青梅街道を下り奥多摩湖へ紅葉狩り
2022年11月14日


標高929m御岳山麓の、青梅街道を抜け、奥多摩湖に着いたのは、午後4時頃であった。
無料の駐車場は、空いていた。
係員の誘導で、車を停める。

駐車場を出ると、左手に
「奥多摩水と緑のふれあい館」があった。
中に入ると、吹き抜けのドームがあり、ステンドグラスのような天井から、
日が射し込み、広場を青色に染めていた。

展示館で一休みして、多摩湖に向かった。
すでに日は傾いていたが、広い空に青空が、広がっていた。
さすがにこの時間、人影はまばらだった。

公園の正面に、奥多摩湖の湖水が広がる。
風もなく湖水は、鏡のように、静寂を湛えていた。
湖畔に沿って、遊歩道を行く。

湖畔に白い船が、幾つも停泊していた。
湖水を管理する事務所の、調査船なのであろうか。
さらに湖水を渡る、真っ直ぐな遊歩道を行く。

湖水を見下ろすと、枯れ葉が浮かび、寂びた趣を添えていた。
遊歩道を進み、程なくして小河内ダムに到着した。
ダムの堤防入り口に、昭和32年11月竣工と、刻まれていた。

このダムを初めて訪れたのは、世田谷区立塚戸小学校の遠足だった。
振り返れば、小河内ダムが、完成した間際だったのだ。
すでに65年近く前の話である。

堤防の上の散策道を進み、見下ろすと、身がすくむ思いだった。
堤高149メートルは、威容を誇る。
眼下に赤や黄の紅葉が、広がっていた。

ダムの上の堤防に、353メートルの遊歩道が伸びる。
先ほどまでの青空に、灰色が混じり始めた。
東京都心から65キロメートル、標高530メートルの天気は不安定だ。

陽が落ちるに連れ、空模様があやしくなって来た。
途中、ダムを一望できる、展望塔があった。
すでに閉館し、玄関はピシャリト閉まっていた。

堤防を渡りきると、湖畔に小さな公園があった。
その公園の中に、石造りの大きな、慰霊塔が建っていた。
昭和32年11月までの19年の間に、87人の犠牲者を数えた。

総工費約150億円、945世帯が移転する、難工事であった。
眼前に広がる多摩湖は、何事もなかったように、湖畔の紅葉を、逆さ絵に映していた。
すでに日は消え落ち、灰黒色に垂れ始めた。

対岸の灯が湖水に照り帰り、白い船が湖水に、影を落としていた。
湖畔の遊歩道を、歩く人もまばらで、寂しげな風情が、辺りに漂う。
貯水容量1億8900万トンの湖は、静かに暮れ始めた。

ダムの堤防を過ぎ、公園近くに来たとき、山肌の中腹に、民家の灯が耀いていた。
どんな土地にも、生活の匂いがあり、人間の営みがある。
人間は逞しいと、今さらながら感じる。

駐車場に着くと、殆ど車は停まっていなかった。
湖水の周囲の山影に、日が落ちかけている。
すでに夕刻の5時、冷気が辺りを包んでいた。