夏の一日、埼玉県最古の古民家吉田家住宅を訪ねて
(〒355-0336埼玉県比企郡小川町勝呂423-1)
2022年7月3日

関越道を下り、東松山インターで降りる。
そこから254を行くと、20分ぐらいで着いた。
長閑な中に、吉田家住宅の、無料駐車場があった。


そこから少し行き、左手に折れた先に、茅葺屋根が見えた。
ゆるい坂道を上ると、正面に入母屋造りの、古民家が現れた。
中から人の話し声が聞こえる。

年季の入った縁側から、座敷越しに中を覗くと、板の間に座る、数人の人影が見えた。
連日、35度を超す猛暑だが、屋内は涼しそうである。
縁側づたいに屋敷を回ると、説明版がたっていた。

その奥は、裏庭のようである。
玄関へ戻ると、縁側に機織り機が、おいてあった。
かつてこの機で、家の女性が、機織りをしていたのであろうか。

ぱたんッ、ぱたんッと、枯れた音が、聞こえるようだ。
庭には純白なアジサイが、陽光を浴びていた。
玄関から中へ入る。

土間の右手に、囲炉裏があった。
炉には焚き木が燃え、真っ黒な土瓶が、自在鍵に吊られていた。
囲炉裏で火が焚かれているのに、室内はひんやりと、涼しいほどだ。

天井が高く、桁行21.8メートル、梁間10.5mの平屋造り
で、緑に包まれているからだろうか?
間取りは三間広間型と言われる、江戸時代の典型的な建物である。
私が見た多くの、農家の古民家は、室内を四部屋の正方形に間仕切りされていた。

この部屋の並びは、初めて見る。
土間にかまどが切られ、土間の半分ほどが厩だったそうだ。
そこに牛や馬が飼われていた。

今はその場所に、お土産者が置かれていた。
土間から板間へ上がる。
黒光りする木肌が、足裏を撫でるようだ。

板間には家族連れが、足を延ばして、寛いでいる。
吉田家の主が、来訪者の人たちに、色々と語っていた。
見上げると曲がりくねった梁が、歴史を感じさせた。

板の間の左端に、階段があった。
勾配のきつい階段を、注意しながら登る。
国の重要文化財建造物なのだが、自由に歩き回れるのが楽しい。

二階には広い座敷があった。
高い天井に、梁が豪快に組まれ、天井は煤で、真っ黒に染まっていた。
絶えず焚かれる囲炉裏や、かまどの煙が、屋根裏を黒く、染めあげたのである。

その煙が古民家の腐食を抑え、長期の保存を可能にしたのである。
開け放たれた窓の外に、若葉の緑が陽光を受け、眩しいほどだ。
二階から階下を見下ろすと、先ほど通った板の間と土間が見える。

この古民家に、冷房はないが、清涼な空気が、流れている。
板間に座り、のんびりと、主人の話を聞いている。
階段を降り、裏庭を眺める。

茅葺屋根の下に、緑が広がり、その中に湧水が、滴っていた。
土間に降り、囲炉裏の横から、外に出る。
出口の横に甕があり、はられた水の中を、メダカが泳いでいる。

そして小高いところに出ると、古民家が森のなかに、、ひっそりと建っていた。
古民家に戻り、昔懐かしいカルメ焼きと、吉田家で漬けた、梅干を購入し、別れを告げた。
吉田家の女将さんは、ママと同じ歳、話好きで気さくな人であった。

囲炉裏端に座り、 この古民家が、国の重要文化財建造物に、指定された経緯や、近在の歴史を語ってくれた。
そしてこれからも、普通の生活ができる状態で、建造物の保存をしていきたいと語っていた。
享保6年(1721年)に建築された、埼玉県最古の古民家に別れを告げ、なだらかな坂道を下る。

道ばたに、夏の花が咲き、強い日がさしている。
駐車場近くの路肩に、アオイの花が薄紅色の花を、広げていた。
この花を見ると、コロナ禍で2年間以上行ってない、秩父の夏を思い出す。