芥川龍之介とブラック&ホワイトの謎
2011年8月21日

7月24日日は、芥川龍之介(1892年・明治25年 - 1927年・昭和2年)の命日。
その日は、氏の作品にちなんで、河童忌とされ、東京都豊島区巣鴨の慈眼寺にあるお墓には、今でもたくさんの愛読者が献花を添える。
夏目漱石の死の1年前には、級友鈴木三重吉の紹介で、夏目漱石の門下にもなる。

昭和2年の7月24日に、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」の言葉を残し、芥川は服毒自殺をした。
だが、その自殺も実は狂言で、本当に自殺するつもりはなかったのではないかという説もある。
自殺の前日には、近所に住む室生犀星のもとを訪れたのだが、生憎、氏は不在。

あの時、私が芥川と会って話を聞いてあげれば、彼の自殺は避けられたのではと悔やんだそうだ。
それはさておき、芥川の自殺する3ヶ月前に書かれた作品「歯車」に、スコッチ・ウイスキーのブラック&ホワイトが登場する。
時折、芥川の右目に、半透明の歯車が現れ、数を増殖し、やがて視野を塞いでしまうと言う「歯車」の話だ。

その後、歯車は消えるのだが、猛烈な頭痛が襲い始める。
医者は芥川のヘビースモークにあると言うのだが、実母が生後7ヵ月後に発狂した血に、芥川は存在的な恐怖を感じてもいる。
この頃の芥川の作品は、まさに、志賀直哉の「話らしい話のない」心境小説の世界を尊敬する芥川にとっては、
私小説的真実の現実を、表現していると言える。

毎日、抗鬱薬や睡眠薬を常習する氏に、毎日、様々な妄想やら強迫観念など、分裂症的な症状が襲う。
そんな時、かつて自分の実父新原の経営する牛乳店で働き、今はキリスト教者となり、銀座の聖書会社の屋根裏に住む老人を尋ねた。
しかし、敬虔なキリスト教信者として、隠者のように生きる老人に、尊敬の念は抱くが、やはりそこは、氏の安息の地ではなかった。

芥川は老人の屋根裏部屋を辞し、銀座の町の裏路地を歩き始める。
重い気持ちを抱き、彷徨するように歩く芥川に胃痛が襲う。
この痛みを止めるには、ウイスキーしかないと思い、とある地下室のレストラン・バーに入った。
そして、ウイスキーを1杯注文した。

「ウイスキイを? Black and Whiteばかりでございますが、・・・・・・」
僕は曹達水の中にウイスキイを入れ、黙って一口ずつ飲み始めた。

昭和2年当時、スコッチ・ウイスキーは最高級洋酒。
日本にサントリー山崎蒸留所が、建設着手したのが、1923年(大正12)。
そして、国産ウイスキーとして、丸瓶に白いラベルを貼った「サントリー白札」が、初めて誕生し発売されたのは、1929年(昭和4)であった。

その値段たるや4円50銭。
スコッチ・ウイスキーに匹敵する値段であり、当時の一般家庭の生活費の、1割に相当するほど高価なものであった。
芥川が入った地下のレストラン・バーは、果たして今でも存在するのであろうか。

それにしても、ウイスキーがブラックアンドホワイトだけというのも、銀座といえども格式が高い店だ。
彼のすぐ横の席に座る30前後の、新聞記者と思しき男2人が、芥川を意識しながら、フランス語で話している。
「Bien……tres mauvais……pourquoi ?……」
「Pourquoi ?……le diable est mort !……」
「Oui, oui……d'enfer……」
そんな連中の溜まり場でもあった店なのか?

ボーイはきっと、白のボーイコートに、黒のズボン、黒い靴を履いていたであろう。
もちろん、襟首には黒い蝶ネクタイ。
頭はオールバックに、決めていたかもしれない。

だが、注文を取り、アルミニュームかステンレスのサービストレで運ぶ、ホール係のボーイなら、短髪かもしれない。
テーブルに置かれたウイスキーは、小さな底上げのずしりと重い、30ccきっかり入る、ストレートグラスに注がれていたであろう。
そして、別のタンブラーに、冷えたソーダー水が満たされ、チェイサーとして置かれたものか?

そのチェイサーに、ストレートグラスからウイスキーを注ぎ入れ造った、自分味のハイボールは、さぞや美味いであろう。
だが、実際には、芥川は大の甘いもの好き。
そしてタバコは、1日に180本も吸うヘビースモーカー。
さらに風呂嫌い、犬嫌い、酒はからきし駄目な下戸であったと言う。
それなのに、何故、ウイスキーであったのであろうか?