「歴史の手わたし」
    登場人物
    山本俊夫1947・昭和22年生まれ
    山本裕子1949・昭和24年(山本俊夫の妻)
    多田正夫1914・大正3年
    多田好子1920年・大正9年
    多田正子1941年昭和16年(多田夫妻の娘)
    多田好夫1942年昭和17年(多田夫妻の息子)
    山田和弘1945・昭和30年(通称和さん)
    山田美千代1947昭和33年(和さんの妻)
    山田智子1989平成元年(山田夫妻の娘・大学生)
    巡査
    (若者たち)
    哲也1986昭和61年
    真知子1986昭和61年
    三郎1986昭和61年
    通行人たち

 
 1幕
      日曜の秋の宵、荒川を渡れば埼玉。
      江戸時代から続く酒蔵もある、東京の城北、赤羽の飲み屋街の路地。
      山本夫妻は久し振りに、この界隈にやってきた。
      そして、馴染みの居酒屋の近く、八百屋さんの前で、80歳は過ぎているだろうか、
      お婆ちゃん(多田好子)に声をかけられた。

好子  あの、お爺ちゃんを知りませんか?
俊夫  え、どちらの?
好子  おかしいな。こちらへ向かったはずなんすけど。.
裕子  何処へ行ったの、お爺ちゃん。
好子  お爺ちゃん達、お鮨屋さんに集まってるの。毎年、11月13日は戦友会なの。
裕子  そうなの。それで毎年、同じお鮨屋さんに集まるのね。
好子  はい。
裕子  何処にあるのかしら。
好子  確かに、この近くなんだけど。
俊夫  お店の名前とか、住所が分からない?
好子  それが分かればいいのだけどねー。作業着で出かけたのは確かなんだけど。
     お爺ちゃん、何処へ行くにも作業着なんだから。
     たまには、背広で行きなさいよって言ってもだめ。
裕子  そのお鮨屋さん、何処か分かる?
好子  この近くのはずなんですけど。私も2度ほど来ましたから。

      (そこに、八百屋の旦那の和さんと、娘の智子ちゃんがやってきた)

和さん 兄さん、どうしたの?
俊夫  お婆ちゃんの旦那が、何所かこの近くの鮨屋へ出かけたらしいの。
     お婆ちゃん、心配して、探しに来たみたい。
智子  お婆ちゃん、何処から来たの? お爺ちゃん、何処のお鮨屋さんへ行ったの。
好子  王子から来ました。
智子  独りで?
好子  はい。
智子  それは遠いな。
好子  いいえそれほどでも。
俊夫  旦那さん、この辺りにある、昔からの鮨屋といったら何処ですかね。
和さん 金寿司、宝寿司、文鮨に松鮨ってところかな。
裕子  じゃ、私たち、探しに行ってみます。場所を教えてください。
和さん (下手を指して)この先、一番街はすぐ右手に宝寿司、そして、その先の左手に金寿司がある。
     (さらに上手を指して)そして、この路地の先100メートル行ったところの路地を、
     右手に折れると、右に文鮨がある。そこをさらに200メートルほど先に、松鮨があります。
俊夫  じゃ、私は宝寿司とその先の金寿司へ行って来ます。
裕子  私は文鮨と松鮨へ行くわ。
智子  奥さん、私も、どちらかへ行きます。
裕子  そう、悪いわね。じゃ、松鮨へ行ってくれる。
俊夫  ところで、お婆ちゃん、お爺ちゃんの名前は何て言うの?
好子  多田正夫、鶴田浩二に似ているかな。若いころは、良い男だったのよ。
智子  だれ、鶴田浩二って?
和さん おめえ、知らねえのか、鶴田浩二?
智子  知らないから訊いてるの。総理大臣?
和さん いったい何を勉強してるのかね、今時の学生は。そんな名前の総理大臣いる訳ねえだろ。
     映画俳優、もう死んじまったけどな。日本を代表する二枚目よ。
智子  なんだ、そうだったの。それじゃ、知る訳無いや。
俊夫  じゃ、ちょっと、探しに行ってきます。

       (3人は、それぞれに、鮨屋に向かった)

和さん 頼みますよ! お婆ちゃん、きっと、見つかるからね。
好子  ありがとう。お爺ちゃん、早く見つけないと。
和さん お爺ちゃん、何時頃に出かけたの。
好子  1時頃だったかな。戦友会は2時から始まるって言ってたから。
和さん 何時終わるの?
好子  5時には終わるって言ってた。
和さん すると、もう終わっているはずだ。
好子  もう、9時近くでしょ。だから、心配で出てきてしまったの。
和さん 心配ないよ。きっと、鮨の土産の折でも、持って帰って来るって。
好子  そうだといいのだがね・・・・・・
和さん 大丈夫、俺が保証するさ。

       (和さんは、お店のお客様の会計をしている。
        やがて、智子が戻って来た)

智子  お婆ちゃん、残念だけど、居なかったわ。

       (裕子も戻って来た)

裕子  お婆ちゃん、駄目だった。ごめんね。
好子  良いんですよ、ありがとうさん。

       (そして、しばらくしてから、俊夫が戻って来た)

俊夫  お婆ちゃん、ごめんね、見つからなかった。他にもいろいろとあたったんだけど。
和さん 駄目でしたか。赤羽も広いですからね。
好子  皆さま、ありがとうございました。自分で探しますから、もう結構でございますよ。
俊夫  それは危険だ。こんな時間に、お婆ちゃんの一人歩きは。
好子  でも、お爺ちゃん、血圧が高いでしょ。だから、早く探して連れ帰らなければいけないの。
裕子  あなた、如何しましょう? 困ったわね。
俊夫  居酒屋どころじゃなくなったな。
裕子  当たり前でしょ。
和さん 警察に連絡しやしょうかね。
智子  お父さん、もう少し探してみましょうよ。
和さん そうだな。それで駄目だったら、警察に連絡しよう。

      (すると、居酒屋で飲んでいた若者たちが出てきた)

三郎  如何したんです?
俊夫  お婆ちゃんの旦那、何所か、この辺の鮨屋に出かけたらしいの。それで、みんなで探してるわけ。
真知子 お婆ちゃん、大丈夫、あたし達も手伝ってあげる。
哲也  俺、赤羽育ち、任してください。
和さん いいねお兄さんたち。その気風、なかなか見上げたものだ。
哲也  何処から始めましょうか?
和さん すでに、金寿司、宝寿司、文鮨に松鮨は行ったから、それ以外を頼むよ。
俊夫  お婆ちゃん、立ったままで大丈夫?
好子  大丈夫です、これくらいのこと。これでも、畳屋の女房よ。
裕子  でも、だいぶ寒くなったし、心配だわ。
好子  元気が取りえです、慣れてますから。
和さん うちの店で良かったら、休みなよ。汚いところだけど、遠慮なし。
智子  そうしなさいよ、お婆ちゃん。
好子  もう、お婆ちゃんは堪忍して。私の名前は多田良子です。
智子  ごめんなさい、うっかりして。
好子  もういいわ。
智子  すみませんでした。
好子  でも、ここを動きたくないの。お爺ちゃんが前を通るかもしれないし。

       (和さんは店の中から、背もたれのある椅子を持ってきた)

和さん ここへどうぞ座ってくださいな。智子、石油ストーブも頼むわ。
裕子  よかったね、多田さん。みんなで、お爺ちゃん、見つけてあげるからね。
三郎  俺とこいつも手伝うから。安心して待っててよ。なー哲也。

      (好子は、店の前に置かれた椅子に座る。
       中から、智子が石油ストーブを持って来た)

智子  遠慮しないであたってね。(石油ストーブを持ちながら)こんな向きかな。
和さん この向きだろうよ、気が利かねえな。
智子  ほんとに、嫌な親父なんだから。
俊夫  それでは、私と女房は(上手を指して)こちら方面をあたって見ます。
哲也  私たちは(下手を指して)こちら、赤羽西口方面に行って来ます。
智子  私は東口のロータリー辺りを探してみます。
好子  皆様、よろしくお願いします。
和さん 任せておけってのよ。きっと見つけるから。
俊夫  それでは、捜索隊開始としましょうか。そして、見つかっても見つからなくっても、
     1時間後に、経過報告に、ここに戻ってくる。今が8時40分だから。9時40分に此処に再度集まる。
     お爺ちゃんの名前は多田正夫さんです。
三郎   分かりました。哲也、真智子、行くか。すでに、行った鮨屋は、宝寿司、金寿司、文鮨、松鮨。
       そして、お爺ちゃんの名前は多田正夫さん。
哲也   OK。
真智子  OK。
俊夫  じゃ、俺たちも行くか。
和さん 皆さん、よろしく頼みますよ。

       (そして、捜索隊は舞台から消える。
       好子は、皆さまに手を合わせ、深々と頭を下げる)

和さん 好子さん、きっと見つかるって。大船に乗ったつもりで待っていればいいよ

      (好子はこくりと頷く。
       だが、心配なのだろう、じっと道路の人通りを見ている。
       和さんは店の片づけものを始める)

和さん 好子さん、そろそろ閉店の時間だから、シャッターを半分だけ閉めるからね。
好子  邪魔じゃないかい?
和さん 大丈夫、気にしないでくださいな。

      (ガラガラとシャッターを半分だけ閉めた。
       そして、和さんは店の奥へ消えた。
       やがて、和さんが奥さんの美千代さんと戻ってきた)

美千代 はい、温かいお茶をどうぞ。
好子  ありがとう。(湯呑を両手で持って口へ)温かくて、とても美味しい。
美千代 だいぶ冷えて来たわね。お話は聞いたわ。ここは寒いけど、もう少しだから辛抱してね。
和さん 美千代、奥から、お前のコートを持って来てあげないいか。
美千代 そうね、持ってくるわ。

       (美千代は奥へ消え、そして、黒いコートを持って帰ってきた)

美千代 どちらから来たんですか?
好子  王子、飛鳥山の近くです。
美千代 どうやって、来たんです。
好子  歩いて来ました。
美千代 歩いてここまで。大変でしたね。遠慮なしに休んでいてください。
好子  ありがとうさん。
美千代 (好子にコートを掛けながら)きっと、お爺ちゃん、見つかるわ。まだ私、洗濯が残ってるから、これでね。

        (好子は無言で頷く)

美千代 ここで、待っていて下さいね。

       (美千代は奥へ消えた。
       やがて、待ちくたびれたのか、好子はうとうとしだした。
       和さんは、好子の手にした湯呑を、そっと手に取り、野菜棚に置いて、優しくコートを掛け直した)

       「好子、夢の中の回想1」
       舞台の照明が落ちる。
       暗転のなか、椅子から立ち上がった好子は、舞台中央、下手よりの少し前に立っている。
       そこへ、スポットライトが落ちる。

好子  生まれたのは埼玉県の小川町でした。
     荒川がゆったりと流れていて、その向こうには、秩父の山々が光っていた。
     昔から、この町では美しい和紙が漉かれていました。
     私の家はお蚕と畑仕事の兼業農家でした。
     19歳の春のことです。
     母方の親戚の伯父さんから、私の元へお見合いの話が来ました。
     そのお相手のお名前は、多田正夫さん、26歳。
     東京の王子の方だった。
     お見合いと言っても、一枚の小さな写真だけです。
     正夫さんは着慣れない黒い背広姿で、真面目そうに、少しはにかんだように写っていました。
     とても優しそうで、誠実そうな人柄が伝わりました。
     もちろん、私が結婚した人ですから、とても二枚目でしたよ。
     正夫さんは満洲へ渡って、畳職人をしていました。
     私の家はけっして豊かではありませんでした。
     下にもまだ、3人の弟や妹がいました。
     結婚をして、少しでも家の足しになればと思い、私は決心しました。
     当時は、そうして、写真一枚を頼りに、海を渡った花嫁はたくさんいました。
     昭和14年の秋、私は東京から国鉄で新潟へ行き、そこから満州の大連へ、連絡船で渡りました。

       (ボー!と船の汽笛の音がする)

     小さくて汚い旅客船の長い船旅でした。
     やがて、中国の大連の港に着きました。
     ところが、そこからが大変、正夫さんが住んでいる満洲国の首都、吉林省新京。
     今の長春は、まだまだ先でした。満鉄のひかり号に乗って、80時間以上の長旅でした。
     何処までも続く大平原は、荒涼としていて寂しかったわ。

       (鉄路を進む列車の響き)

     不安も抱えていたけれど、新しい生活に夢を持っていたのね、ちっとも怖くなかった。
     10月の大陸の朝は、身体の芯から冷え込んでとても寒かった。
     でも、大平原の朝靄を破るように、立ちのぼる朝日の美しかったこと。
     これから、私たちの新生活が始まるのだと思い感動したわ。
     それから、4日かかって新京へ着いた。
     もちろん、正夫さんは停車場で、あの写真の背広姿で、私を待ってた。
     写真とそっくりなので、すぐに分かったわ。
     そして、停車場に程近い私たちの新居に出かけたの。
     新居の回りには、たくさんの日本人が住んでいた。
     上下水道も完備されていて、田舎者の私は吃驚しました。
     道路も舗装され、車がすれ違えるほどに広かった。
     新京の街は、日本の街以上に繁栄していました。
     正夫さんは真面目で、とても優しい写真の印象通りの人でした。
     朝から晩まで、私のために働いてくれました。
     正夫さんは畳職人。
     利き腕の右手は、左手の倍くらいあるの。
     太くて厚い逞しい手で、ぎしっと畳針を打ち込み、下から抜いて、また、ぎしっと下から打ち返す。
     それをまた抜き、肘でぎしぎしと締め付ける。
     その姿を見てるだけで幸せだった。
     その手で抱かれると、とても嬉しかった。
     やがて、2年目の春、長女が生まれました。

       (子供が誕生したときの泣き声がする)

     正夫さんの1字を取って正子と名づけました。
     そして、その翌年、長男も生まれました。
     今度は、私の好子の好と、正夫さんの夫を貰って、好夫と2人で決めました。
     毎日、子供たちが遊ぶ声で、家の中は賑やかで、幸せいっぱいでした。
     でも、何時までもそんな幸せは続かなかった。
     戦争はますます激しくなって来ました。
     この日本街からも、毎日のように出征して行く人たちを見送った。
     昭和18年、正夫さんのもとにも、覚悟はしていたが、召集令状が来た。
     そして、皆に見送られながら、戦地に旅立って行った。

       (出征する兵士を送りだす、バイイザーイ! バンザーイ!の声)

     ひょっとしたら、これで終わりになるのかと想像しただけで、
     二人の幼児を抱きしめながら、零れ落ちる涙を抑えることができませんでした。
     戦況はますます激しくなりました。
     誰も語りはしないが、日本はもう駄目だと、誰もが肌で感じていました。
     きっと、日本は戦争に負けると。
     正夫さんからは、一通の手紙も届かず、まったく消息はなかった。
     中国大陸では、共産党軍と国民党が手を結んで、日本軍を攻撃し始めました。

     そして、忘れもしない昭和20年、不可侵条約を破って、ソ連が満州国境を越えた。
     すると、あれほど偉そうに威張っていた、満州の守備隊、関東軍が、真っ先に逃げ出してしまったの。
     戦争といえども、ソ連軍のすることは、それはそれは、口にするにも恐ろしいほどでした。
     戦争とはそういうものなのでしょう。
     略奪、殺戮、暴行、強姦、恐ろしい噂や情報が交錯しました。
     やがて、想像した通り、日本は敗戦を迎えました。
     今度は全く逆の立場になりました。
     戦争に負けた者達には、人間の誇りも尊厳もありません。
     全てがずたずたに蹂躙されたのでした。
     私たちは、かつて仲良くしていた中国人にさえ怯えながら、恐ろしい毎日を送りました。
     いまだ、正夫さんは帰ってきませんでした。
     すでに、終戦から半年も経っていました。
     この日本人街を捨てて逃げた日本人たちは、いったいどうしたのだろうか。
     街はすでに荒れ果て、廃墟のようになっていく。
     2人の子供を抱え、如何することもなく、ただただ、正夫さんを待つだけ。
     あと1週間待ってみよう。
     そして駄目だったら、この子たちと死のうと覚悟した。
     やがて、最後の日がやって来た。
     なんと奇跡のように、正夫さんが、ひょっこりと、兵隊姿で戻って来たのでした。
     その瞬間、私は腰が抜けて、10日間寝こんでしまった。
     それから、私たちは、命からがら、日本へ帰国することになりました。
     戦争が終わったというのに、たくさんの日本人の死体を見ました。
     引き揚げを待つ難民収容所でも、栄養失調や赤痢や発疹チフスで、たくさんの日本人が死にました。
     大人も子供も老人も、いたる所に死体が腐乱していました。
     それは口に出来ないほどの地獄絵。
     戦争は残酷で、悲惨で残虐なものです。
     人間って、戦争になれば、何でもする動物なのですね。
     だからこそ、絶対に、どんな理由があっても、2度と起こしてはいけない。
     私たちは、持てるだけの荷物を持ち、子供のリュックにも荷物を詰めさせ、人で溢れかえる列車で大連港へ着いた。
     そこから、零れ落ちそうな位に、大勢の引揚者を乗せた、小さな小さな貨物船に乗り、日本の舞鶴港に着いたのです。
     そして、うねる波に揺られながら、やがて、群青色の海の彼方、日本の本土が見えたの。
     緑に燃えた山々、青い空が何処まで大きく広がっていた。
     日本の土をやっと踏める。
     夢のようでした。

       (船の汽笛の音)

     港に上陸すると、日本の土が、靴の底から優しく愛おしく、お帰りなさいと我々を迎えてくれたの。
     そして、私たちは、正夫さんの実家のある東京の北区王子に向かった。
     東京もそれはそれは酷いありさま。
     辺り一面、焼け野原だった。
     昭和20年の413日未明の空襲で、王子権現様も、高さ20メートルの1本の銀杏の木を残して、すべて焼失したのでした。
     もちろん、王子にある正夫さんの実家は、跡形もなく、両親の姿もなかった。
     軍事施設のあった王子や十条の空襲は、激しいものだったそうです。
     私たちは、正夫さんの実家のあった場所に、掘立小屋を建てて住みました。
     それからというもの、小さい子供たちを抱えて、正夫さんは日が昇れば起きだし、夜遅くまで働きました。
     日本の戦後の復興は、凄まじい勢いでした。
     所得倍増計画やら、東京オリンピックを迎え、各地に団地が建ち、
     この辺りにもたくさんの家が建ち並びました。
     おかげ様で、私たちも小さいながら、念願の家を建て直しました。
     毎年、8月が来れば、王子神社の祭礼。
     2年に1度の本祭り。

       (賑やかにお囃子の音)

     王子神社の「槍祭」の祭礼の賑やかさといったら、それは凄い人出でした。
     参道から境内まで、数えきれないほどの露店が出て、テキ屋のお兄さんの呼び声が、景気よく響いていました。
     やがて、神輿10数基が繰り出し、境内には、賑やかにお囃子の鉦や拍子木が響く。
     木遣りの声は凛々しく、祭りは最高潮に盛り上がったものです。
     正夫さんは好夫の手を、私は正子の手を引いて、王子権現様の縁日へ、家族そろって、浴衣姿で出かけました。
     師走になれば、毎年、6日の日は熊手市がたちました。
     来年の干支が飾られた熊手には、お神輿、招き猫、七福神、おかめ、
     大入り袋、米俵、松竹梅、鶴亀などが、賑やかに飾られていました。
     境内では、商売繁盛、家内安全を願う、威勢の良いかけ声と手締めの音が、夜遅くまで響いていました。

       (掛け声とともに、手締めの柏手が響く)

     やがて、長女の正子は高校から女子大学を出て、公立中学の数学の教員になった。
     そして、5年後に、同じ教員仲間の英語教師と結婚をして家を出ました。
     だが、人生とは酷いもの。
     旦那様の道夫さんは、結婚生活10年めで、肺癌になって死んでしまいました。
     子供はいませんでした。
     お酒も煙草も、もちろん、ギャンブルなんてとんでもありません。
     生徒さんにも慕われた素敵な先生でした。
     世の中とはそんなものなのでしょうか。
     真面目で、人一倍の努力家で、親思いの人ほど早く亡くなるのでしょうか。
     正子は暫くして、家に戻ってきました。
     長男の好夫と言えば、腕白で苦労させられました。
     小学校の時は、何度、お友達の家へ謝りに行ったことか分かりません。
     でも、中学に入ったら、野球に夢中になって、やれやれと、正夫さんと胸を撫で下ろしたのも束の間。
     どうしたことか、不良の仲間に入り、警察にも度々呼ばれました。
     その頃、岸首相が登場し、プロレスでは、黒いタイツを穿いた力道山が、大活躍していました。
     幸田露伴の名作「五重塔」のモデルにもなった、谷中霊園に建つ、天王寺五重塔が全焼した年でもありました。
     黒焦げて骨組だけの残骸の焼け跡から、男女2人の遺体が発見されたそうです。
     好夫も3年生になりました。
     その頃から、家には帰らず、たまに戻れば、正夫さんと大喧嘩のとても辛い毎日でした。
     そして、中学を卒業すると同時に、家を出ました。
     だが、家を出て5年後のこと、23歳になった息子が、神妙な顔をして、我々の前に帰って来たの。
     それは見違えるように礼儀正しく、凛々しくなっていたのに驚きました。
     中学を出て、魚屋でアルバイトをしながら、ボクシングジムに通っていたのです。
     そして我々に、畳に頭がつくほどにして、「親父さん、お袋、色々と済みませんでした。
     チャンピオンになって、必ず恩返しをします」と約束しました。
    
       「好夫の回想」

       (舞台下手に、赤いグラブをはめ、赤いシューズを履き、真っ白なガウンを纏った好夫にライトが落ちる。
        好夫は軽いステップで、シャドウボクシングを始めた。スポットライトの落ちた丸いサークルの中、右左に
        スピードの乗った鋭いパンチが繰り出された。サークル内を一回りすると、シャドウボクシングは終わった。
        そして大きく息を吸い込んだ。
        やがて、背筋をピーンと伸ばし、正面を見据え、両拳のグローブを、パチーン!と響かせた)

好夫  チャンピオンは最強のハードパンチャーだ。
     挑戦者をほとんどリングに沈めている。
     怖くないと言ったら嘘になる。
     リングに上がる時は、何時でも怖い。
     しかし、今回に限っては、それ以上に、身体の底から恐怖を覚える。
     俺は何時も親父やお袋を泣かせてきた。
     お袋は俺のために、どれほど、世間に頭を下げたことだろう。
     親父とお袋は、俺たちのために、朝から晩まで働きずめだった。
     俺はそんな両親を誇りに思っていたのに、やることなすこと、全て逆の親不孝ばかり。
     何故なのか俺も分からなかった。
     せめてもの救いは、犯罪者にならずにすんだ事くらいだ。
     そんな落ちこぼれの俺が、やっとここまでやって来れた。
     今、俺はリングに上る。
     俺は必ずチャンピオンになる。
     チャンピオンベルトを巻いた姿を、親父とお袋に見せてあげたい。
     こんな俺でも、チャンピオンになれるのだと。
     聞こえるかい、この俺を祝福してくれているたくさんの応援団の拍手を。
     そして、俺は、青く塗られた3段の階段を踏みしめ、今、戦いのリングに上る。
     やはり、お袋は来ていなかった。
     でも、親父が独り、俺が贈った席に座っていた。
     祈るような親父の瞳が潤んでいた。
     あの馬鹿者の好夫が、リングに立っている。
     こんなにも大勢の友達に、応援されている。
     嬉しさで、親父の瞳が濡れているのが俺には分かった。
     この試合、何があっても、死に物狂いで、10ラウンド戦い抜いて、必ずチャンピオンになる。
     こんな俺でも、ここまでやれるのだと証明したい。

    (好夫にあたっていた照明が消える)

       「好子の夢の中の回想2」

好子  「そして、正夫さんと私のもとへ、2枚の入場券が送られて来ました。
     あれから2年後のこと、好夫は頑張って、やっと、日本タイトルの挑戦者に決まったの。
     ボクシングって、殴り合いでしょう。
     息子が人様を殴ったり、殴られたりは耐えられません。
     ぜひ、正夫さんだけでも行くように言いましたが、私が一緒でなければ嫌だと言って、行きませんでした。
     でも、行かなくてはいけなかったのです。
     その試合を最後に、好夫はこの世を去りました」

       (カーン、カーン、カーンと別れの10カウントが鳴らされる)

       (好子を照らしていた照明が落ちる。
       すると、舞台の上手には、作業服姿の夫、正夫が立っていた。
       そして、スポットライトが落ちる)

        「正夫の回想」

正夫  私は好子と一緒に試合に行きたかった。好夫を二人で応援してあげたかった。
     でも、好子には、息子が殴り合う姿は、耐えられなかっただろう。
     私も行かないことに決心した。
     そして、試合の当日、9月13日がやってきた。
     試合の時間が近づくに従い、虫の知らせなのだろうか。
     如何しても、息子を応援しなければと思った。
     私はチケットを1枚持って、水道橋の後楽園ホールへ出かけた。
     勿論、好子には、散歩に行って来ると言って出かけてきた。
     いまでも、好子は私が1人で出かけたことは知らない。
     このことは、今でも、好子へのたった1つの秘密にしている。
     王子から国鉄に乗って、水道橋へ。
     そして、駅を降り、橋を渡ると、後楽園遊園地の観覧車が見えた。
     さらに進むと球場があり、その横に、青い建物の後楽園ホールが建っていた。
     エレベーターで5階に着いた。
     大事に財布の中にしまったチケットを取り出して、受付に渡す。
     渡されたパンフレットには、私の息子の写真が大きく写っていた。
     席は西側A11番で、リングからすぐの所にあった。
     すでに、多くの試合は終わり、セミファイナルの最終ラウンドだった。
     激しい応援合戦が繰り広げられていた。
     そして、判定となり、勝者の手が上げられた。
     敗者は項垂れている。
     勝者が敗者に近づき肩を抱くと、敗者も笑顔を取り戻し抱き返した。
     激闘の後、お互いが健闘を分かち合っている。
     暫くの休憩のあと、いよいよ、好夫が登場した。
     私の斜め後ろの通路に、真っ白に輝いた好夫が、トレーナーと立っていた。
     やがて、チャンピオンと挑戦者の好夫がリングに登場した。
     そして、息子が私へ、視線を真っ直ぐに伸ばすと、私と目が合った。
     好夫の黒い瞳が、きらりと光った。
     それが、息子と交わした最後の交信だった。
     やがて、リングアナウンサーが選手紹介をする。
     両者の応援合戦は、すでに始まっていた。
     あの好夫を、こんなにも多くの人たちが、応援してくれている。
     眼に涙が溢れてきた。
     この姿を好子にも見せてあげたかった。
     黒のトランクスのチャンピオンは18戦無敗。
     ノックアウト15で、現在10連続ノックアウトの記録を更新中だった。
     背は好夫より低いが、眼光は鋭く底びかりしていた。
     腹筋は幾段にも割れ、肩の筋肉が盛り上がっている。
     あの腕から繰り出されるパンチを、好夫が受けたらと思うとぞっとした。
     好夫はチャンピオンに比べれば、贔屓目に見ても、逞しさでは劣る。
     しかし、激しいトレーニングの跡が、身体に漲っていた。
     白いトランクスは輝き、赤と黒のリングシューズが眩しかった。

       (カーンとゴングが鳴った)

     ゴングとともに、両選手が拳を合わせ、軽く頭を下げるとともに、試合は始まった。
     1ラウンドは、両者とも手数も少なく、睨みあいが続く。
     そして、2ラウンド、好夫の動きは軽快に、ステップは華やかでさえありました。
     チャンピオンが繰り出す右のパンチを、ことごとく好夫はかわし、好夫の右のストレートが、チャンピオンの顔面を捉える。
     2ラウンド、3ラウンド、4ラウンドと同じような展開が続いた。
     チャンピオンの顔には、ゆとりが消え、今は焦りの表情に変わっていました。
     やがて、5ラウンドのゴングとともに、チャンピオンは、赤コーナーから、猛然と出てきました。
     チャンピオンの大振りのパンチに、好夫の右ストレートが、カウンターになって炸裂しました。
     たまらず、チャンピオンはがくりと膝を折り、そして、リングに倒れました。
     カウントが開始されました。
     私は祈りました。
     このまま、10カウントだけ、リングから起きないでくれ。
     ホールは歓声と応援の渦でした。
     だが、チャンピオンは、カウント7で立ち上がり、試合は再開されました。
     チャンピオンはまだまだ意識が、朦朧としているようでした。
     そして、足がふらついているように見えました。
     好夫は猛然とラッシュしたが、無情のゴングが鳴り響いた。
     私は確信しました。
     次のラウンドで、きっとチャンピオンを倒せると。
     好夫への応援は、ますます激しく、ホールに轟きました。
     やがて、6ラウンドのゴングが打ち鳴らされました。
     好夫は青コーナーを、勢いよく飛び出し、チャンピオンに襲いかる。
     獲物を仕留める豹のように、左右のスピードに乗ったパンチが、チャンピオンの顔面や腹を捕える。
     チャンピオンの身体が、海老のように曲がり、顔は青く腫れあがり、口から血が流れていました。
     チャンピオンはコーナーに詰まり、あと一撃で倒れるその瞬間、
     チャンピオンが、下から振り上げた苦し紛れのパンチが、好夫の顎を直撃した。
     好夫の身体は、大きく後ろへ流れ、チャンピオンの反撃が始まりました。
     まさに、一発のチャンピオンのパンチで、攻守が逆転したのです。
     場内は騒然としました。
     復活したチャンピオンの逆襲は、怒涛のように、好夫に襲いかる。
     好夫は懸命に、足を使って逃げる。
     しかし、チャンピオンも死に物狂いで、力の限り、強烈なパンチを振りぬく。
     ロープに詰まった好夫を、チャンピオンの右の強烈なパンチが、好夫の顎を打ち抜きました。
     まるで、スローモーションを見るように、好夫は前に、弧を描くように、ゆっくりと倒れ落ちたのです。
     そして、10カウントが数えられる前に、好夫のコーナーから、タオルが投げ入れられた。
     耳をつんざくようなゴングが、打ち鳴らされました。
     トレーナーやジムの会長が、リングへ飛び出して駆け寄りました。
     靴を脱がせ、グローブを外すが、大の字のまま、好夫はぴくりとも動きません。
     私は駆け寄ることも、近づくことも出来ず、ただ、見守るしかありません。
     チャンピオンはリングで、防衛したベルトを巻き、高々と手を上げ、観衆の声援に応えていた。
     やがて、勝利者インタビューが、華やかに始まりました。
     そして、好夫はリングから、静かに下され、タンカーに乗せられて消えた。
     私は茫然と見守る他になかった。
     それが、好夫との別れになるとは思わなかった。

       (正夫の回想が終わる)
      (正夫にあたっていた照明は消え、好子に照明が戻る)

       「好子、夢の中の回想3」

     脳に強烈な衝撃を受けた好夫は、リングからそのまま担架に運ばれ、翌朝、病院で息を引き取ったそうです。
     「俺はチャンピオンになって、今までの親不幸の償いをする」と言ってたのに。
     もともとが、心の優しい息子でした。
     それが、何を間違えたのか、暴走族になってしまった。
     そして、人生をやり直そうと誓って、真面目に努力すれば、こんなことになってしまいます。
     25年の人生なんて短か過ぎます。
     人間の運命、人間の命って、いったい何なのでしょうか。

       (好子、夢の中の回想が終わる)

      好子に落ちていたスポットライトが、すーっと消えた。
      暗転の中、好子は元の藤の揺椅子に戻る。

  
2幕
      (やがて、舞台に照明が戻り明るくなる。
      店の中から、美千代が登場)

美千代 あらあら、眠っちゃってるわ。もう、こんな時間だし、無理もないわ。

      (そこへ、店の片付けも済んだ和さんも現れる)

和さん 気丈そうなお婆ちゃんだけど、よっぽど、疲れていたんだ。
美千代 そうよね。お爺ちゃんのこと、好きなんだ、今でも。羨ましいわ・・・・・・
和さん お前もそうなるのかな。
美千代 あんたが浮気しなければね。
和さん するわけねーだろ。何時もお前一筋。
美千代 よく言うわ。7年前のあの女。何よ! タガログ語なんか喋って。マリアとか言ってたわね。
和さん またそれか、昔のことじゃねーか。何時までも、ぐつぐつ言うんじゃないの。
美千代 いい年をして、恥ずかしいったらありゃしないわ。
      智子とたいして年も違わない子と、仲良く手なんか繋いだりしてさ。私、見たんだから。
和さん いい加減にしろ、馬鹿野郎ー!
美千代 何が馬鹿野郎ーよ! 悔しいたらありゃしないよ。まだ、あの女、日本に居るんでしょ。はっきり言ってみなさいったら!
和さん うるせー!

       (すると、好子は眼を覚ましてしまった)

好子  どうかしました?
和さん いえ、何も。そこに犬がいたもので、追っ払ったの。
美千代 何が犬よ、何処にいたのさ。大きい声を出すから、起きちゃったじゃないの。
和さん 余計なお世話だ!
好子  喧嘩はいけませんよ。みんな仲良くしませんとね。
和さん はいはい。
好子  はいは1度で結構です。

     (好子に窘められた和さんを見て、美千代はほくそ笑む)

好子  皆さん、遅いですね、お爺ちゃん、大丈夫かしら。
美千代 大丈夫ですよ。もう少しの辛抱。
和さん お、向こうから智子が帰ってきた。

       (智子は下手より登場。
      好子はゆっくりと、椅子から立ち上がる)

和さん どうだった?
智子  道灌湯の方まで、行ってみたんだけど、駄目だった。
和さん そうか。何処へ行ったのだろうね。

       (好子は様子を察して、悄然としている。
       すると、上手より山本夫妻が戻ってきた)

和さん 如何でしたか?

       (俊夫は首を横に振る)

俊夫  いろいろ聞きながら探したんですけど、見当たりませんでした。
裕子  やはり、警察へ届けた方がいいかしら。時間も時間ですし。
美千代 あの子たちが駄目だったら、そうしましょうか。このままじゃ、お婆ちゃん、風邪ひいちゃうわ。
智子  多田さん、座っていようよ、大丈夫だから。さー、肩を揉んであげる。私、上手なんだから。

      (智子は好子を椅子に座らせ、肩を揉み始める)

智子  気持ち良いでしょう。昔、家のお爺ちゃんの肩、良くもんだんだ。でも、5年前に死んじゃったの。
美千代 そうね、よく揉んでくれたね。気持ちよくて、お爺ちゃん、すぐ鼾かいて寝ちゃった。

      (好子はまたうとうとと寝てしまった)

和さん もう、5年も経つのか。早いものだな。お爺ちゃん、俺たちに厄介も掛けず、大往生よ。
美千代 そうね、私たちに、何にも面倒も掛けずに、行ってしまいましたわね。
裕子  私の母は癌で、22年前に、64歳で亡くなりました、そして、父親も16年前に73歳で死にました。
     その頃、私たちの子供は、まだ小さくて、自分たちの事で精一杯。
     たまにお見舞いに行くだけで、全部姉夫婦に任せっきりでした。
俊夫  小さな食堂を開いたばかりでしたので、女房のお母さんの見舞いもままならず、
     女房には、今でも悪いことをしたと思っています。
美千代 私たちには、まだこの人のお母さんがいます。
      最近、少し、軽い認知症が出て、今は特別養護老人ホームに入って貰っています。
      こんな景気では、人も雇えないから、自分たちで働かなければ駄目でしょ。
      だから、お母さんには、申し訳ないけど、ホームに入っていただいたの。
俊夫  そうですか。介護って本当に大変ですよね。
     幸い、私たちが次男と次女なもので、どちらも、親の面倒はみずに済みました。
     私も女房も、すでに両親は亡くなりました。兄や兄嫁たちには、いまでも感謝しております。
     この年になって、やっと、介護の難しさが痛いほど分かるようになりました。

       (すると、若者たちが3人、下手から登場)

三郎  遅くなって済みません。もっともっと探したかったんですけど。
俊夫  駄目でしたか。

       (三郎は頷く)

三郎  桐ヶ丘の団地の方まで探したんですけど。
真知子 もう少し、探してみます。
哲也  俺たち頑張りますから。
和さん 時間も時間だし(俊夫へ)如何します?
俊夫  好子さんも疲れているみたいだし、やはり、警察へ届けてみましょう。

       (そこへ、偶然にも、巡査が自転車を引きながら、上手から登場した)

巡査  何かありましたか? こちらのお婆ちゃんは?
和さん 7時半ころかな、店の前をうろうろしていたの。そしたら、お爺ちゃんを探してるって。
     戦友会で、お鮨屋さんに行ったって言うのさ。
     そこで、みんなで、お爺ちゃん探し。赤羽駅近くの鮨屋をあたっていた訳です。
俊夫  赤羽も広いでしょ。なかなか見つかりません。
     この若者たちも、あちらこちら探してくれたんですけど。

       (巡査はメモ帳を取り出す)

巡査  えーと、年は89歳。年よりは少し若く見える。そして背筋はすっきりと伸びて、矍鑠としている。
     銀淵のメガネ。黒の皮靴。ネズミ色のズボン。焦げ茶色の上着。黒いバッグ。
俊夫  如何したのですか?
巡査  実は、先ほど、本所から捜索願が来ましてね。こちらのお婆ちゃんに、とても似てますな。
和さん もう一度読みあげてください。
巡査  年は89歳。年よりは少し若く見える。そして背筋はすっきりと伸びて、矍鑠としている。
     銀淵のメガネ。黒の皮靴。ネズミ色のズボン。焦げ茶色の上着。黒いバッグ。
和さん まったく同じだな。名前は?
巡査  多田好子さん。
美千代 このお婆ちゃんです。
俊夫  お爺ちゃんの名前は、多田正夫さんでした。
巡査  お爺ちゃんの名前は聞いていないな。
和さん お婆ちゃんの名前は多田好子。間違いなしだ。

       (巡査は無線を取り出し連絡を取る)

巡査  もしもし、先ほどの6時ころに出た捜索願の件ですが。
     (電話の声を聞きながら)はいそうです、多田好子さんです。
     赤羽駅近くで発見されました。
     依頼者に、至急、連絡を取っていただきたいのですが。
       (巡査は無線を耳にあて、頷きながら)はい、分かりました了解。

       (一同に向かって)

巡査  折り返し、連絡が来るみたいです。
美千代 お婆ちゃん、すっかり、寝ちゃって。
智子 寝息をたてているわ。気持ちよさそう。

       (すると、本所から連絡が来た)

巡査  はい、そうですか。了解です!

       (一同に向かって)

巡査  娘さんが、こちらに向かいました。20分位で来られるそうです。
俊夫  とりあえずは、1件落着ですね。これで我々もお酒が飲める。
裕子  まだ娘さんが来ないじゃないの。もう少し辛抱しなさい。貴方はすぐに、お酒なんだから。
和さん お宅もやはり、お女将さんが強い?
裕子  (笑いながら)あら、失礼なご発言。
美千代 すみません。ほんとに失礼なんだから。旦那がだらしないから、女が強くなるのよね。
俊夫  あれ、1本やられました。それにしても、なぜ、捜索願なのだろう?
和さん 娘さんに内緒で、勝手に出て来たのかな。
美千代 でも、外出しただけで、捜索願はないと思うわ。
三郎  とにかく、良かったですね。お婆ちゃんの身元が分かって。
真知子 お婆ちゃん、目を覚ましたらびっくりするわ。
智子  でも、お爺ちゃんは、如何しているのだろう?
裕子  そうね、もともとは、お爺ちゃん探しなんだから。
和さん お巡りさん、娘さん、何かお爺ちゃんのこと言ってなかったですか?
巡査  いえ、本庁からは何も
俊夫  それは不思議だな。お婆ちゃんは、お爺ちゃんを探しに来たと言ってました。
     家には、当然お爺ちゃんも一緒なのだから。居なければ、お爺ちゃんのことも何か言うはず。
裕子  そう考えると、少し不自然な気もするわね。
俊夫  ひょっとすると、お婆ちゃん、認知症かもしれないな。
和さん そんな馬鹿な。こんなに元気でしっかりしているじゃないか。
俊夫  認知症にも、いろいろなケースがありますから。
和さん たとえば?
俊夫  私も正確なことはよく知りませんけど。
     僕の友人のお父さんは、油断をすると、すぐに夜中でも昼間でも、徘徊しちゃうと言ってました。
     だから、可哀想だけど、部屋から出られないように、色々苦心しているようです。
     でも、外見はまったく普通で、にこにこしているそうです。
和さん でも、このお婆ちゃん、そんな風に見えないけれどな。
裕子  とにかく、もう少し、このまま待ちましょう。そしたらすべてが分かるわ。
俊夫  そうだな、娘さんが来れば全てが分かる。
美千代 お婆ちゃん、王子から歩いて来たって言ってたわ。
俊夫  バスにも乗らずに歩いて来た?
和さん やはり、認知症かもしれないな

       (すると、好子が目を覚ます)

好子  皆さま、如何か致しまして?

    (皆は顔を見合わせる)

裕子  もうすぐ、娘さんが迎えに来ますよ。
好子  娘が? 私、呼んでいませんけど。

       (下手より、好子の娘、正子が登場した。
       正子は椅子に座る好子を見つける)

正子  お母さん、心配したわよ。外に出る時は教えてって言ってるでしょ。

       (好子は椅子から立ち上がり、和さんの後ろに逃げ込む)

好子  怒らないでおくれよ。お爺ちゃんが居ないものだから。
正子  またまたお爺ちゃん。如何してこの時期になると、お爺ちゃんなのよ。毎年のことなんだから。
和さん まあま、そんなに怒らずに。
好子  怒ってなんかいません!
和さん (頭を掻きながら)すみません。
裕子  お爺ちゃんが毎年の事って、どういう事なんですか。
俊夫  お爺ちゃんが、この辺りのお鮨屋さんに居るって言っていましたけど。
和さん 戦友会の集まりがあるとか。
正子  また戦友会ですか。この時期になると、何故か鮨屋で戦友会なんです。
俊夫  どういうことなのですか?
正子  父が生前、毎年、11月の第3日曜日が戦友会でした。
     中国戦線で戦った仲間と、鮨屋さんで開いていました。
     確かに、場所も赤羽のこの辺りだったような気がします。
     小さい頃、母と迎えに来た記憶があります。
俊夫  生前と言うと、お爺ちゃんはすでに他界しているのですか?
正子  はい、10年前に、85歳で亡くなりました。それから、4年位たって、母に認知症がでてきました。
     お爺ちゃんを、鮨屋に迎えに行くって言った時には、はびっくりしました。
     その時から、何故かこの時期になると、急にお爺ちゃんを思い出すのです。
裕子  それくらい、お爺ちゃんのことが好きだったのね。
正子  母と父は、満州から、命からがら引き揚げて来ました。そして、2人で私と弟を育ててくれました。
俊夫  弟さんもいらしたのですか?
正子  45年前、ボクシングの試合で死にました。
     私はボクシングなんか、やらせなくなかったんです。
     勿論、両親も心の中では反対でした。
     でも、好夫がやっと自分で選んだ人生、やめろとは言えません。
     好夫は子供の頃から腕白で、中学になってからは、不良仲間に入って、両親は苦労させられました。
     でも本当は、あの子はとても優しい性格、殴り合いなんて、出来やしなかったのです。
巡査  こちらの方が、捜索願いの多田好子さんですね。
正子  はい、ありがとうございます。
巡査  良かったですね、無事で。
正子  はい、おかげさまで
裕子  でも、6年もお母さんの面倒を看ているのね、大変なことだわ。
正子  正直言って、母ですけど、腹立たしくて怒鳴ってしまうこともあります。
美千代 分かります。主人の母は特養ホームへ預かっていただいていますけど、お見舞いに行ってみて、いろいろと勉強しました。
裕子  私たちは、無責任なようですけど、全部兄と姉任せでした。
正子  でも、苦労しながら、私を女子大に入れてくれ、中学の数学の教員にもなれました。
     そして、同僚と結婚もできました。
     残念ながら、10年後に、主人は肺癌で他界しましたが・・・・・・。
     その後、暫くして、実家に戻り、ずっと両親に支えられながら生きてきました。
     だから、母の介護は当たり前だと思っています。
智子  おばさん、素敵!(拍手をする)

     (すると、他の若者も拍手をする。
     そして、全員が拍手をして、好子まで拍手をしている。
     すると、和さんの後ろにいた好子が、オイッチニー、サンシー、オイッチニー、サンシーと掛け声をかけ始めた。
     どうやら、拍手の音に触発されて、昔、正子と好夫が通う運動会のムカデ競争を思い出したようだ)

和さん (娘さんへ)どうしたのだろう。
正子  運動会のムカデ競走を思い出したのかしら。たくさんの拍手を聞くと、何故か運動会なの。
     お母さんとお父さんは、運動会が大好きでした。
     私は運動がからきし駄目でしたけど、好夫は何やっても1番。
     運動会の日は好夫の晴れ舞台でした。
     その時だけは、好夫は自慢の息子でした。だから、PTA参加のムカデ競走は喜んで参加しました。
和さん そうか、ムカデ競走、思い出すな。よし、みんなでやるか!
正子  はい。
和さん よし、みんな、俺と好子お婆ちゃんの後ろへ続け。

        (みんなが和さんと好子さんの後ろに繋がる。
        懐かしい、運動会の賑やかな音楽が流れる)

和さん オイッチニー、サンシー、オイッチニー、サンシー。行きますよ!
好子  オイッチニー、サンシー、オイッチニー、サンシー。行きますよ!

        (全員がハーイの声)

和さん そ、れ、で、は、はい! 出発! オイッチニー、サンシー、オイッチニー、サンシー!

        (全員が連なったムカデが、オイッチニー、サンシー、オイッチニー、サンシーと、舞台狭しとくねくねと舞歩く。
        居合わせた通行人も、面白そうに加わった。
        ムカデ競走の長い列が、掛け声にのって舞台を回る)

和さん 好子さん、大丈夫ですか?
好子  大丈夫ですよー!

        (しばらくの間、舞台はムカデ競走一色)

和さん もうあと10メートル! ゴールはすぐです!

        (和さんの掛け声「8メートル。6メートル。4メートル。2メートル。ゴール!」
        ムカデの列は解かれて、みんなは地面にそれぞれ座りこんだ)

和さん 好子さん、1番です!
智子  多田さん、1番ですって。

        (好子は嬉しそうに、頷いている)

美千代 よかったわね、好子さん。
正子  みなさん、ありがとう。お母さん、そろそろ帰りましょうか。

       (好子はにこやかに頷く)

正子  皆様、ありがとうございました。もう大丈夫ですから、これで失礼します。
真知子 多田さん、私も王子の隣の十条に住んでいるの。
      今、看護学校に通っています。
      もし、よろしかったら手伝いに行きます。住所を教えてください。
智子  私も遊びに行くわ。私にも、お願いします。
正子  ありがとう。でもね、悪いわ。
真知子 勉強だと思って、行かせてください。
三郎  遠慮しないでください。真知子はアルバイトもしなくても良い身分です。使ってやってください。
正子  そう? 私も毎日、お母さんの介護で外にも出られなくて。時々、気がめいっちゃうの。来てくれると嬉しいわ。
真知子 それなら是非。
正子  お願いしてもいいかしら。
真知子 もちろん。携帯電話あります?
正子  はい。

       (携帯電話をポケットから取り出す)

真知子 電話番号教えてください。
智子  私も。

正子  (携帯電話を開けて)090−14347890です。

       (真知子と智子は携帯に記録する)

正子  来るときは電話をください。王子の駅から飛鳥山に向かってすぐですから。
真知子 記録しました。
智子  私もOK。
真知子 一緒に行こうか。
智子  そうね。
真知子 お名前は?
智子  智子です。
真知子 私は真知子、よろしくね。
智子  こちらこそ。
真知子 (正子に向かって)智子さんと一緒に、近々伺わせてください。
正子  ありがとう。
裕子  多田さんも、きっと喜ぶわ。お年寄りは皆で大切にしてあげないとね。と言いながら、私たち、何にもしてないのだけど。
俊夫  そうだな。でも、これからは、私たちの出来る範囲で何かしないと。
裕子  そうね。多田さん、今日はいい経験をさせて頂きました。
正子  こちらこそ。皆さま、色々とお世話様でした。これで失礼させていただきます。
和さん 気をつけて帰ってくださいね。
俊夫  私たちのお店も、王子のすぐ隣の板橋区大山にあります。
     小さな食堂ですけど、ぜひ、お立ち寄りください。
正子  大山には、友達もいたので、昔はよく出かけました。当時は日本1のアーケードがあって賑やかでした。
裕子  でも、今は昔ながらの店が無くなって、とても寂しくなってきました。
正子  家族4人で出かけたこともあります。映画館も沢山あって。映画を観に行きました。
俊夫  アーケードから、ちょっと入ったところに、私の食堂があります。

       (俊夫は、財布の中から、名刺を取り出し、正子に渡す)

俊夫  ぜひ、お母さんとお出かけください。

       (正子は渡された名刺を見る)

正子  可愛い名前。食堂ポニー。
俊夫  私には似合わないと、お客様は言います。
正子  ぜひ、母と散歩がてら、寄らしていただきます。
裕子  お待ちしています。小さな店ですけど、ぜひ、お出でください。
正子  ありがとうございます。お母さん、帰りましょうか。きっとお爺ちゃん、家に帰っていますよ。
好子  そうかね。でも、何処に行ったのかね。

       (正子は皆に頭を下げる)

三郎  お婆ちゃん、元気で。
真知子 気を付けてね。
智子  「また来てね。待っているわよ」

       (若者たちは手を振っている。
       お婆ちゃんも笑顔で手を振りながら、振り返りしながら去って行く。
       正子はまた深々とお辞儀をして去って行った)

真知子 元気でねー!
三郎  じゃ、俺たちも行くか。
真知子 そうね。
智子  真知子さん、連絡しますから。
真知子 待っているわね。そして、一緒に出かけましょうね。
智子  はい。
三郎  俺たち、これで失礼します。
俊夫  お疲れさま。
和さん ご苦労さん。

       (3人はお辞儀をして去って行く)

和さん 良い若者たちだ。
美千代 頼もしいわね。
巡査  では本官も、これで失礼します。
和さん 御苦労さまでした。
美千代 お世話様でした。

       (巡査は自転車をひきながら退場する)

和さん なんとか解決して良かったですね。
俊夫  お爺ちゃんが、既に亡くなっていたとは驚きました。
裕子  それも、10年も前なんですからね。でも、娘さん、これからが大変ね。
美千代 そうね、親1人子1人。誰も助けてやれないもの。
裕子  娘さん、何時までも元気でいてくれるといいですね。
智子  お母さん、特養のナオお婆ちゃん、家に戻しちゃだめ? 行くと凄く寂しそうなの・・・・・・
美千代 そう出来たらいいのだけれど。そうもいかないでしょ。
和さん 貧乏暇なし。俺たちは商売をしているしな。
智子  昔のように、店の留守番でもしてもらったらどう?
和さん それは無理だよ。もう、あの状態だし。
智子  でも、まだまだ元気だよ。車椅子に乗っている訳でもないし。
美千代 そうね。まだまだ、気持ちが元気だから。元のようには無理でも、もう少し頑張ってもらおうか。
和さん 考えてみるか、もう一度。もともと、親父とお袋で造った八百屋なんだから。
智子  私も手伝うから。私、お婆ちゃんっ子でしょ。子供の頃、何時も遊んで貰ったから。恩返ししてあげたいの。
裕子  偉いな、智子さん。感謝の気持ち、大切だものね。きっと、お婆ちゃん、喜ぶわよ。
智子  そして、お婆ちゃんから、昔のことをたくさん聞いて、みんなに教えてあげる。
俊夫  そうだね。私も私の両親から、たくさんの体験を聞いて、私の子供たちに伝えなければいけなかった。
     それは辛く悲しい戦争体験だったから、両親はあまり話してくれなかった。
     でも、私たちには、生きている間に聞いて、記録しておく責任があったはず。
裕子  私の母は従軍看護師で、ボルネオやスマトラまで出かけたそうです。
     激しい戦争で負傷した兵士の看護の毎日。トイレに入ったら疲れて、立てなくなったそうです。
美千代 私も頑張るわ。そして、お婆ちゃんから、戦中、戦後の赤羽のこと、たくさん訊いてみる。
和さん そうか、そんなに言ってくれるのなら、また、みんなで一緒に生活しようか。
智子  お父さん、大好き!
美千代 私も頑張るわ。
和さん でも、これからが大変だぞ。
美千代 みんなで頑張りましょう。
俊夫  私の友達が言っていました。地方では認知症のご老人が少ないそうです。
     私もそんな気がします。
     地方の家は、今でも大家族で賑やか。
     ご老人の家における役目がしっかりとある。
     そして、農家なら、自分のペースで仕事もできる。
     その実った作物を収穫すれば、家族がみんなで喜んで食べてくれる。
     ご老人達は、社会の一員として、しっかりと立ち位置を持ち、家族から尊敬されているのですね。
     だから、生きることを謳歌しながら愉しく生きられる。
和さん お袋はまだまだ心は元気だ。特養に入れておくことで、認知症が進行する危険性もあるな。
智子  だから、お婆ちゃんにも、お婆ちゃんに出来ることをして貰う。お婆ちゃん、働きものだから、きっと、喜ぶと思う。
美千代 少し前まで、そうして生活をしていたんだからね。出来ないことはないわ、きっと。
裕子  素晴らしいわ。頑張ってください。
和さん ありがとうございます。今日はいろいろと御苦労さまでした。私たちもこれで。
俊夫  こちらこそ、いろいろとお世話様でした。
裕子  赤羽に来た折は、また寄らせていただきます。
和さん ぜひ、お立ち寄りください。お疲れ様でした。
俊夫  では、本日はこれで。
和さん お疲れ様でした。

       (和さんはシャッターをがらがらと下ろす。
       舞台の照明は落ち、舞台の中央に残った俊夫・裕子夫妻の上にスポットライトが落ちる)

     エピローグ
俊夫  広島と長崎に原爆が落とされ、日本の国中が無差別に爆撃されました。
裕子  東京、大阪、名古屋、静岡、金沢、新潟にも激しい空襲をうけた。
     そして、たくさんの罪もない人々の命が奪われた。
俊夫  沖縄は全土が焦土と化して、悲惨な歴史を刻んだ。
裕子 残虐な戦争、無辜の市民たちの命が犠牲になる戦争は、2度と起こしてはいけない。
俊夫  戦争を体験したご老人たちは、歴史の生きた証人。私たちの親の世代のご老人達の悲しい体験を、
     私たちは、一言でも多くを聞いて、私たちの息子や娘たちに伝えなければならない。
     日本で、中国で、朝鮮で、戦争を体験したご老人達は、
     日本の決して、起こしてはならなかった太平洋戦争の証人です。
     そして、日本の大切な財産であり、何物にも代えがたい宝なのです。

       (照明に浮き上がりながら、騎馬戦の馬になった若者3人の上に跨って、多田好子が登場。
       舞台中央へ進む)

裕子  人は何時か誰しも同じように必ず老いる。
     私たちも還暦を迎えました。
     さらに、10年、20年生きるかは誰も知りません。
     しかし、これから先、生き続ければ、必ず、老人になる事だけは確かなのです。
     私たちの親の世代が残してくれた豊かな経験を、
     私たちの子供の世代に、しっかりと伝えて行く責任が私達にはあります。
     次の世代へ、歴史のリレーとバトンタッチをしなくてはいけません。

       (そして舞台から照明が消えた)

       (やがて、舞台には照明が戻り、和さんと美千代さん夫妻は、仲良く手を取って登場。
       そして智子。
       その後に、娘の正子。
       正子は騎馬の元へ行く。
       若者3人の騎馬の上に、にこやかに、お婆ちゃん、多田好子が跨って、手を振っている。
       やがて、全員が笑顔で手を振り、そして、深々と礼をする)