菖蒲城址あやめ園の花しょうぶ見物へ (埼玉県久喜市菖蒲町新堀985-2) 2022年6月13日 東京から国道122号を下り、約1時間くらいで、久喜市菖蒲城址に着いた。 午後3時ころ、あやめ園の前にある、駐車場は空いていた。 これからあやめの最盛期を、迎えるのであろうか? あやめ園そばの、小さな駐車場に車を停める。 道路越しに、あやめ園が見える。 その彼方に、田植えを終えた、水田が青々と広がる。 道路を渡ると、左手にこんもりとした、広場がある。 広場の四阿の横に、大きな石柱がたつ。 そこには、菖蒲城址と、彫られていた。 ここに古河公方足利利成が、康正2年(1456年)に、金田式部則綱に命じ、築城させたのだ。 たぶん堀もなく、土塁を巡らしただけの、平城であったであろう。 もちろん天守閣など、あろうはずもない。 城の竣工の日が、5月5日の端午の節句で、菖蒲城と命名された。 だが6代秀綱は、忍城成田氏長につき、豊臣秀吉の関東侵攻により、天正18年(1590年)に、廃城となった。 そののち徳川家康十六神将の一人、内藤正成がこの地に、栢間陣屋を構え、5700石を知行。 上級旗本として、幕末まで治めた。 広場の横に、散策用の木道が広がる。 遠くに老若男女が、木道をのんびり歩いている。 だが人影は思いのほか少なく、初夏の陽光が、柔らかく降り注ぐ。 梅雨を象徴するあやめ、これから最盛期を迎えるはずだが……。 おかげで好きなところで、ゆったりと写真が撮れるのが嬉しい。 散策道の遥か、夏草が茂り、その向こうに水田が広がる。 空を覆う青空に、夏雲が銀色に輝き、菖蒲田に、色とりどりのあやめが、咲き匂う。 だがすでに、見頃を過ぎ、枯れたあやめもあった。 このあやめ園には、50品種のあやめが、1万5000株植栽されている。 あやめは同じ場所に連作すると、株が衰え、連作障害を起こす。 そのため休耕田が、あちらこちらに、赤土を晒していた。 初夏のあやめ園、夏草とあやめと水田が、長閑な情趣を漂わせる。 散策道の突き当りを回ると、遠くに城址が影を落とす。 石碑と老樹と四阿が、風情を醸しだす。 散策道の脇に咲くあやめが、陽光に照り返されている。 散策道を迂回し、旗本内藤家栢間陣屋門へ行く。 こじんまりとした門の横に、木札がたっていた。 内藤氏は徳川家に、大身旗本として、幕末まで仕え、この地を治めた。 だが明治政府は、陣屋を廃止し、解体する。 その時、領内の名主三須家に移築され、さらに1998年に現在地に復元された。 門の横に水路が走り、青空を映していた。 さらに道路越しに、水田を眺めると、赤い耕運機が、水田を耕していた。 昔見た風景、耕運機の作業姿は懐かしい。 さらに左手に、菖蒲総合支所が見える。 どうやらそこに、あやめ祭りの会場が、あるようだ。 昼下がりの菖蒲城址は、長閑な空気に、満ちていた。 そして駐車場へ戻る途中、アジサイの花が、目に映る。 近づくと薄紫や水色の、アジサイが咲いていた。 今はアジサイの季節でもあるのだなと、教えてくれた。 |