卯年の新年が始まった!
2023年1月14日

元日は板橋区赤塚にある、乗蓮寺の東京大仏へ出かけた。
例年、秩父で正月を迎えたのだが、コロナ禍で、この3年間、東京で正月を迎える。
地元の大仏さんへ、元日に行くのは、初めてである。

京都から帰省している、娘夫婦も一緒だ。
お昼頃に、お雑煮とおせち料理を食べ、午後3時頃に出かけた。
板橋区赤塚庁舎横の、駐車場に車を入れる。

娘たちは、志村消防署赤塚支所へ行く。
そこに娘の友達が、元日勤務をしていた。
私たちは大仏へ向かう。

交通規制が敷かれ、警察や警備員が、交通整理をしていた。
なだらかな坂を下ると、左手に山門がある。
遠くに大きな、大仏様が見える。

時間は午後4時頃だった。
午後4時半が閉門ですと、拡声器の声が流れる。
危ないところであった。

山門を潜ると、長い列ができていた。
横五列くらいに並び、参拝を待つ。
振り返り、山門を見ると、すでに扉が閉じていた。

階段を登り、拝殿の前に立ち、お賽銭を奉じ、手を合わせる。
階段を下り、高さ13メートル、青銅製の大仏様に向かう。
ここにも小さな列ができていた。

夕刻の日差しに、漆黒に輝く、大仏の前の列に並び、順番を待つ。
大きな香炉から、お線香の香りが、柔らかく流れる。
お賽銭を添え、手を合わせ、瞑目する。

今年も健康で無事に、一年を過ごせるようにと。
そして家族や、お客様の幸せと、安寧をお願いする。
さらにコロナが終息し、世の中が明るくなることも祈念した。

さらにもう少し仕事を、続けられるように、健康をお願いした。
寺の境内から、裏道を抜け、駐車場へ向かう。
すでに陽は落ち、冷気が流れていた。

翌日の2日、秩父の皆野町にある、聖神社へ行く。
お昼を済ませ、娘夫婦と、4人で出かけた。
去年は息子夫婦と、娘夫婦と次女の、7人で繰り出した。

今年は4人で、少人数だ。
川越街道を下り、所沢インターから関越へ。
快晴の高速道路は、気持ちがいい。

遠くに秩父の山々が見える。
川越、東松山を通過し、花園インターで降り、寄居皆野有料道路を行く。
途中、風布があり、ここは蜜柑の産地だ。

有料道路を降り、国道140号、通称彩甲斐街道を、皆野方面へ向かう。
程なくして、聖神社の無料駐車場に、到着した。
ここから聖神社へ向かう。

参道を進み、左に折れ、川沿いの道を行く。
道には参道近くの、駐車場へ向かう、車が並んでいた。
この道の先に、日本で最初の通貨和同開珎を造った、銅鉱山の跡がある。

100メートルほど行くと、参道があった。
昨年は長い列が続いていたが、今年はなかった。
手水舎も復活していたが、口を漱ぐ柄杓はなかった。

境内に続く、急峻な階段を登ると、老樹が迎えてくれた。
正月の2日にしては、境内に人影が少なかった。
拝殿の階段を登り、お賽銭を添え、作法通りに拝礼する。

階段を下ると、ママが家族に贈る、お守りを頂いていた。
去年までのお札を、境内の納所に返し、新しいお札を、お財布の中にしまう。
境内から眺めると、彼方に武甲山が見えた。

秩父の象徴武甲山を見ると、秩父に来たことを実感する。
去年はまだコロナが、猛威をふるっていた。
私たちは聖神社以外、何処にも立ち寄らず、東京へ戻った。

今年は秩父神社近くに住む、ママの姪っ子の家を、訪ねることにした。
秩父で親戚に会うのは、3年ぶりであろうか。
訪ねると姪っ子が、玄関で迎えてくれた。

居間に行くと、大太鼓やら、祭り提灯などが、置かれていた。
家族は全員、秩父太鼓をたたき、子供の時は秩父歌舞伎を演じる。
先祖以来の根っからの、秩父夜祭の家系である。

やがて主人が次男と、紺の祭り衣装で、帰って来た。
獅子舞で町内を、回ったみたいだ。
一休みして、また出かけるらしい。

やがて秩父の日も、陰り始めた。
私たちは秩父をあとにし、東京へ向かった。
関越道は大渋滞のようだ。

私たちは国道299号を、のんびりと行くことにした。
秩父の枯れ寂びた山道を、くねくねと進むのも楽しい。
京都の娘婿が運転するので、ママはのんびりと、秩父路を愉しんでいた。

正月3日、娘夫婦は京都に帰った。
5日からshotbarピーポッポは、初仕事だった。
そして迎える日曜日は、私が34年付き合う、草野球チーム・GUNsの新年会。

その翌日の成人式の日、かつての地元徳丸にある、北野神社に、新年のお飾りを、納めに行く。
さすがに元日の、あの長い列はなかった。
駐車場に車を置き、手水舎で手を浄める。

ここにも口を漱ぐ、柄杓はなかった。
参道を進み、拝殿の前で、作法に従い拝礼をした。
拝殿の中では、若宮司が祈祷をしていた。

見れば、息子の幼なじみで、サッカーのチームメイトだった。
社務所に行くと、大きな破魔矢の姿はなく、小さな破魔矢を頂いた。
お飾りも納め、破魔矢もいただき、晴れ晴れした気持ちになる。

そして栃木県にある、佐野厄除け大師へ向かった。
今年は正月以来、晴天が続く。
外環から東北道へ出る。

前方に青空が広がる。
埼玉を通過し、利根川を越え、渡良瀬川を渡る。
館林インターを降りる。

昔は佐野藤岡インターで下りたのだが、佐野アウトレットができてから、渋滞が続く。
佐野事情に詳しい、お店のお客様に、手前の館林インターを、教えてもらった。
それ以来、渋滞に会わず、快適である。

国道354号を行くと、佐野市外に到着した。
何時もと違う道をゆくと、あちらこちらに、佐野厄除け大師の、無料駐車場があった。
空いてる駐車場に、車を置き、お大師様へ向かった。

遠くにお大師様の、甍が見える。
秋山川の橋を渡る。
以前は清流だったが、数年前の氾濫で、河川は工事中だった。

お大師様が近づくに従い、参詣の人たちが増える。
山門を潜ると、前方に長い列ができていた。
後尾に並び、日本初の公害事件・足尾鉱毒事件で有名な、田中正造翁の墓の前を過ぎる。

寺の本堂が正面に控える。
5列横隊に並ぶ。
本堂の中に、祈願する大勢の人たちや、僧侶の姿が見える。

最前列に立ち、お賽銭を添え、拝礼し手を合わせる。
本堂の隣の建物では、御札やお守りを求める人で溢れている。
さらに進むと、おそうじ小僧の石像が、寒そうだった。

その先に、東照宮がある。
このお宮さんには、お賽銭箱がない。
その代わりに、お御籤を300円供えていただき、運勢を占う。

たくさんのお御籤が、拝殿横に連なっていた。
境内を出て、何時も行く、佐野観光物産会館へ行く。
会館前に猿回しの女性が、ニホンザルと一緒に、休憩していた。

猿回しのパフォーマンスが、終わったところなのだろう。
見物の人とにこやかに、話していた。
センターの中に入り、名物の佐野ラーメンなどを購入する。

ママは秩父の親戚へ送る、お土産を買い求めていた。
今年も正月のスケジュールは、無事に終わった。
今年こそ、コロナも終息し、平穏無事な日常が戻ることを、心から願いたい。