高校の同級生・近藤明男監督「鳩のごとく蛇のごとく 斜陽」の試写会へ

2022年10月13日

高校3年の同級生・近藤明男さんから、試写会の招待状が、店に届いた。
そこで10月13(木)、京橋まで出かけた。
作品は太宰治原作『斜陽』の映画化だった。

『斜陽』は1947年に、発表された作品である。
私が生まれた年である。
静岡県三津浜の、安田屋旅館で、執筆された。

伊豆は夏目漱石を始め、巨匠が愛した土地である。
太宰治も、風光明媚で温暖な、伊豆を愛した。
太宰治と山梨の関係も、たびたび論じられる。

だが最初の妻と過ごした山梨県富士吉田は、寂しくて暗くて、やりきれな土地柄のように、表現している。
さらに師と仰ぐ、井伏鱒二を頼り、天下茶屋を訪れるが、井伏はすでに帰京していた。
私たちも20年くらい前だろうか、初夏の早朝、昭和9年創業の、天下茶屋を訪れた。

天下茶屋は開店したばかりで、訪ねる人もいなかった。
お茶屋の女主人は、高齢のため、富士吉田に住んでいた。
茶屋は熟年の女性が、仕切っていた。

2階にある、かつて井伏鱒二が投宿し、太宰治が逗留した部屋が、復元されていた。
その部屋は、太宰治文学記念室となり、太宰が使った、机や火鉢などが展示してあった。
道路に面した部屋から、遠く河口湖と富士山が見えた。

太宰はその景色を、薄っぺらな絵葉書のようだと、書いている。
どうやら『富岳百景』の名作を残したわりに、太宰と山梨は、相性が悪いような気がする。
この部屋の下に、富士吉田から来た、娼婦の一団を、太宰は目撃したのだ。

右手に、三つ峠へ続く、登山道がある。
その日は、7人くらいの熟年の男女のハイカーが、柔軟体操をしていた。
さて三津浜は、私にとっても思い出の地だ。

子育ても区切りが着き、小さな旅を開始したころ、三津浜を訪れた。
三津浜の遊覧船に、乗船したことを思い出す。
三津浜のお土産屋の中で、乗船券を買い、遊覧船が係留している、桟橋へ向かった。

そこにマドロス帽を、小粋に被った、ダンディーで、長身の船長がいた。
遊覧船は私たち夫婦だけで、貸し切り状態だった。
風もない快晴、駿河湾を遊覧船は、快適に走る。

船長が三津浜の歴史や、広がる景色を、つぶさに紹介してくれた。
船長は高校時代、三津浜から自転車で3時間かけ、砂利道を沼津まで、通ったと言っていた。
そして遊覧船を降り、井上靖の育った家などを訪れた。

そしてその日は、ダイバーたちに人気がある、大瀬崎に宿泊した。
今回試写を見る映画の舞台が、三津浜辺りである。
戦後、農地解放や家族制度の廃止など、社会が激動する。

かつての華族たちも、爵位を奪われ、余儀なく土地を整理し、財産を失い窮乏する。
主人公島崎かず子と母都貴子も、東京本郷の屋敷を売り払い、伊豆へ移住する。
そこで新しい生活が始まった。

都貴子はかつてと変わらぬ、安逸な日々を過ごすが、生活の貯えは日々、潰えて行く。
そんな折、戦地で行方不明の直治が、奇跡的に復員した。
伊豆で家族3人の生活が、始まろうとした。

だが直治は作家を目指し、東京へ出て、無頼作家上原二郎のもとへ。
酒と薬に溺れる作家のもとで、直治の懶惰な生活が始まった。
やがて都貴子が、肺結核で死亡。

最後まで貴族の輝きを失わず、天に召された。
その姿はチェーホフの『桜の園』の、ラネーフスカヤ夫人のようである。
社会が変貌し、桜の園も下僕の手に下り、桜の園を追われる、ラネーフスカヤ。

だが貴族の生活は変わらず、気品と威厳を保ち続けた。
その高貴さと優雅は、実在のない、はかない蜃気楼である。
時代は無惨に、過去の幻影と化した、貴族的世界を破壊する。

都貴子は最後の貴族だと言われた。
だがそれは混迷にのみ込まれ、気高くも美しく、滅びゆく姿である。
その消えて行く現実を、都貴子が認識できないことが、彼女の救いでもある。

都貴子が死に、かず子と直治が残される。
直治はやがて、作家上原に罵倒され、彼のもとを去った。
直治は酒に溺れ、懶惰な生活が続く。

かず子はかつての、直治の師匠上原と関係し、身ごもり男の子を産んだ。
社会の既成概念や、道徳に抗い、自分の人生を、生きることを決心する。
かつてアナキスト大杉栄のもとへ、ダダイストの辻潤と、息子の辻まことを捨て走った、伊藤野枝のように。

また筑豊の炭鉱王の夫に、絶縁状をたたき付け、社会運動家・宮崎龍介と駆け落ちした、
歌人柳原白蓮(伊藤燁子)を、彷彿とさせる。
戦後の荒廃した状況の中で、破滅的に無頼に自虐的に、酒と女に溺れる上原は、血をはいて死んだ。
戦後のカオスに飲み込まれ、諦念と絶望に悶えながら果てた。

そして直治も、母親や上原を追うように、自死した。
太宰治の苦悩を、上原と直治が、象徴しているようだ。
私は日本の紀行文で、太宰治が1944年に出版した『津軽』が好きだ。

戦時中、太宰治は津軽風土記を依頼され、故郷津軽を、3週間にわたり、旅をする。
そこでかつての友と連れ立ち、五所川原から、津軽半島へ旅に出る。
行く先々で、配給の貴重な酒を工面し、集めて飲み食う、破天荒な旅である。

痛快で爛漫な、人間臭い太宰治が、いきいきと
顔を出す。
そこに太宰治の本質が、潜んでいるような気がする。
かず子と直治は、光と陰である。

傾き始めた陽光は、消えゆく最後の光りを、懸命に放つ。
そしてまた深い影を刻み、光と影を鮮明に、映し出す。
時代に翻弄され、煩悶しながら、自殺した直治。

だがかず子は、蛇が誘惑する、禁断の果実を、敢然と食らう。
社会の道徳や、旧弊な価値観を否定し、一人の女として、生きることを決断した。
誕生した息子は、直治の再生である。

混迷の社会を切り開き、未来を創造する、新しい力の誕生である。
構想から5年、途中、コロナ禍に襲われ、監督も2度のガンの手術をする。
映画撮影が頓挫しかける、苦境を乗り越え、映画は完成した。
高校の同級生・近藤明男監督の姿を見て、現役バーテンダーを続ける力を貰う。