小咄「風呂吹き大根の報い」 江戸後期の国学者で歌人、さらに上賀茂神社の神官でもある加茂季鷹(1754〜1841)の狂詠に 「大根喰らうを大黒と縮め、風呂吹きを不老富貴と言いの伸ばさばや」とめでたく洒落ている風呂吹き大根、冬の寒い季節はことさらに美味い。 風呂吹き大根は、不老富貴の縁起をかついだ語呂合わせもめ嬉しい珍味である。 「大根は1寸以上の少し厚い輪切りにし、皮も厚めに剥きながら身崩れがしないように面取りをする。片方の面の真ん中へ十文字に切り込みの隠し包丁を入れ、 大根の中と外へ均等に火が通り、さらに出汁が染み込みやすくする。 鍋に十文字の隠し包丁を入れた面を下にして並べて、米の研ぎ汁をたっぷりと浸し、落し蓋を落とし強火にかけ、沸騰したら中火に下げて都合四半刻ほど煮る。 米の研ぎ汁で下茹ですると、大根のアクはさらりと溶け、真っ白に仕上がるから不思議でござる。 その間の暫くの茹で時間、擂り鉢を持ち出し時計回りに白胡麻をあたる。もちろん擂り粉木は山椒の木。 味噌と砂糖を加えさらに摺りおろす。味醂と大根の煮出し汁を加えさらに擂り粉木でするではなくあたる。 商売人は験を担いて「する」とは言わない。「お金をする」では縁起が悪い。あたり鉢にあたり棒で、擂りおろすでは縁起が悪くて、擂り上げるでござる! 時折忘れずに大根の様子を見る。竹串を刺すとすーッと通るほどに柔らかくなっているので、汁を捨て水で綺麗に洗う。 大きめの鍋に昆布を敷き下茹でした大根を入れ、たっぷりと水を注ぎ入れ、塩をぱらりと二つまみ振り入れ、薄口醤油を少々加え、四半刻弱の時間煮るのですな。 その間、小鍋に先程の胡麻味噌を入れ、弱火に掛けてとろみがつくまで木べらで捏ねて、味を見ながら丹念に練り混ぜる。 熱々の風呂吹き大根に熱々の胡麻味噌を掛ければ出来上がりでござい! 出来たての胡麻味噌を柔らかく茹でた真っ白な大根に掛け、箸でさくりと切り取って口の中へ入れる。とろりと大根は蕩け、 焼けるほどに熱い胡麻味噌の香りが口の中に広がる。 はふはふはふと噛むうちに、大根の甘味と濃厚な胡麻味噌が渾然と混ざり合う醍醐味は想像するだけで涎が出ますな。 寒い冬の宵、これをあてに熱燗で一杯は何とも堪りません。やはり熱々の大根には、熱々の胡麻味噌がなくては様になりません。 昔の風呂は蒸し風呂でして、蒸し風呂の中で息を吹きかけながら垢落としをする者を『風呂吹き』と言まして、 その姿が風呂吹き大根をふうふうと冷ましながら食べる姿が似ていることから名付けられたそうで。 熱々の大根と胡麻味噌をふうふうと吹きながら、熱いうちに召し上がることを意味していますのですな」と立板に水を流すように一気に語った。 昔、水戸藩の勘定方に齢45になる佐野助左衛門という侍がいました。 肩幅も広く武芸の腕も確か、藩邸でも屈指の北辰一刀流剣術の使い手。だがこれが非常な我が儘で強情もの、朋輩の者たちも辟易していた。 ある冬の日の仕事帰り、水戸偕楽園に近い小さな茶店で宴席が開かれ、佐野助左衛門も同席した。 酒肴も進み宴もたけなわ、風呂吹き大根が朱色も鮮やかな古伊万里の器に盛られて出てきた。 佐野助左衛門は箸を取り、早速、大の好物の風呂吹き大根に手を着け口に入れた。 それを見た朋輩たち。 右隣の水野勘兵衛「佐野氏、風呂吹き大根は美味いですか?」 佐野助左衛門「まことに何時食べても宜しいですな」 水野勘兵衛「佐野氏は風呂吹き大根が格別にお好きなようですな」 佐野助左衛門「寒い宵には堪えられません」 水野勘兵衛「まことに。胡麻味噌なしで召し上がるとは、そこもとはさすがに通人、我ら凡人とは違いますのう」 その時、佐野助左衛門ははたと気がついた。 風呂吹き大根の古伊万里の隣に、小振りの黒塗りの蓋物が付いていた。しまったッ! その中に胡麻味噌が入っていたのだ。 すると左隣の中野三郎「さすがに聞きしに勝る食通! 佐野氏、恐れ入りました」 そこは佐野助左衛門、一筋縄ではいかない頑固で強情者。 「胡麻味噌が付いていては甘くて仕方ありません。せっかくの大根の旨味が分からなくなりますな」とやってしまった。 これを聞いて水野勘兵衛は同席の者たちへ「風呂吹き大根は胡麻味噌なしが一番! 美食家の嗜みですぞ!」 この話で座は大いに盛り上がった。 やがて水戸藩邸でもこの話で持ちきりとなったのですな。それ以来というもの、 佐野助左衛門の同席する宴席には、何故か風呂吹き大根が出るようになり、何時でも佐野助左衛門の風呂吹き大根には胡麻味噌がない。 朋輩の者たちは面白がって「さーさー、佐野氏、冷めぬうちに召し上がってくだされ。風呂吹き大根には胡麻味噌なしが一番ですな」と勧める。 さすがにこの場に及んで、胡麻味噌をつけてとは、口が裂けても言えない。 今まで佐野助左衛門の頑固で傲慢な態度に腹を立てていた輩も、面白半分に宴席を開き佐野助左衛門を宴席に呼ぶことが多くなった。 勿論頑固で強情ものは招待を断ることが出来ない。 そして宴席では朋輩たちが自分たちの分まで、胡麻味噌なしの風呂吹き大根を、佐野助左衛門のところに持ってくる。 「助左衛門どの、まことに風呂吹き大根がお好きですな。私のもどうぞ召し上がってくだされ。勿論胡麻味噌なしです」 次から次と普段は口も聞くことのない者たちまで、胡麻味噌なしの風呂吹き大根を佐野助左衛門のもとへ運んでくる。 断りきれない佐野助左衛門は「結構ですな、今宵の風呂吹き大根。やはり胡麻味噌なしは絶品である!」とやる。 悪ふざけの仲間たち、佐野助左衛門を宴に誘う回数はますます増えていった。 ところが頑固にも程がある。佐野助左衛門の屋敷でも、奥方のつるの作る風呂吹き大根を、胡麻味噌なしで食べ始めた。 つるは「助左衛門さま、何故最近は胡麻味噌をつけて召し上がらないのですか? 以前は風呂吹き大根に胡麻味噌が一番と、おっしゃっていたではありませんか。 私の作る胡麻味噌では口に合いませぬか?」 「いや、お主の胡麻味噌に不満があるわけではない。 今までは大根の本当の美味さを知らなかったから胡麻味噌を付けていたのです。せっかくの大根の持ち味が、 胡麻味噌の濃厚な味で消されてしまい大根が可愛そうです」 「そうですか・・・・・・。私には胡麻味噌が大根の美味さを引き立てていると思うのですが。 きっと私の風呂吹き大根が気に入らないのですね。だからそんな屁理屈を付けるのですわ。 助左衛門さまにはご自分でお作りなさる風呂吹き大根が、一番美味しいのですわ」 当時としては珍しく佐野助左衛門は料理を得意とし、風呂吹き大根は自信作の一つであった。 とうとうこんな些細なことから、微妙に夫婦関係も崩れていった。 だが一度決めたら梃子でも動かない頑固者の佐野助左衛門、あくまでも風呂吹き大根胡麻味噌なしである。 やがて藩邸ではさらに風呂吹き大根の話題が沸騰した。日頃から佐野助左衛門を快く思わない輩は佐野助左衛門を宴席に招く。 そして毎度のことながら、佐野助左衛門は胡麻味噌なしの風呂吹き大根を「美味いでござる。 胡麻味噌なしに限りますのう」と言う。正直なところもう風呂吹き大根など見たくも聞きたくもない。 夢の中にも出てきてうなされる。ほとほと自分の強情さと頑固さに自身も辟易していた。 やがて藩邸に出向くことが怖くなって来た。出向けば朋輩が宴席に招待しようと声を掛ける。 宴席の招待でない時でも、声を掛けられた瞬間、心臓が止まるほどの驚きを感じるようになってしまった。 人に会うことも怖くなり、藩邸へ出仕することさえ恐ろしくなってしまった。 それは極度の対人恐怖症に掛かってしまったのである。 やがて食欲もなくなり体はやせ細り、顔の色は青白くなって来た。そして藩邸からは暇をいただき、病の床に就くことになってしまった。 藩邸ではひそひそと佐野助左衛門の噂が広がる。 面白半分の仕業とはいえ、あの屈強な佐野助左衛門がこれほどの様態になるとは誰も想像していなかった。 宴席に招いて佐野助左衛門の天邪鬼に付け込み、やりたい放題の嫌がらせの結果は思いもよらない重大事件となってしまい、 朋輩たちは仲間に責任を擦り付け合うようになり、藩邸内に険悪な事態を呼び起こしてしまった。 やがて佐野助左衛門の病態は悪化した。 自分の最後も近いことを悟った佐野助左衛門は、今わの際、一人息子の菊次郎を呼びか細い声で語った。 「私は今まで強情や我慢を売り物にして生きてきた。その天邪鬼のためにお前たちにも大変な迷惑をかけたし、私自身もとても辛い思いをした。 今思えば何故もっと素直に生きてこられなかったのか後悔をしている。 美味しいものは美味しいし不味いものは不味い。風呂吹き大根には胡麻味噌が一番であるのは当たり前のことである。 昔からそのように決まっている。 ある時の宴会の席で、私はうっかりして胡麻味噌なしで風呂吹き大根を食べてしまった。 それを仲間に見られひやかされた時、私は『胡麻味噌が付いていては甘くて仕方ありません。 せっかくの大根の旨味が分からなくなります』と言ってしまった。 あの時、何故、『うっかりしました。胡麻味噌なしでは風呂吹き大根も形無しですな』と言えなかったのであろうかと、今でも悔やんでいます。 私の生来の強情と天邪鬼がそうさせたのです。 私は風呂吹き大根が大の好物でした。 それを私の天邪鬼とつまらぬ意地から、大好物の風呂吹き大根を味噌なしで食べ、不味いものを美味い美味いと食べてきました。 私の蒔いた種の報いといえばその通りなのですが、大好きな風呂吹き大根を不味くして食べ、美味いと偽ることの辛さと苦しさが身に沁みました。 きっと神様が傲慢な私に下した罰なのでしょう。 お百姓が丹精を込めて育てた大根を、胡麻味噌をつけて美味しく食べれば良いものを、 目を瞑って無理をして美味しいものを不味くして食べていたのですから大罰当たりです。 それが祟り藩邸へ出仕することもできず、このような体になってしまいました。 私の強情さと天邪鬼が今となって憎い。 お前はまだ若い。美味いものは美味い。 正しいことは正しい。 当たり前のことを当たり前のように弁えてください。 私のような強情さと天邪鬼だけは真似してはいけません。 私のこの姿はすべて私の強情と我が儘の報いなのです。 菊次郎、素直に生きてください。 己が犯した間違いや誤解を訂正し謝る勇気を、何時でも忘れない様にしてください」 佐野助左衛門の意識は混濁していた。 だが澱んだ意識の中、うなされる様に呟いていた。 「大根は1寸以上の少し厚い輪切りにし、皮も厚めに剥きながら身崩れがしないように面取りをする。 片方の面の真ん中へ十文字に切り込みの隠し包丁を入れ、大根の中と外へ均等に火が通り、さらに出汁が染み込みやすくする。 鍋に十文字の隠し包丁を入れた面を下にして並べて、米の研ぎ汁をたっぷりと浸し、落し蓋を落とし強火にかけ、沸騰したら中火に下げて都合四半刻ほど煮る。 米の研ぎ汁で下茹ですると、大根のアクはさらりと溶け、真っ白に仕上がるから不思議でござる。 その間の暫くの茹で時間、擂り鉢を持ち出し時計回りに白胡麻をあたる。 もちろん擂り粉木は山椒の木。 味噌と砂糖を加えさらに摺りおろす。 味醂と大根の煮出し汁を加えさらに擂り粉木でするではなくあたる。 商売人は験を担いて「する」とは言わない。 『お金をする』では縁起が悪い。 あたり鉢にあたり棒で、擂りおろすでは縁起が悪くて、擂り上げるでござる! 時折忘れずに大根の様子を見る。 竹串を刺すとすーッと通るほどに柔らかくなっているので、汁を捨て水で綺麗に洗う。 大きめの鍋に昆布を敷き下茹でした大根を入れ、たっぷりと水を注ぎ入れ、 塩をぱらりと二つまみ振り入れ、薄口醤油を少々加え、四半刻弱の時間煮るのですな。 その間、小鍋に先程の胡麻味噌を入れ、弱火に掛けてとろみがつくまで木べらで捏ねて、味を見ながら丹念に練り混ぜる。 熱々の風呂吹き大根に熱々の胡麻味噌を掛ければ出来上がりでござい! 風呂吹き大根にたっぷりと胡麻味噌をかけて食べたかった」 佐野助左衛門の目には涙が溢れ、蒼白となった頬を涙が流れ落ちた。 そして目を瞑り力なく咀嚼するように口が動いた。 奥方と菊次郎はその言葉を遺言かと顔を寄せる。 助左衛門の言葉が微かに聞こえた「たっぷりと胡麻味噌をかけて食べたかった・・・・・・はふはふはふ・・・・・・」 その言葉を絞り出した後、助左衛門の頭が右へがっくりと傾き息を引き取った。 強情と天邪鬼から胡麻味噌なしの風呂吹き大根を食べることとなり、それが祟って病に倒れ自分の大切な人生に味噌を付けてしまった。 参考文献 鶯亭金升著「明治のおもかげ『大根の失敗』」岩波文庫 2012年12月29日 |