マスター&ママの小さな旅
東村山市北山公園&金剛山正福寺を訪ねて
2020年10月4日

コロナ感染症による、外出自粛が緩和された、今日この頃。
東京都東村山市にある、新東京百景の一つ、北山公園へ出かけた。
初秋の川越街道から、県道40号を行くと、40分ほどで正福寺に到着する。
 
駐車場に車を停め、北山公園へ行く。
10分ほどで、目的地に着いた。
公園の入り口近くの民家に、食べごろの柿が、たわわに実っている。
 
公園前に小川が流れ、善行橋を渡る。
川は清らかに、静かに流れていた。
東村山は名水の里である。
 
公園に入ると、右手に小池がある。
池の畔に、野の花が、可憐に咲いていた。
その隣に立札があり読む。
 
涼しくなると、池のアカマクミドリ虫というプランクトンが、活発に活動し、
体内の赤い色素で、水面が赤褐色に染まる、と書かれていた。
都会の公園では、滅多に見られない現象のようだ。

池の先に、紅に燃える、曼珠沙華の群生が見える。
道行く路傍に、ぽつりぽつりと、曼珠沙華が咲いていた。
その左手に、時期を過ぎた、畑田が広がる。
 
曼珠沙華の群生を見るのも、久し振りである。
埼玉県日高の巾着田には、数回行ったことがある。
一面に広がる、曼珠沙華に、圧倒された。
  
北山公園の群生は、それとは比較できないほどの、規模だった。
さほど広くない、公園の一角に咲くのだから、当たり前のことだろう。
何時みても、曼珠沙華の花の紅は、妖しく匂い妖艶である。
 
日が落ちて、闇に咲く曼珠沙華は、不気味でさえある。
誰が名付けたか、知らないが、花の名前も、そのことを象徴している、かのようだ。
するとママが、白い曼珠沙華を見つけた。
 
純白の曼珠沙華は、初めてだ。
紅色の曼珠沙華が、変異したのだろうか。
紅の曼珠沙華と異なり、白い曼珠沙華は、高貴な雰囲気を漂わせる。

曼珠沙華から目を映すと、池があり、純白な野花が楚々と咲く。
その先に、野鴨のつがいが、仲良く歩いていた。
曼珠沙華苑の前に、イロハモミジやイトウカエデが、凛々しく立っている。
 
木々には緑の葉が、生い茂っていた。
晩秋になれば、イロハモミジの葉叢は、鮮やかな赤色に、輝くことであろう。
イトウカエデの小枝を見ると、黄緑色の虫がいた。
 
この虫は何かに、孵化するのであろうか?
蝉や蝶の季節は、すでに終わっている。
曼珠沙華から離れ、公園を散策する。
 
この公園に前回来た時は、菖蒲の季節だった。
菖蒲田には、色とりどりの花々が、咲き乱れていた。
季節外れの今、菖蒲田の水路は枯れ、草が茂っていた
菖蒲田の隣に、蓮池がある。
蓮の花はなく、蓮の葉が枯れ始めていた。
蓮池の奥に、四阿が見える。
 
そして先ほどの、曼珠沙華の花園を、展望台から眺める。
左の草叢で、食事をする人たちの姿があった。
その後ろを、西武西武園線の列車が、疾走してゆく。
  
展望台から、小川の畔にでる。
川の水は澄み、対岸に青竹繁る、竹林があった。
武蔵野に、雑木林と竹林は、良く似合う。
 
川沿いの遊歩道を行くと、家族ずれが川辺で、川遊びをしていた。
前回来た時は、子供たちが川に入り、網で小魚を掬っていた。
都会では見られない光景に、郷愁を感じたものだ。
 
川沿いの道を歩くと、先ほど見た、四阿に着いた。
屋根の下の長椅子で、家族ずれが休んでいる。
手前に昔ながらの、手押しポンプが置いてある。
 
今でも現役なのであろうか?
ガッツン、ガッツンと汲み出し、東村山の名水を、飲んでみたいものだ。
甘く柔らかな味が、するのであろうか?
 
北山公園を、ぐるりと一周し、善行橋を渡り、正福寺に向かった。
途中、民家の庭に、アオイが咲いていた。
初夏に咲くアオイは、すでに時を過ぎ、名残のようであった。
 
正福寺の隣に、神社の鳥居が建つ。
明治維新の廃仏毀釈で、破壊されなかったのであろうか。
古来からの神仏習合の姿を、今に伝えていた。
 
元禄14年(1701) 建立の、山門を潜ると、正面に 臨済宗正福寺が見える。
真っ直ぐ伸びる、参道を進む。
簡素だが、優美な姿の堂宇が、昼下がりの陽光を、浴びている。
  
建立は室町時代の応永14年(1407)で、2009年まで、東京都唯一の国宝建築であった。
中には千体にのぼる、小さな木造の地蔵尊が、奉納されている。
子供の健康を祈願し、叶った人たちが、お礼に供えたという。

参道の途中、左手に「貞和の板碑」の立札があった。
その先に、お堂があり、板碑が収納されていた。
高さ300センチメートル、緑泥片岩性で、1349年(貞和5年)のものである。

法名帰源が、逆修供養として、自分の死後の冥福を祈願し、建立されたものである。
境内には私たち以外、人影はなく、静寂であった。
東京近郊の、国宝寺院の境内に人影がなく、不思議な気がした。
 
お堂の前に立つ。
お賽銭を供えようとしたが、見当たらない。
前の木柵の中に、郵便ポストのような、小さな賽銭箱が、置かれていた。
 
何処の寺社でも、正面にドカンと、賽銭箱は鎮座しているのだが。
お賽銭を供え、手を合わせる。
見上げると扁額に、千体地蔵堂と彫られていた。
 
杮葺の屋根は、大鳥の羽のように、優美に反り返る。
屋根を支える、棟木や組物が整然と並び、凛々しい佇まいである。
鎌倉時代の禅宗様建築で、簡素で質朴であるが、静謐な気品を持つ。

すると1羽の鴉が飛んできて、反り返る屋根の、切っ先に停まった。
そしてしばらく、じっと動かない。
鴉と屋根が、空にシルエットを描いていた。
  
右手に参道が見える。
行くと参道に沿って、仏像が並んでいた。
手前に黒御影の石碑が建ち、「創建七百三十年記念十三仏石像建立之碑」、と彫られていた。

如来さまや菩薩や不動明王の像が、立ち並ぶ参道を進むと、本堂があった。
お賽銭を供え、お参りしようとした。
しかしお賽銭箱はなく、寺の清廉な姿勢を感じた。
 
お参りを済ませ、参道を戻る。
右手奥に正福寺の、後姿が見える。
そしてさらに行くと、ハナミズキの赤い実が、秋の到来を告げていた。