映画に見るお酒
2011年8月5日


今年の5月から今月までに、和洋の映画を、数えてみれば38本観ている。
改めて今更ながら、映画の面白さを堪能している。
今は私のある意味で、創造的エネルギーの充電期間。
それにはたくさんの新旧の名画を観て、古い小説をじっくりと読みこむことで、たくさんの栄養が与えられる。

昨日も、アルフレッド・ヒッチコック監督、1959年製作「北北西に進路を取れ(:North by Northwest)」を観た。
ケーリー・グラント扮する、広告会社社長ロジャー・ソーンヒルは、ジョージ・キャプランに間違えられるところから事件は展開する。
ホテルから誘拐され、謎の人物タウンゼントから仕事を要請されたが、それを断ると、泥酔状態にされ、殺されそうになった。

この時、飲まさせれる酒が、バーボン・ウイスキー。
グラスに、ボトル1本が並々と注がれ、それを無理やりに、一気に飲まされた。
そして泥酔状態のまま殺されるところを、命からがら車を乗っ取り、間一髪、危機を逃れた。
その時飲まされたお酒が、スコッチ・ウイスキーやコニャックでないところが、やはりアメリカ映画。
無理やり口の中に、どぼどぼと流し入れられた酒は、アメリカの中産階級の酒、バーボンウイスキーだった。
悪人どもにも、高級酒スコッチ・ウイスキーは、勿体なかったのであろう。

命からがら、泥酔状態で危機を脱出したが、途中、酔っ払い運転で警察に逮捕される。
が、彼が誘拐され、無理やり酒を飲まされ、泥酔状態で殺されそうになったことを語るが、彼の母親も含め、誰も信じる者はいない。
そこで彼は自分自身で事件を解決しようと思い立ち、国連に出かけ、謎の人物タウンゼントを尋ねた。

だが会った人物は、彼を殺そうとした人物とは、まったくの別人。
その時、今度はタウンゼントが、何者かが投げたナイフで、背中を刺し貫かれ殺された。
背中のナイフを抜き取り、血塗られたナイフを持ち、呆然と立ちすくむ彼は、犯人に仕立て上げられてしまった。

彼は必死に警察から逃れ、さらにキャプランを追跡し探し出すことが、自分の無実を証明する。
そして、彼はキャプラン探しの追跡行のために、発車直前の長距離列車に乗り込む。
だがすでに、列車には警察の手が及んでいた。

その時、謎の女性が彼に救いの手を差しのべた。
そして、何食わぬ顔で、列車の食堂で、2人は食事をする。
その時、ウェイターが食前酒の注文を訊いた。
すると彼はギブソンを注文。
運ばれてテーブルに乗った、カクテルグラスのパール・オニオンは、純白に耀いていた。

このパールオニオンの純白が、彼の無実を象徴しているのであろうか。
そしてエヴァ・マリー・セイントが扮するイヴ・ケンドールが、彼女の客室に彼を匿った。
ところが、この彼女が曲者、彼は彼女の罠に嵌り、またもや絶体絶命。
だがどんな逆境をも克服する、超人的なエネルギーを持つ彼は、またもや死線を乗り越えた。

そして彼に罠を仕掛けたイヴ・ケンドールを捜索し、彼女の宿泊するホテルの部屋を見つけた。
部屋に入った彼は、彼女を追求する。
だがその時、彼女はさりげなく、何ごともなかったように振る舞い、一先ず、飲み物は何にするか、彼に尋ねた。
すると彼はスコッチ・ウイスキーの氷なしの水割りを注文した
彼女は平静を装いながら、丁寧に造って彼に手渡す。

やはり、高級ホテルの部屋には、スコッチが置かれ、上流階級はスコッチを飲むことを、暗に示していた。
アメリカの映画を観ていると、飲む階級によって、はっきりとお酒が決められているのが面白い。
「レスラー」を演じるミッキー・ロークは、何時も飲む酒は、バーボンであり、クリント・イーストウッドが演じる刑事も、バーボンを飲む。
アメリカの金持ちは、ホワイト・スピリッツやバーボン・ウイスキーなどは口にせず、
もっぱらシャンパンやコニャック、スコッチ・ウイスキーを飲む。

外国映画を観ていると、それぞれの重要なシーンで、なるほどと思わせる酒が登場する。
その点、日本の作品において、お酒が重要な映画のキイ・モメントになることは少ない。
小説にあってもやはり同じ傾向があるのだが、
明治後期、大正時代から昭和の初期の作品には、意外と外国のリキュールが登場する。
やはり、リキュールの中に、西洋のハイカラを夢見ていたからであろうか。

芥川龍之介作(昭和2年)「河童」に、雌の河童がテーブルの上に立ち、
アブサントを60本飲み干し、テーブルから転げ落ち、たちまちにして往生したとある。
アブサントは1906年にスイスで、1915年にはフランスでも製造禁止になった。
芥川がイメージしたアブサンは、きっとまだ世界に残っていた、純正のアブサンであろうと想像できる。
それにしても、日本は酒に対して全て平等、生活レベルによって、飲む酒の色分けがされていないのがとてもよろしい。