マスター&ママファミリーのお正月 大晦日~2022年1月2日 大晦日から1月4日まで、Shotbarピーポッポは、正月休み。 例年に比べ、少し休みが多くなった。 昔は大晦日まで、店を開けていたものだ。 除夜の鐘が近づく頃、お客様たちが集まり、カウントダウンをした。 そのあと、新年を迎える瞬間、シャンパンで乾杯したことを、懐かしく思い出す。 私もママも、お客様も若かった。 大晦日の前日から、私は家で、おせちを料理を、お重に詰めた。 もちろん買ってきたものだが、4つの重箱に、綺麗に収めた。 紅白のかまぼこ、ハム3種類、栗きんとん、酢だこ、数の子、黒豆、 昆布まき、だて巻き、玉子焼き、田づくりなど。 そして大晦日を迎えた。 今日は京都から、長女夫婦と、浦安に住む、次女がやってくる。 私は焼肉パーティーのために、様々な部位の牛肉や野菜を、大皿に盛り付けた。 やがて夕方の4時頃、全員集合。 7時半ごろから、焼肉パーティーが始まった。 大皿の肉や野菜が、多すぎたかなと、不安に思ったのだが。 大皿の肉や野菜が、姿を消して行く。 出した料理が、どんどんなくなるのは、気持ちが良い。 私は京都から届けてくれた、無濾過生原酒・たれくち酒を飲む。 京都府の南部、城陽市にある酒蔵、城陽酒造の酒だ。 木津川の伏流水で仕込んだ、五百万石100% の、手作り少量仕込み。 グラスに注ぎ、鼻先に近づけると、爽やかな新酒の香りがした。 口に含むと、口内で華やかに、芳香が広がる。 ぐびッと飲み込むと、キレの良い戻り香が、気持ちよかった。 すると長女が、冷蔵庫から、デコレーションケーキを出した。 12月28日は、ママの誕生日。 少し遅れての、ママの誕生日祝いのケーキだった。 早速、ロウソクに火をともし、明かりを消した。 皆でハッピーバースデーの、合唱が始まった。 そしてママが、一気にローソクを、吹き消した。 このサプライズの演出に、ママの目から、涙が溢れそうだった。 私はケーキを切り分け、サーブした。 今日、長女が出かけたとき、銀座千疋屋で買ってきたものだった。 このあと、私はハッピーなサプライズと、お酒の心地よい酔いにつられ、ひと眠りした。 そして目を覚ますと、皆が紅白歌合戦を見ていた。 やがて除夜の鐘が流れた。 私は楽しく酒を酌み交わし、家族たちの賑わいのなか、大晦日は終わった。 元旦、目を覚ますと、すでに全員がおきていた。 明けましておめでとうございますと、挨拶を交わす。 そして正午ころ、お節料理と、お雑煮を食べる。 例年は秩父で、お正月を迎えた。 だが、コロナ感染症のため、2年続いて、自宅での正月。 食事後、近くの北野神社へ、 お参りに行った。 すでに駐車場はいっぱいで、順番待ちであった。 車を置き、長い列の最後尾に並ぶ。 この神社も毎年、参拝客が多くなっているようだ。 暗いご時勢、神様に安寧と幸運を、祈りたくなるのであろう。 1時間くらい、待ったであろうか? 拝殿の前にたち、家族や親戚やお客様の、健康と安寧を祈る。 そしてコロナの早い終息と、去年1年無事に、過ごせたことに感謝した。 この神社の祢宜さんは、息子と同級生で、サッカー仲間だった。 私の店にも、時々、顔を出してくれる。 拝殿の中を覗いたが、姿は見えなかった。 社務所で破魔矢を買い、駐車場へ戻る。 参拝の列は、変わらずに、続いていた。 車に乗り、暇に飽かせ、辺りをドライブした。 ほとんどの家の玄関に、正月飾りが見えない。 年々正月飾りが、少ないのが寂しい。 駐車場へ戻り、帰宅する途中、近くの公園に立ち寄る。 すでに紅梅の、小さなつぼみが、膨れていた。 翌日、家族全員で、秩父にある聖神社に出かけた。 次女の車に、京都から来た、長女夫婦と次女が乗る。 運転は車好きの、京都生まれ京都育ちの、長女の旦那である。 秩父への途次、朝霞に住む息子夫婦を、迎えに行く。 朝霞で、ママの運転する、私たちの車に、息子たちが乗り込んだ。 そして次女の車の先導で、私たちは秩父へ向かった。 所沢から関越へ。 無風快晴のドライブ日和。 渋滞もなく軽快に走る。 やがて前方に、雪を頂いた山稜が、陽光に輝く。 花園ICから、国道140号へ。 さらに皆野寄居バイパス、愛称秩父やまなみ街道を行く。 途中、風布があり、ここは蜜柑の産地だ。 かつて秩父困民党が、蜂起したとき、たくさんの草莽の士が、風布から輩出した。 皆野から140号、通称彩甲斐街道を進む。 懐かしい秩父の山なみが、迎えてくれた。 秩父路は渋滞もなく、昼下がりの陽光を、浴びながら進む。 やがて聖神社の、臨時駐車場が見えた。 駐車場はすでに、満杯であった。 私たちも順番待ちをする。 幸いなことに、それほど待つこともなく、駐車場へ車を置けた。 去年もこの駐車場に、駐車した。 ここから聖神社まで近い。 参道を行くと、神社の駐車場に向かう、長い列ができていた。 この神社前の、駐車場はとても狭い。 臨時駐車場は、正解であったと、得心した。 拝殿へ向かう、参道の少し急峻な階段に、参拝客の列ができていた。 最後尾に並び、階段を一歩一歩上る。 左手前方の大イチョウの、老樹が見える。 壱の鳥居から、弐の鳥居へ。 先ほど見た、イチョウの老樹に、両手で触れる。 鋼鉄のようで、秩父の風雪に耐え続けた、生命力を感じた。 境内の参道を進み、階段を上がり、入母屋造りの拝殿の前に立ち、二礼、二拍手、深く一礼する。 階段を降りると、ママは社務所で、お守りを7つ購入した。 そして皆に、1つずつ渡した。 私は皆から、去年の御札をいただき、納札所に収めた。 聖神社はかつて、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市黒谷)にあり、708年(慶雲5年)に、自然銅が発見された。 朝廷はこれを記念し、年号を和銅と改元し、日本最初の流通貨幣、和同開珎を発行した。 和銅開珎が祀られる、聖神社は、地元の人々に、銭神様と呼ばれ、親しまれている。 境内を見れば、競馬や賭け事で、勝てますようにとか、宝くじが当たりますようにと、書かれていた。 中には、宝くじに当たった人の、感謝が刻まれていた。 現在ここは金運・開運のパワースポットになっているようだ。 境内から遠く、秩父の市街地が見渡せた。 その彼方に武甲山が、青空にくっきりと、雄姿を映していた。 すでに時間は2時を回っていた。 途中、ファミリーレストランがあった。 しばしの順番待ちのあと、遅い昼食をとった。 (2022年1月8日) |