雑感:松本零士で思い出す……
2023年2月23日

松本零士氏が13日に亡くなった。
私の店のお客さまで、『宇宙戦艦ヤマト』で、声優をしていたYさんがいる。
Yさんとは30年近い付き合いで、所属する劇団の公演にも、度々出かけた。

彼は舞台俳優の傍ら、声優の草分時代から活動している。
当時の声優の録音現場は、劣悪で夏は暑く、冬は寒かったそうだ。
だがまだセル画の価値が認識されず、いくらでももらえたという。

だから彼は声優と言われることが嫌いで、舞台俳優ですと言っていた。
彼は1971年に、毎日放送放映の、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』誕生から参加。
ライダ―1号の藤岡弘から、
付き合っている。
当時藤岡氏が、撮影でNGを連発するので、
ショッカー戦闘員のYさんは、怪人の声が出なくなった。

それでも出る声が、あの甲高い「イー!ッ」であった。
それ以来、その声が採用されたと、言ってたことも懐かしい。
その彼から聞いた話である。

ある時から、「宇宙戦艦ヤマト」の制作現場で、
プロデューサー西崎義展氏と、松本零士氏が激論し始めた。
その様子ははた目にも、異様に映ったようだ。

どうやらアニメーションの方向性で、極度に対立するようになったようだ。
そのころアニメは成功し、西崎氏の生活も、派手になり始めたころである。
その後、裁判に発展する、著作権でも、もめることになる。

西崎氏は金使いも派手だったが、気前もよかったようだ。
宇宙戦艦ヤマトの成功を祝い、関係者の主要人物たちに、
豪華な記念品を贈呈したという。

Y氏ももちろん頂いたが、興味がないので、誰かにあげたそうだ。
現在持っていたら、超プレミアムだろう。
Y氏は松本零士氏と年齢も近い。

Yさんの先輩の大御所たちも、今はいない。
Yさんとは3年くらい会っていないだろうか。
声優の世界は日本的序列の世界。

先輩にはさんと言い、後輩の名前には、敬称をつけないようだ。
今ではYさんは、ほとんどの声優から、Yさんと言われているだろう。
Yさんは私より6歳年上だから、81歳になるはずだ。

私も数えてみれば、75歳になった。
板橋区で最高齢の、現役バーテンダーに、近づいているだろう。
私のバーは、今年で39年だから、板橋区で最古参のバーかもしれない。
振り返れば、長い道のりだった。