがそれは、バーボン・ウイスキーではなく、モモとブドウのブランデーを、半々ずつ使ったミント・ジュレップだった。 さて、アメリカに於いては、、ヴァージニアとケンタッキーが、ミント・ジュレップの元祖争いを、飽くことなく続けている。 ケンタッキーの人々は、ケンタッキー・バーボンを使うのだから、間違いなく元祖であることを主張する。 しかし、ヴァージニアでは、バーボンが誕生する前から、すでにミント・ジュレップを飲んでいたのだから、我々が元祖だと譲らない。 すでに、南北戦争前に、アメリカ南部では、朝になく昼となく、1日中飲まれていた。 ジュレップという言葉自体、ペルシャ語のグルアーブ(バラの水)に起源を持ち、 フランスに渡り、フランス人移民の多いアメリカ南部に伝えられ、ジュレップと転化したものだろう。 語源的に言うならば、ヴァージニアに軍配が上がる。 しかし、ベースの酒を指定しなければ、バーテンダーは、バーボン・ウイスキーで作るのが常識であるからケンタッキーに分がある。 やはり、郷に入れば郷に従えが、悶着を起こさず、最良ということになるのであろう。
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