埼玉県日高市・巾着田の曼珠沙華を訪ねて
(埼玉県日高市高麗本郷125-2)
2022年9月26日

日高市の巾着田に、到着したのは、午後3時ころだった。
シルバーウィークが終わった、平日の月曜日だが、道路は渋滞していた。
駐車場へ向かう車の、順番待ちであった。

交通整理の係員の、指示に従い、狭い道を進む。
遠くに見える、仮設の駐車場に、たくさんの車が、並んでいた。
駐車料金500円を払い、駐車場へ停める。

車を降りると、昼下がりの陽光が、柔らかく爽やかである。
前方に、曼珠沙華公園の入り口が見える。
道沿いに、小川が流れ、水草の緑が美しい。

見れば、小魚が清流を、泳いでいる。
入場券500円を、2人分払い中へ。
雑木林の中に、曼珠沙華の濃赤色が、広がっていた。

ここへ来るのは、4度目くらいであろうか。
最初来たころは、駐車場も整備されてなく、河原沿いの、でこぼこの駐車場だった。
規模も現在の、半分くらいであっただろうか。

約22ヘクタールの公園内は、月曜日にも関わらず、老若男女で、溢れていた。
散策道を進むと、木漏れ日が落ち、曼珠沙華の朱色へ、濃淡の陰翳を添える。
曼珠沙華の花色は、妖艶で少し不気味さが漂う。

娑婆から彼岸の、聖域に入りこんだような、錯覚を覚える。
曼珠沙華の奥に、高麗川が見える。
かつての夏、ママの実家の秩父へ行く途次、高麗川を、何度も通り過ぎた。

高麗川を望むと、家族連れが、川辺にテントを張り、水遊びをしていた。
そのころに比べれば、このあたりも開発が進み、水質も落ちていることだろう。
ところどころに、河川立ち入り禁止の立札が、たっていた。

あちらこちらで、カメラやスマホで、写真撮影をしている。
私も最近はスマホで、写真を撮ることが多くなった。
露出の心配もなく、手振れすることもなく、便利である。

だがスマホは、簡単に写真撮影ができるが、写真に深みが欠ける。
前ボケや後ろボケもできない。
花や人物を撮影するには、やはり一眼レフには、かなわないような気がする。

これからは、スマホと一眼レフを、両用したいものだ。
木漏れ日の落ちる、散策道をのんびりと歩く。
すでに秋の匂いのする雑木林で、ツクツクボウシがあちらこちらで、鳴いている。

するとクモの巣が、陽光に輝いていた。
クモは身じろぎせず、じっと銀色の網に、佇んでいた。
公園にはたくさんの、トンボが飛んでいた。

公園の中を左に折れ、さらに進む。
すると右手に、高麗川が見えるから不思議だ。
この川が大きく蛇行し、巾着田を構成していることが、よくわかる。

川を渡る沈下橋が見える。
このところの雨で、水量が多くなったのか、川辺には降りれなかった。
岸辺のベンチで、老夫婦が川を眺めながら、座っていた。

祭り広場の方から、太鼓の音が聞こえた

広場へ行くと、たくさんの屋台が並んでいた。
9月17日から10月2日まで、曼珠沙華まつりである。

曼珠沙華まつりは、3年ぶりである。
去年までコロナ禍により、500万本の曼珠沙華は、無惨にも花が、切り取られた。
広場の屋台を見ながら、太鼓の鳴る場所へ行くと、人だかりがあった。

見れば猿回しの青年が、猿に芸をさせていた。
猿は愛嬌たっぷりに、次々と芸を繰り出し、観衆が拍手を送る。
ここまで芸を仕込むのに、厳しい訓練と時間がかかっただろう。

最近はイルカショウも、動物愛護の人たちから、動物虐待で訴えられている。
猿回しの芸も、何時の日か、消滅するのであろうか。
人間と動物の関わりの文化は、多面的に考えなければいけないであろう。

広場を抜けると、さらに曼珠沙華が広がる。
遠くに木製トラス構造の、あいあい橋が見えた。
その下の河原で、親子連れや若者たちが、川風を愉しんでいた。

橋長91.2メートルの、木橋の下へ行き、見上げると、青空を背景に、男性が彫像のように、浮き出ていた。
橋の下を潜り、さらに散策道をすすむ。
すると右手の花壇の、濃紅色の曼珠沙華の中に、純白の曼珠沙華が咲いていた。

艶麗な曼珠沙華に対し、純白の花は、清楚で高貴である。
すでに夕方の4時近く。
閉園時間も近づいている。

だが入園する人が、切れることもなく、続いていた。
公園を出ると、日高の小高い山が、傾きかけた陽光を、浴びていた。
路傍には、淡い薄桃色の酔芙蓉花が、私たちに別れを告げていた。