明治の殿さま遊び「飲抜無尽」

幸田露伴(1867年 - 1947年)の随筆「雲の影 貧乏の説」を読んでいたら、面白い記述に遭遇した。
それは明治の中頃、文人墨客等の間で「飲抜無尽」と言う、牛飲馬食のばか騒ぎの会があった。
その名の通り会に参加するものは、当時の金額で20〜30円(現在の貨幣価値で25万から38万円くらいか?)の会費を持ちよる。

そしてその日の飲み会の主人役と三太夫を決める。
主人は殿さまとなり、我儘放題・傍若無人な放蕩三昧が許される。
それをうまく纏め殿さまを破産させずに、やり繰りするのが番頭役の三太夫である。

主人の豪胆な散財振りと、緻密な裁量の三太夫の機転と心配りで、他の参加者は客人となり、大名遊びの乱痴気騒ぎの相伴にあづかる。
江戸の面影を未だ色濃く残す、浅草や根津の岡場所などで、度々繰り広げられた。
当時酒豪で鳴らす幸田露伴も格下で、遊びなれた先輩方の、足元にも及ばず苦渋を飲まされる。

江戸時代生まれの先輩たちは、洒脱軽妙・豪放磊落な大名遊びに酔いしれる。
だが慶応3年生まれの幸田露伴は、洒落た符牒や合言葉を弄ぶ先輩諸氏から、田舎者・野暮扱いの悲惨を味わう。
社会的地位も経済的にも豊かになった幸田露伴は、「飲抜無尽」の復活をせつに願っていた。

ちなみに尾崎紅葉・夏目漱石も、慶応3年生まれであり、森鴎外は1862年・文久2年生まれの5年先輩である。
幸田露伴は80年の天寿の末、私が生まれた年に死去している。
考えてみれば彼方に過ぎ去りし明治も、決して苔むした遥か遠い時代ではないようである。


2014年9月4日