マスター&ママの小さな旅
今年も聖神社を訪ねて
2021年1月19日

今年も聖神社をめざし、秩父路を旅する。
だが今回は、日帰りの旅である。
これまで秩父へは、数え切れないほど出かけたが、日帰りは初めてである。

何時もなら、国道299号を行くのだが、今回は時間短縮し、関越道を下った。
高速道は確かに早い。
だが景色が殺風景で、旅の情趣がない。

私たち高齢者は、のんびりゆっくりの、旅が楽しい。
高速に乗り、30分ほどで、花園ICに着く。
ICを降り、国道140号をゆく。

懐かしい景色を眺めながらゆくと、途中で秩父鉄道とすれ違った。
やがて左手に荒川の清流が見え、景勝地・長瀞が姿を見せる。
例年であれば、宝登山神社にお参りし、この時期なら、蝋梅を楽しむのだが……。
 
右手に大鳥居を見ながら、さらに15分ほどゆくと、黒谷に到着した。
この辺りは温泉宿も多く、名湯の里である。
聖神社は黒谷の里、和銅山の麓に鎮座する。
 
参道近くの、無料駐車場に、車を置く。
平日の参詣なのだが、思いのほか、参拝客が多かった。
手水舎で、口と手を清める。
 
手水舎のお清めの水は、竹筒から流れ落ちていた。
柄杓からの、接触感染を、防ぐためなのだろう。
手水舎には、感染防止のポスターが、貼ってあった。
 
鳥居をくぐり、急峻な参道の階段を登る。
階段わきに、聖神社と書かれた、黄色い幟旗が、日を受け眩い。
登るにつれ、神社の銅板葺の、屋根が見える。
 
冬木立に包まれ、趣がある。
登り終えると、杉の巨木が、迎えてくれた。
しめ縄が巻かれ、 紙垂が垂れていた。


老樹の太い根が、大地に広がり、生命力の強さを示していた。
境内から拝殿に向かう。
拝殿前には、数人の参拝者がいた。
 
拝殿に昼下がりの陽光が射し、深く陰影を刻む。
拝殿横の、和銅開珎のレプリカの、赤銅色が眩しい。
拝殿の前に立ち、手を合わせる。
 
例年なら振り鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼するのだが、引綱の鈴緒がない。
コロナの影響で、柏手の音も一度で、小さめである。
至る所で、コロナによる、自粛自制の波が、押し寄せている。

参拝をすまし、階段を降り、和銅開珎のレプリカ横へゆく。
そこにはたくさんの絵馬が、幾重にも重なっていた。
見ると、宝くじの一等に当選するようにとか、お金に困らないようになど、
お金にまつわる願いが多かった。

やはり聖神社は、今や金運に関するパワースポットであり、マスコミでも、度々紹介されている。
聖神社の創建は和銅元年(708年)2月13日。
日本初の通貨・和銅開珎、ゆかりの神社であり、銭神様とも呼ばれている。

この地で慶雲5年(708年)の昔、自然銅(和銅・ニギアカガネ)が発見され、
武蔵国秩父郡から、第43代元明天皇へ、和銅が献上した。
天皇はいたく喜び、「和銅」と改元し、鋳銭司に、多治比三宅麻呂(たじひ の みやけまろ)を
任命する。

そのときから、日本初の通貨・和同開珎の鋳造が始まったのである。
聖神社の前を通り、神社横にある、大国主命を紀る、和銅出雲神社へ。
ここを参拝する人もなく、何時もひっそりと鎮座している。
 
和銅出雲神社に参拝し、境内に戻ると、大杉のかなた、秩父の山並みが霞んでいた。
その老杉の横に、たくさんの絵馬や、おみくじが見える。
おみくじは今年の運勢を願い、絵馬は金運を祈っているのであろう。

拝殿に別れを告げ、境内から石段を下りる。
午後の冬日が降り注ぎ、長閑な景色が広がる。
飾り気のない聖神社は、素朴なむらの鎮守様のようで、心が和む。