マスター&ママの小さな旅
栃木県那須塩原を訪ねて
2023年4月23-24日

那須塩原に来るのは、今回で3度目であろうか。
最初は那須岳の麓にある、ヤマツツジの季節だった。
山肌一面が、ツツジに覆われていた。

そして那須岳へ、ロープウェーで、山頂駅に向かった。
駅に着くと、霧に覆われ、視界ゼロに近かった。
だが登山の人たちは、山頂を目指し、霧の中に消えて行った。

2回目の那須への旅は、雲厳寺を訪ねた。
正確に言えば、那須の隣に当たる、大田原市である。
吉永小百合さんが、旅のコマーシャルで、一躍有名になった。

朱色の太鼓橋の彼方に、寺の山門が映えていた。
そのあと芭蕉が、奥の細道への途次、長逗留した、黒羽の芭蕉の里を、訪ねた。
芭蕉はその地で、英気を養い、奥州を目指した。

栃木の北に位置する、黒磯、那須塩原は、温泉や自然に溢れている。
さて今回は連休前、まだツツジには早いだろう。
だが今年は、桜もかなり前倒しして、早い開花だった。

東京都板橋区から、東北道を北上し、西那須塩原インターで下りる。
国道400号を行き、もみじ大吊橋に着いたのは、午後12時25分。
ゴールデンウィーク前なのか、駐車場は閑散としていた。

吊り橋の前の管理事務所で、渡橋券を購入する。
大人300円のところ、65歳以上なので、100円割引であった。
橋には人影がまばらだ。
橋の上を歩くと、微かに揺れる。
橋の幅は1.5メートル。
真ん中に鉄の強化網が張られ、その上に乗ると、湖面が眼下に、透けて見える。

橋を進むと、左右の塩原ダム湖の湖面に、木々の若葉が、逆さ絵に映っていた。
この吊り橋は、無補剛桁歩道吊橋といい、補剛桁ではなく、
補強のために、横に太いロープを張り、強度を保っている。
全長320メートルで、無補剛桁歩道吊橋としては、日本一長い歩行者用の、吊り橋である。
橋を渡りきると、そこは公園になっていた。
公園に人影も少なく、のんびりと散策した。
すると1本の桜の木があり、満開であった。

その横にツツジが咲き、桜との饗宴も楽しい。
ベンチに腰掛け、降り注ぐ陽光を愉しむ。
そして橋へ戻る。

前方左手に、箒川をせき止めてできた、塩原ダム湖がきらめく。
その彼方に、新緑の山々が、陽光に輝いていた。
秋になれば、山々は紅葉にもえるだろう。

今日の予定は、これで終わった。
目的は那須塩原で、ゆったりと、温泉に浸かることである。
ホテルに到着すると、ちょうどチェックインの時間だった。

部屋は2階。
荷物を置き着替え、椅子に座り、窓を開ける。
柔らかな風が流れてきた。

ビールを開け、グラスに注ぎ、ゴクリッと飲む。
喉からするすると滑り落ち、五臓に浸みる。
そしてしばらく休んだ後、温泉に出かけた。

軽く湯を浴び、早速渓流沿いの、露天風呂へ行く。
まだ人影が、あまりなかった。
温泉の湯味は柔らかく、しっとりとしている。

岩に囲まれた露天風呂に、深々と浸かる。
軽く湯圧があり、体にころころ滑るようだ。
風が微かに渡り、遠くで鳥の声が聞こえる。

見上げると、桜の老樹の枝が、風呂の上に伸びている。
すでに名残の桜の姿も、見えなかった。
渓流の向こうに、小高い山が、傾き始めた日に、新緑が輝いていた。

コロナも終息し始め、やっと心置きなく、旅情を愉しむことができる。
今日一日にの旅の疲れが、洗われたようだった。
風呂を出て、しばらくして、夕食の時間になった。

そして食後のあと、しばらく休み、また風呂に出かけた。
風呂を出て、部屋に帰り、濡れ縁に座り、ゆったりと、地酒を楽しむ。
栃木の地酒純米吟醸天鷹が、湯上りの身体に、心地よかった。

窓外の山々は、闇に包まれ、星が瞬いている。
音のない空間は、旅情を愉しませてくれる。
旅ができることが、この上なく嬉しいことを、教えてくれた。

昨日、早く床に就いたせいか、早朝6時前に目が覚めた。
朝一番の風呂を浴びる。
まだあまり人はいず、広い浴場を、独占するようで、気持ちが良かった。

ゆったり朝湯を味わい、そのあと朝食をいただく。
そして10時頃に、チェックアウトした。
ホテル近くの、源三窟に出かけた。

ホテルを出ると、5分ほどで到着した。
駐車場に車もなく、閑散としていた。
階段を下ると、左手に源有綱の墓があった。

前を通り過ぎると、参観券売り場があった。
入場料600円を支払う。
石段を下ると、一休さんが出迎えてくれた。

その奥の右手に、滝が流れ落ちていた。
その滝の前に、等身に近い、カラフルな人形が見える。
源有綱の家臣が、滝水で米を洗っている。

平安時代後期、源有綱たちが、頼朝に追われ、この洞窟に隠れていた。
源有綱たちは、源平最後の合戦壇ノ浦の戦い(1185年)で、源義経とともに戦った。
彼はは源義経の娘婿で、壇ノ浦では、弁慶たちと共に、大活躍した。

だがその後、義経一族は、頼朝の怒りを買い、
有綱は
和国(奈良県)方面より塩原へ、逃げこんだと伝えられる。
そしてこの洞窟で、再起をはかり、落人生活をおくった。

ある日のこと、頼朝軍は米のとぎ汁が、上流から流れ来るのを発見した。

ついに源有綱たちは捉えられ、無念の最期を遂げたのであった。
洞窟内に入ると、ひやりと冷気が流れている。
通路は狭く、天上も低い。

気をつけて歩いていたが、足元に気をとられ、ゴツンッと頭を、岩にぶつけた。
途中に有綱たち落人の、生活ぶりを語る、人形が展示されていた。
洞窟は約50メートル続く。

この地はかつては、数十年前は湖底であり、地殻変動により隆起した。
湖底内で形成された石灰岩が、遥かな時のなか、
降り注ぐ雨水に溶かされ、鍾乳洞を作り上げたのである。
洞窟内には、魚や貝の化石が、発掘されるという。

やがて前方に、明かりが見える。
階段を登ると、土産物売り場があった。
その前の階段を行くと、武具資料館が併設されていた。

大名籠や、古くは安土桃山時代の、鎧兜も並ぶ。
また薙刀や日本刀が、鈍く光っていた。
決して広くはないが、出口近くに「種子島」と呼ばれた、
火縄銃や大筒などが展示されていた。

鍾乳洞を出ると、湧水が流れている。
柄杓ですくい飲む。
石灰層を潜り抜けた水は、甘く冷たく、口の中に膨らんだ。

源三窟の駐車場から、車で2分ほど行くと、塩原八幡神社に着いた。
源三窟の亭主に紹介されて来たのだが、鳥居の前に来て思い出した。
かつてここへ来たことがあると。

駐車場に車を置き、大鳥居を潜る。
聖なる境内への結界となる、池に渡された橋を渡る。
澄み切った池の中を、色とりどりの鯉が、泳いでいた。

境内に2本の大杉が、並び立っていた。
樹齢1500年、樹高40メートルの古木が、聳えたっていた。
2本の老樹は、別名「逆杉(さかさすぎ)」と言われ、
また「夫婦杉」と呼ばれている。

雄杉は幹周り11.5メートル、雌杉は8メートル。
もえあがる生命力と、神秘的な存在感を、示していた。
逆さ杉の大枝は、老樹の幹から、地上に向かい、垂れ下がっている。

遠く平安時代のころ、八幡太郎義家が、奥州征伐の折、この地を訪れた。
そして源氏ゆかりの塩原八幡宮に立ち寄り、この逆さ杉に霊気を感じ、
戦勝を祈願したと伝わる。


逆さ杉の奥に、塩原八幡宮が、ひっそりと建っている。
村の鎮守のように、質素で簡素な造りで、格式のある神社には見えない。
お賽銭を添え、作法にならい、柏手を打ち、手を合わせる。

人影のない境内に、柏手が響いた。
拝殿の横手に、老樹の大木が聳えていた。
大地に太い根が伸び、この地の歴史の生き証人のようである。

この大樹は「気」の大樹と言われる。
圧倒的な神気を放出し、根源的な生命力が躍動している。
塩原八幡宮は、自然の生命と気が、共鳴している。