マスター&ママの小さな旅
正月の秩父路・聖神社から長瀞へ

2024年1月4日

PART1 聖神社へ

Short Movie

https://m.youtube.com/watch?v=
rtXsT2oPXrM&pp=
ygUP5paw5pil44Gu56ep54i2


正月4日、秩父へ出かける。
京都へ娘夫婦も帰り、のんびりと秩父路へ。
関越を行き、坂戸あたり、左手の彼方に、白銀の富士山が輝いていた。

昨年12月の西伊豆の旅以来の富士だ。
花園ICで降り、国道140から皆野寄居有料道路へ。
そしてまた国道140から、黒谷にある、聖神社に着いた。

今年で4回目に、なるであろうか?
それまでは、何度も神社の前を、通過していた。
秩父が人気観光スポットになると同時に、
この神社もパワースポットになった。


創建は和銅元年(708年)で古く、
日本初の流通貨幣・和同開珎が鋳造されたことに、
起源を持つ、由緒正しい神社である。

その割に厳めしいところが無く、素朴なところが良い。
神社近くの駐車場に停める。
そこから少し歩くと、参道がある。

神社へ続く参道に、車列ができていた。
川沿いの参道を進むと、左手に鳥居がある。
何時もは拝殿に続く、階段に列ができているのだが。

今日は並ぶ人もいなかった。
階段前の手水舎で、手と口を浄める。
去年までは、コロナのため、手水舎は封印されていた。

今年はほとんどが、コロナ以前に復帰している。
急峻な階段を上り、境内へ出る。
大イチョウが、迎えてくれるのが嬉しい。

拝殿の階段を上がり、お賽銭を添える。
太い綱を引き、大鈴を鳴らし、作法に従い拝礼する。
両手を合わせ、瞑目する。

新年早々、凄まじいことが、日本を襲っている。
被災地の安全と、早い復興を願った。
階段を降り、境内を歩き、秩父連山を眺める。

秩父の象徴武甲山がひときわ高く、蒼空の中に聳えている。
山容を変えながら、今も秩父の繁栄を支える山は、
凛々しく威厳がある。

境内に昨年度のお飾りや、お守りが積まれていた。
私もここで、昨年頂いた、お守りを納める。
先ほどまで、寂しげだった参道に、長い参詣者の列ができていた。

私たちが参拝した時間は、午後1時前だった。
昼食を終えた人たちが、押し寄せたのであろうか?
拝殿の横の祠にお詣りし、大イチョウへ向かう。

大イチョウの横の柵に、たくさんの絵馬や、お御籤が繋がれていた。
その前に、若者たちが、お御籤を読みあっていた。
新年の吉兆占い、真剣な眼差しである。

若いころはお御籤も、引いたものだが、
歳をとると興味がなくなるのは、如何したものか?
自分の未来への希求が、薄れるのかもしれない。

先ほど登った石段を下る。
参拝の列が、階段下まで続いていた。
私たちは、よい時に参拝に来たようだ。

階段を降りると、彼方に武甲山が見える。
青空が広がり、雲が耀く。
ここは秩父だなと、あらためて思う。

PART2 長瀞へ

Short Movie
https://m.youtube.com/watch?si=
BF5CHRaWGmUyE6AE&v=
GrU3V5iPwWY&feature=youtu.be


長瀞へ来るのは、何年ぶりであろうか。
国道140号を挟んで、反対側の宝登山へは、度々来ている。
しかしコロナの間、聖神社まで来て、東京へ引き返していた。

もちろんママの実家がある、小鹿野町にも、現在、行っていない。
やはり未だに、感染症の危険を、感じているからだ。
秩父鉄道長瀞駅前の、有料駐車場に、車を置く。

車を降りると、宝登山神社の、大鳥居が見えた。
駅前の土産物売り場は、閑散としていた。
踏切を渡り、長瀞河原へ向かった。

土産物店が並ぶ、岩畳通り商店街も、人気が無かった。
やはり寒い季節は、長瀞は人気が薄いのか?
シーズンの本番は、初夏から真夏、そして紅葉の季節なのだろう。

秩父名物味噌かつ丼の、のぼり旗が、寂し気である。
さらに行くと、射的場があった。
昔は観光地に行くと、射的場や、スマートボールなどの、
遊技場が犇めいていたものである。

中で子供が、射的をしている。
たいしたものが、貰えるわけでもないが、夢中になるのが面白い。
やがて遠くに、荒川が見える。

石段を下ると、荒川の清流の、川面が広がる。
やはり河原にも、人影がほとんどなかった。
風もなく穏やかな日和。

清流を渡る、微風が爽やかだ。
前方にライン下りの、船着き場がある。
すると右手から、ライン下りの和船が、流れてきた。

流れは緩やか、船頭は艪に、手を当てるだけである。
この時期、川の水量が少ないと、ライン下りはできない。
ゆっくりと船は、岸辺に着き、下船が始まった。

冬場のライン下りには、炬燵船もあるようだ。
見たところ、炬燵は見えない。
さぞかし寒かったことであろう。

急流で激しく、水飛沫のところもある。
さすがに乗船客は、少ないようだ。
石畳へ歩く。

太古からの時間を刻む、結晶片岩が、青緑に光っている。
約8500万年~6600万年前から紡がれた、
岩畳の上に立つと、人は自分の存在の、小ささを知る。
悠久な時の間に、侵食された岩畳は、数百メートルも続く。

長瀞の辺りは、荒川の流れは、緩やかである。
川の流れは静かで、深く長い。
人気ないこの時期、長閑で静寂である。


秋になれば、対岸は紅葉し、水面の深緑とのコントラストが美しい。
石畳と渓谷と岸壁。
自然界の壮大なドラマに、人々は感動する。

心の奥に潜む、自然への畏敬と尊崇が、呼び覚まされ、
深い自然の偉大さに共振する。
それは演劇や音楽、映画に感動し、カタルシス(感情浄化)することに通底する。
長瀞の自然に触れ、新年の英気を、頂いたようである。