桜の名所栃木県大平山へ!
2022年4月3日

コロナの規制も緩くなり、桜見物へ出かけた。
場所は栃木県大平山。
栃木県出身のお客様に、たびたび紹介された、桜の名所である。

東北道を、藤岡佐野インターで降りる。
国道50号をしばらく行き、鄙びた街道を進む。
遠くの山肌を、山ザクラが、まだら模様染めていた。

街道から、九十九な参道を上る。
狭い街道は、すれ違うのも、大変そうだ。
やがて山頂近くに到着。

交通規制され、係員が誘導していた。
國學院大學近くの、無料駐車場へ、車を停める。
駐車場の桜は、満開であった。

さきほど通った街道が、桜越しに見えた。
駐車場から、標高341メートル近くにある、大平山神社に向かった。
やがてあじさい坂が、前方に現れた。

雨に濡れた、表参道を行くと、鳥居があった。
その先遥かに、かなりきつそうな石段が、広がっていた。
石畳の両脇に、アジサイの若葉が、しっとりと趣を添えている。

梅雨の時期には、西洋アジサイや、山アジサイなど、約2500株のアジサイが、咲き匂うらしい。
でこぼこした石段は、かなりの急峻。
大平山神社に至る、のづら積みの約1000段の階段を、一歩一歩踏みしめながら行く。

すると途中に、祠の中にエメラルド色の湧水を湛えた、窟神社があった。
どうやらここは、弁財天を祀っているようだ。
祠の横に弁財天像が、鎮座していた。

お賽銭箱はなく、お金を浄める、金ざるが置いてあった。
100円玉を、ざるに入れ、祠の聖水で清めた。
耳を澄ますと、祠の天井から清水が、水面に落ちる音が聞こえた。

そして祠を見渡す位置にある、庵でひと休みする。
雨に濡れた若緑が、季節の訪れを教えてくれた。
梅雨時になれば、このあたりで、雨蛙の声が響き渡る。

その響きは「あじさい坂の雨蛙」として、日本の音風景百選に、選ばれている
雨上りの山の霊気をすい、またあじさい坂を登る。
途中、石段を降りる、若者たちとすれ違う。

まだまだ神社は先の方だ。
その前にあるはずの、隋神門の姿も見えない。
ひと昔前なら、これくらいの坂は、一気に登ることができたのだ。

やはり歳には勝てぬと、観念する。
途中、ママと一緒に、幾度か休憩をする。
無理は歳にヨロシクないと、言い訳しながら、石段わきの岩に、腰かける。

坂を上り始めて、30分経ったころ、石畳の彼方に、朱色の門が、姿をみせた。
やっと隋神門に、辿り着いたのか?
気を振り絞り、石段を登る。

やっとの思いで、隋神門の前に出た。
坂を振り返れば、果てしなく急峻な坂が、見渡せた。
神門の両脇に、左大臣と右大臣が、鎮座していた。


この神門は、享保8年(1723年)に
徳川八代将軍吉宗により、入母屋造り扇垂木、通称傘天井様式で、建築された。
天井の龍の下を潜ると、さらに急峻な石段が、待ち構えていた。
その先に、大平山神社が見えた。

そして雨に濡れた石段を登る。
境内に人影は少なく、静謐なな気配が、漂っていた。
神社の前に、注連縄を巻いた、大きな石が鎮座していた。

撫で石と言われ、この石を撫でると、災厄を祓い、霊験を得られるらしい。
手を触れると、ひんやりとし、聖霊に触れたようであった。
拝殿の上には、大平山神社の扁額が、所狭しと並んでいた。

大平山神社の主祭神は、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)の三座の神様をお祀りする

天長4年(827年)に、比叡山延暦寺の天台座主・慈覚大師(円仁)により、創建されたと伝わる。
全国で唯一の、交通安全神社である。
 
そして拝殿の前に立ち、拝礼の作法に従い柏手をし、深く頭を垂れた。
拝殿の隣の建物の前に、縁側があった。
そこに腰を下ろし、しばしの休息をした。

高齢者にかなりの強行軍だった。
境内の景色を、眺めながらの休憩は、至福であった。
そして最終目的地、展望台へ向かった。

なだらかな下りの石畳は、雨にぬれしっとりとした、情感を漂わせていた。
やがて石鳥居」の向こうに、広場が見えた。
鳥居を潜ると、左手に茶店があり、右手に山稜が広がっていた。

展望台の前に、山ザクラが、匂い咲いていた。
見渡すと、遠くの山肌を、ヤマザクラが、薄桃色に染めていた。
桜色に萌える山稜が、幾筋か薄日に、霞んでいる。

展望台の茶店には、人影もなく、寂し気であった。
大平山の桜まつりの最終日。
さらに小雨交じりの日曜日では、無理もないかもしれない。


日本の桜 名所百選に認定される大平山の、3大名物が、団子、焼き鳥、卵焼き。
大平だんごの幟旗が、降り始めた小ぬか雨に濡れ、悲しげであった。
お土産に草団子を購入した。

展望台から、小雨降る下り坂を、ぶらぶらと行く。
すると道路の先に、隋神門が見えた。
すでに時間は、午後5時。

人影はなく、山間に煙っていた。
隋神門の前の石段を、足を滑らさないように、注意しながら下る。
先ほどの登りの苦しさに比べ、嘘のようで心地よい。

階段のわきに、椿の花が、無惨な姿を、晒している。
紅白の花が、丸ごと地面に、ぼたりッと落ちている。
その姿を、武士が忌み嫌うわけが、分かるような気がした。

さらに下ると、左手に水戸天狗党大平山陣跡と書かれた、木製の表示板、が建っていた。
総帥田丸稲之衛門、神衛隊長藤田小四郎と書かれていた。
天狗党は元治元年(1864年)4月14日から、5月29日まで、ここに立てこもったのだ。

その間、近在で軍資金を強要、暴虐の徒となったようである。
その後、筑波山へ戻り、幕末の激流に、若き志士たちは、飲み込まれることになる。
ごつごつした石段は、雨に濡れ情趣を醸す。

石段を登る時は、気が付かなかった、ヤマザクラが、道ばたに咲いている。
登ることに必死で、桜を眺める、余裕もなかったのであろう。
アジサイの木の、若葉が雨にぬれ、若緑に輝いている。

6月頃になると、この辺り一帯が、様々なアジサイで、彩られる。
石段を下り終わる頃、右手に大平山連祥院六角堂に辿り着く。
屋根の最上部に、京都頂法寺六角堂を模した、堂宇が建つ。

この寺は慈覚大師が、天長2年(825年)に開創し、本尊は慈覚大師作と伝わる、虚空蔵菩薩である。
明治元年(1868年)の神仏分離令により、大平山の旭岳に移転、現在に至る。
弁財天で清めた硬貨を、賽銭箱に添え、手を合わせる。
そして駐車場に戻る。

すでに午後5時半、駐車場に人影はなく、薄桃色の桜の花が、寂しげであった。
車に乗り、東京へ向かった。
道々に桜が咲き、菜の花の黄色が美しかった。