伊豆の春、熱海梅園&河津桜、花めぐり
2024年2月18-19日

2月18日、麗らかな日曜、熱海梅園へ

熱海梅園に来るのは、3回めになるだろうか?
最初に来たのは、20年以上前だろう。
色々な梅園に行ったが、ここが一番、私は好きだ。

水戸偕楽園、湯河原梅園、小田原曽我梅園、
青梅梅林、越生梅林などへ出かけた。
熱海梅園は、広さも丁度良く、
高低差に変化があり、見どころ満載である。
梅園の正面あたりの駐車場は、満杯であった。
 
梅園の裏口に近い、駐車場に車を置いた。
駐車場から、坂道を下り、
澤田政廣記念美術館がある、チケット売り場から中へ。
記念館の前のテラスで、コーヒーや軽食を、愉しむ人たちがいた。
 
陽射しは柔らかく、気持の良い一日である。
美術館の前に立つ彫刻が、影を伸ばしていた。
左手に滝を見ながら、初川に架かる、梅園橋を渡る。
 
清流の川面が、陽光できらきらと、輝いている。
清流も春の訪れを、伝えているようだ。
遠くから梅の香が、妖艶に流れ来る。
 
橋を渡ると、韓国庭園があった。
日本瓦と異なる、韓国瓦が趣を添える。
韓国の金大中大統領と、森喜朗総理大臣が、
熱海首脳会談の翌日、
熱海梅園を散策したのを記念し、この地に建てられた。
 
16世紀朝鮮時代の、伝統様式と、手法で建築されている。
この庭園の中に、入るのは初めてである。
韓国風の家屋が、朝鮮文化を漂わせる。
 
朝鮮と日本は、2000年にわたる、深い歴史的なきづながある。
お互いがこの歴史的な関係を、学ぶことで、
より理解を深めることができる。
この庭園は4.4ヘクタール広さがあり、奥深くに広がっているようだ。
 
奥へは行かず、門を出て散策路へ出た。
石畳を下ると、梅林が広がる。
梅の香りは、さらに強く漂う。
 
梅の香りは、気韻があり、とても高貴だ。
やはり日本が誇る、香りの一つだろう。
散策道を歩くと、正面に人だかりがあった。
 
見れば、若い娘さんの、猿回しパフォーマンスだった。
最近何故か、お祭りや花見の舞台に、
娘さんの猿回しを見かける。
先日、佐野厄除け大師の参拝の折にも、猿回しに出くわした。
 
ニホンザルが、様々な芸を披露する。
だが何時の日か、猿回しも消えるかもしれない。
動物虐待の名のもとに。
 
最近は物事が、異常反応し、
伝統的な文化にも、多大な影響をあたえる。
猿回しを少し覗き、また散策を続ける。
清流には五つの木橋がかかり、梅園五橋と呼ばれる。
 
その橋ごとに、意匠が凝らされ、それぞれに趣がある。
散策道に木漏れ日が落ち、抽象的な模様を刻んでいた。
梅の老木と、光のコラボレーションである。

見渡せば、清流沿いの四阿で、くつろぐ、若者たち。
正午近い陽光を浴び、紅梅の花が咲き匂う。
前回来た時は、メジロたちが梅の木に群がり、花蜜を吸っていた。
 
その姿がとても、愛らしかったのを、思い出す。
今日はメジロの姿が、一羽も見えない。
すでに梅の盛りが、過ぎているのであろうか。
 
陽光に煌めく、清流を眺めながら、緩い坂道を下る。
前方に熱海梅園の、表口が見えた。
大勢の観光客が、入園していた。

入り口の正面に、熱海梅園と彫られた、石碑が建つ。
その前で人々が、記念写真を撮っていた。
遠くから演歌の歌声が聞こえる。

そちらへ出かけることにした。
すると大道芸の若者が、台の上に立っていた。
不自然な姿で、微動だにしない。

人間は人前で、動くことより、動かない方が難しい。
演劇でも、舞台の上で、静止していることが、要求される。
観客の目にさらされ、公開の孤独の中で、静を保つ。

身体は動かずとも、内面は役を、生きなければならない。
ヘタな役者ほど、無駄な動きをする。
役者が舞台で動けば、それがすべて、何か意味を持つ。

役を生きるとは、戯曲に書かれたこと以外は、動いてはいけないのである。
しばらくすると、大道芸人が動き始めた。
それはロボットのような、機械的な動きだった。

彼方から流れ来る、演歌に誘われなだら、散策道を行く。
左手に舞台があり、着物姿の歌手が、マイクを手に歌っていた。
歌手の自己紹介によれば、出身は鹿児島だそうだ。

さすがにプロの演歌歌手、溢れるほどの声量だった。
プロの歌手は、数えきれないほどいる。
だが有名になれる歌手は、ほんの一握りである。

歌の会場から離れて進むと、たくさんの露店が出ていた。
何処のフェスティバル会場にも、かならずと言ってよいほど、
ドネル・ケバブの店が出店している。
 
中近東の人たちの、逞しさを教えられる。
露店でくつろぐ人たちの、横をすり抜け、石畳を進む。
綺麗に整備された石畳の彼方に、
初川に架かる雙眉橋が、趣を添える。
 
程よい人出に、降り落ちる陽光が、庭園全体に、華やぎをもたらす。
やがて澤田政廣記念館の前にやって来た。
先ほど左手に見た、梅見の滝を、目の前に見る。
散策道を進むと、狭い洞窟のような、回廊が見える。
そこは流れ落ちる、滝の下にある。
回廊の岩屋の、大きな窓を、清流が勢いよく、流れ落ちる。

 
回廊の中へ入ると、ひやりとした。
何年か前か行った、信州高山村の、裏見の滝を、思い出した。
もちろん規模で言えば、裏見の滝と、比較にはならないのだが。
岩屋の回廊の天井から、冷たい滴が落ちる。
回廊を通過すると、散策道に出た。
見れば滝の水量は、想像より大きく、勢いがある。
そこからまた、ぶらりと散策する。
梅の香が漂い、陽光が辺りに、華やぎを添える。
木橋から初川を見渡すと、清流がきらめいている。
路傍の梅の木を見ると、同じ幹に、紅梅と白梅が咲いている。
残念ながら、紅梅はすでに萎れていた。
そして辺りを小回りし、美術館の方へ向かった。
美術館の周りには、等身大より少し大きな、彫刻が配置されている。
青銅の女性たちの像が、昼下がりの陽光の中に、浮かび上がっていた。
そして美術館の中に入る。
 
美術館の中に、澤田氏の彫刻や絵画が、展示されていた。
そして美術館を出てから、投宿予定の稲取に、向かった。
途中、国道135号線の左手彼方に、
伊豆七島の島影が、くっきりと見れた。

2月19日(月)、生憎の雨、河津桜に誘われ

ホテルを10時ころに、チェックアウトし、河津に向かった。
国道135号を南下する。
左手に相模灘が広がる。
 
空は厚くたれ込み、海は灰青色。
昨日見えた、伊豆の島影は、姿を消していた。
稲取を出て、15分ほどで、今井浜に到着した。

街道沿いの駐車場に、車を置き、河津駅方面に向かう。
今井浜に寄せる波も、かなり高かった。
河津駅の前に来ると、構内は人で溢れていた。

伊豆急が到着し、大勢の人たちが、降りてきたところだった。
やはり河津桜は、今が旬なのであろう。
河津桜の並木前の駐車場は、どこも満杯であった。

河津川沿いの桜並木は、大勢の人たちが、そぞろに歩いている。
桜並木の散策道に、露店が立ち並ぶ。
来るたびに、年々歳々、露店が立派になっている。
 
それだけ河津桜が、有名になっているのだろう。
空模様はぐずつき、小雨が降り始めた。
雨が桜の香りを、妖艶にしているようだ。
 
この桜を観るのは、4度目くらいか?
桜の季節以外、何回もこのあたりを、ドライブしている。
今では河津に来ると、懐かしい思いがする。
 
散策道わきに、菜の花が咲く。
桜の桃色と、菜の花の黄色が、アクセントを添える。
だが、菜の花の周りに、ロープが回され、
せっかくの景色を、無粋にしている。
 
もう少し美意識の高い、柵にしてももらいたいものだ。
散策道は、しっとりと雨にぬれ、趣を添える。
河津川沿いに咲く桜が、水面に映り、美しい逆さ絵を描いている。
 
雨に濡れた河津桜は、情感に溢れる。
晴れ渡る景色、霞んだ景色、雨の景色も、それぞれに楽しい。
出会った一期一会の景色を、堪能することは、
旅の醍醐味である。
 
河津桜は絢爛豪華ではない。
樹高も高くなく、幹回りも太くない。
だから人の目線に、桜の花が咲いている。
 
そこに優しさと、優雅さを感じる。
桜の花に、たくさんのメジロが集まり、花蜜を吸っている。
熱海にいなかったメジロは、
河津へ飛んで、きたのかもしれない。
 
遠くに豊泉橋が見える。
その奥に、小高い伊豆の山々が見える。
伊豆には切り立った山はなく、なだらかな小山が連なる。
 
冬も温暖で、夏も過ごしやすい。
春には様々な花が咲き匂い、秋の紅葉も美しい。
相模灘と駿河湾に抱かれ、黒潮が流れる。

広漠とした河川もなく、流れ緩やかな、清流が流れる
海の幸に恵まれ、山の実りも豊かである。
だから伊豆の人たちは優しい。

小雨降り、河津川も増水している。
何時も見かける水鳥や、シラサギもいない。
だが小雨に濡れた、河津川の両岸に咲く桜に、
春の情趣が溢れていた。