マスター&ママの日曜日
懐かしの長崎神社から朗読会へ
2023年9月10日

台風が近づく、不安定な日曜。
幸いに晴れわたる、真夏日であった。
今日は豊島区椎名町の、長崎神社の祭礼である。

昨日は宵宮で、今日は本祭り、町内の神輿が、勢揃いする。
家を12時前に出て、都営三田線とバスを乗り継ぎ、要町に12時40分頃に着いた。
要町から要町通りを行くと、祭礼の幟旗が並んでいた。

そして路地を左に曲がり、真っ直ぐ進む。
すると前方に、昔ながらの露店が、並んでいた。
子供の時から、見慣れた風景は、今でも心が弾む。

露天の前を進むと、長崎神社の、大鳥居の前に出た。
一の鳥居を潜ると、露店が犇めき、大勢の人で、溢れていた。
そして二の鳥居を潜り、境内に出る。

参拝を待つ人の列が、できていた。
手水舎で、両手を浄め、口を漱いだ。
コロナの時は、手水舎は閉じられ、お浄めの清水も、止められていた。

今は何処の神社や、仏閣の手水舎も、復活した。
参拝の列に並び、作法に従い、参拝をする。
この神社の祭礼に、やって来たのは、72年ぶりであろうか。

私が生まれたのは、ここからほど近い、椎名町である。
父母が朝鮮から引き揚げてきて、東京に住んだ、初めての場所だ。
兄や姉は、椎名町小学校を、卒業している。

私は椎名町で生まれ、4歳まで住んでいた。
ほとんど記憶はないが、2階から、屋根に足を投げ出し、
商店街を見下ろしている絵が、原風景のように思い浮かぶ。

場所は浅田飴本社の隣で、漫画家の聖地・常盤荘は
、距離にして、100メートルもない。
私たちが引っ越して、5年後くらいに、手塚治虫が住んでいる。
長崎神社の祭礼のことは、母親からたびたび、聞いたことがある。

たくさんのお店が出て、とても賑やかだったと。
たぶん私は母親の背中に、揺られていたかもしれない。
陽が落ちると、提灯に灯がともり、境内は祭りの熱気が漲る。

祭りの夜の境内の雑踏の中、ふと母や父の幻影を見る。
灯影に照らされた顔に、今は無き父母の面影を、重ねることがある。
日本の祭りには、先祖への思いが、込められているのかもしれない。

境内の舞殿も飾られ、昨日は演能されたのであろう。
境内へ出て、椎名町駅の前に出た。
町内会の氏子たちが、神輿の出を、待っていた。

日本の親父に、祭半纏や法被が、良く似合う。
こわもて親父は、さらに様になる。
3年の間、祭りは日本の村や、町々から消えた。

祭り男や女たち、子供たちもこの日を、待ち続けた。
今日は感動と興奮の一日。
感慨もひとしおだろう。

神輿は1時半に、出立するようだ。
強い陽射しの中、待っていると、
神輿が氏子に担がれ、表通りにの台座に、置かれた。
氏子代表と思しき人が、挨拶をする。

そのあと、担ぎ手の助っ人が、順番に紹介された。
お神酒か回され、威勢よく乾杯の声が響いた。
そして出発時間になり、気合もろとも、神輿が動き始めた。

神輿の周りから、拍手が沸き起こる。
最近の神輿の担ぎ手に、若い女性が多いのだが……。
今日はほとんど、男衆だけだ。

神輿の掛け声とともに、長崎神社の鳥居を潜る。
そのあと少し戻り、露店を抜けて、路地に出た。
男衆が担ぎ、長老たちが、見守りながら、町内を進んでゆく。
これから夜まで、町内を巡るのであろう。
町の平安や無事、繁栄と幸福を願いながら。
そしてコロナや疫病の退散を、この熱気が退散させることだろう。
やがて陽が落ち、提灯に灯がともり、祭りは最高潮を迎える。
夜は祭りを、絢爛にする。
神輿の煌めきが、夏の終わりを告げ、秋の豊饒を祝う。

日が暮れるまで、祭りを愉しみたいのだが。
この日は、友人が神保町で、朗読会を午後4時に開く。
祭りをあとにして、神保町へ向かった。