マスター&ママの小さな旅 埼玉県熊谷市龍泉寺を訪ねて 2023年5月14日 快晴の5月14日、熊谷にある、名刹龍泉寺へ出かけた。 所沢ICから関越に乗り、花園ICで降りる。 国道140号を進むと、街道沿いに、目的地があった。 埼玉厄除け開運の、大きなのぼり旗が建っていた。 そして山門近くの駐車場に、車を置く。 趣のあるこじんまりした山門に、大きな扁額が見える。 入り口の天井に、紅白の提灯が、並んでいた。 山門を潜ると、正面に急傾斜の、階段が見える。 階段の先に、本殿が見える。 境内の左手に、平安安全大観音が、青空の中に、くっきりと姿を映す。 全長10メートルの観音様は、衆生の安全と平和を願い、建立された。 階段の右手前に、手水舎があった。 コロナの影響なのであろう。 手水舎の水盤に、清めの水は、流れていなかった。 階段の前で一礼し、階段を登る。 昔と違い、最近は階段の上り下りにも、気を使うようになった。 階段を登りきると、境内が開けていた。 観音堂の階段を登り、途中で鰐口を鳴らす。 ぼわ~んッと、鈍く響いた。 木段を登る。 観音堂は閉ざされ、格子状の扉の一部が、切り取られていた。 その奥に賽銭箱が、あるようである。 格子戸の穴に手を入れ、お賽銭を添え、手を合わせる。 家族、親族、お客様の安寧と、健康を祈念した。 本尊千手観音を祀る、観音堂の周りを、一回りする。 裏手は緑に包まれ、新鮮な空気が、美味しかった。 一回りして、正面に戻る。 仏陀の身体と教えを象徴する、五色の垂れ幕の彼方に、青空と畑が広がる。 階段を降りると、真っ直ぐに、参道が伸びる。 その先に、先ほど潜った、山門が建っていた。 境内に下りると、右手に鐘楼が建っていた。 鐘は「浄化の鐘」と言い、撞くと自分の煩悩を、取り去ってくれるようだ。 鐘の打ち方が記されている。 心の浄化を祈りながら、自由に撞いてよいようだ。 立札に記された作法に従い、深く息を吸い、鐘を打つ。 ごわ~~~んッと、辺りに響き渡った。 そして紐から手をはなし、一礼した。 鐘楼の右手奥を見ると、謎めいた朱色の、鳥居が見える。 鳥居に続く、凸凹の石段を登る。 いったい何人の人が、この石段を、登ったことだろうか。 遥かな時の、風雪を感じた。 石段を登りきると、小さな祠があった。 祠を包む、樹林の若緑が、霊妙な神韻を、響かせていた。 ここは古来、霊気の漂う、大地だったのであろう。 稲荷社の階段を下り、境内へ出る。 左手先に、六地蔵が見えた。 近づくと六体の地蔵さんが、愛くるしく並んでいた。 立て看板に、六体の地蔵様に、順番に祈りをささげるとよいと、書いてあった。 そのあと大師堂へ向かった。 境内に人影はなく、静謐な空気に、満ちていた。 石段を登り、大師堂の前で、手を合わせる。 お堂の中に、厄除け金色大師と、開運金色大師が祀られているようだ。 この二体の秘仏本尊が鎮座することで、 日本で唯一の厄除け・開運の寺として、 全国から参拝者が、祈願に訪れる。 今日は秘仏のため、開帳されていなかった。 太子堂から戻ると、左手に「開運招福巡り」の立札があった。 見れば参拝の順路が、記されていた。 どうやら私たちの巡りは、逆路だったようである。 参道を挟んだ向こう側に、弘法大師の石像が、建っていた。 1200年以上前に、空海もこの地を訪れている。 龍泉寺参拝を終え、先ほどの山門の前に行く。 門の両脇は、木組がむき出しである。 天井を見上げると、格天井になっていた。 格子の中に、色彩豊かな絵が、飾られている。 この空間に、かつては阿吽の仁王像が、祀られていたのであろう。 私が山門と考えていたのは、実は仁王門だった。 龍泉寺を参拝する入り口が、仁王門であり、 出口はもう一つの、山門であった。 はたして、仁王門の仁王像は、何処へ行ったのか。 天保二年(1831年)の昔、渡辺崋山も、この地三ヶ尻を、 藩主の命により、実地調査に訪れている。 その時、龍泉寺に逗留し、訪瓶録を三巻をあらわし、 仁王門の格天井絵の、松図と双雁図を寄進していた。 幕末の志士で、時代を代表する画家も、この地を訪れている。 小さな旅で、各地を訪れると、思わぬ発見がある。 その時、遠い歴史も一瞬にして、近い存在に変容するから楽しい! |