中南米の選挙と禁酒法

アメリカ合衆国には、かつて、1919年から1933年まで、世紀の悪法、
または「高貴な実験(The Noble Experiment」と揶揄された禁酒法(
Prohibition)が、
米国憲法修正第18条下において存在した。
経済的側面は勿論、かなり、胡散臭い宗教団体や、様々なきな臭い存在の思惑も絡んでいた。
大体において、酒を飲むな、売るな、輸送するな、製造するなどは、とてもじゃないが無理な相談。
ただ、唯一許されたのは、医療用だけであった。

それ故、悪徳医者が、大量に酒を医療用に買い込み、闇の世界へ、
それを横流ししたというのだから、あいた口も塞がらない。

しかし、お陰で、アルフォンス・ガブリエル・カポネ(Alphonse Gabriel Capone
1899年 - 1947年)率いるマフィアが、カナダから、大量にカナディアン・ウイスキーを密輸入した。
その為、大量のカナディアン・ウイスキーが、アメリカ合衆国へ流れ込んだ。
アメリカ合衆国の北に位置する名もなき地酒だった、カナディアン・ウイスキーが、
アメリカ合衆国に、認知されることになるのは歴史の皮肉。

そして、ケインズ経済理論に基ずくニューディール政策(
New Deal)のもと、アメリカ合衆国の経済も急回復する。、
そして、民主党出身の第32代アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト
(Franklin Delano Roosevelt、1933年 - 1945年)は、大統領選の争点だった禁酒法を廃止した。
しかし、禁酒法が廃止され、生産が再開されても、
ウイスキーが市場に出るためには、さらに、熟成する時間が必要だった。
そのタイムラグの間、カナディアン・ウイスキーとスコッチ・ウイスキーが、
アメリカ合衆国のウイスキー市場を、独占したのであった。
こうして、かつては、カナダのクラブ会員だけに飲まれていた、カナディアン・クラブも、
アメリカ全国区のナショナル・ブランドに成長した。

さて、中南米に目を移せば、現在でも、メキシコ、アルゼンチン、コロンビアなどで、禁酒法が存在する。
禁酒法というよりは、選挙関連法と言った方が良いかもしれない。
それは、選挙前に限って、選挙のある日曜日の前、金、土曜日は、販売は勿論、
レイ・セカ(禁酒法)により、公共の場で飲むことも禁止されている。
ボリビアに至っては、家で飲むことさえ禁止されているのだから完璧だ。
しかし、何処まで、守られているかは、家飲みに関しては確認しようもないのだが・・・・・・。

なぜ、そんなことになっているかと言えば、中南米の政情の不安定さと政争が苛烈なことに起因する。
選挙になれば、対立候補の選挙戦も過激になり、
果ては対立候補の支援者たちの流血騒ぎや暴動さえ起こすことになる。
そこに、酒が入れば、さらに、暴動は油を注がれたようにに激しく燃え上がることになる。
かつて、20世紀の初頭、アルゼンチンでの選挙当日、大地主が大パーティーを開き、
使用人を招待し、酒と料理の大盤振る舞いをした。

案の定、普段は、粗食にして、安酒の毎日の労働者たちは、宴の酒と料理に酔いしれ乱痴気騒ぎ。
宴の後、気がついてみれば、すでに選挙は終わり、大地主の選挙妨害は成功した。
こんな事件が至る所で、横行したと言われている。
つまり、労働者に酒を与え、泥酔状態にして、選挙を棄権させることで、労働者階級の、政治における台頭を阻止したのだ。

かつて、1946年のアルゼンチン大統領選挙戦において、選挙当日は、いかなる酒も飲まないように、
フアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Perón、1895年 - 1974)年候補は民衆に訴えた。
そして、労働者階級の支持を受けて、見事に大統領に選任された。
最近は、中南米も政情が安定し、政治的混乱も収まっている。
コスタリカではすでに、2009年に廃止された。
他の国々でも、再考される機運にあることは確かなようだ。