マスター&ママの梅便り
所沢航空記念公園の蝋梅を訪ねて
2020年2月2日
立春も近い日曜、埼玉県所沢にある、所沢航空記念公園へ出かけた。
秩父へ出かける時は、何時もこの公園の前を、通過する。
今までに数えきれないほど、この道を通ったことか。

公園の中に入るのは、何年ぶりであろうか。
子供たちが、小さいころだったので、20年以上は、経過しているだろう。
家を1時頃に出て、公園に着いたのは、2時半頃だった。
 
公園の東駐車場に、車を停め、公園の中へ。
広い散策道が、真っ直ぐ伸びる。
左手に常緑樹のヒマラヤスギが並び、右手に冬枯れのケヤキ並木が続く。
 
その手前に、ドッグランの広場があり、人とワンちゃんたちが、遊んでいる。
木立の影が、長く伸びた道を、のんびりと歩く。
昼下がりの柔らかな、陽光を浴び、行き交う人の足取りも、緩やかである。
 
やがて前方に、なだらかな傾斜の、丘が広がる。
新緑の季節ならば、芝の緑が眩しいが、今は寂寥を映している。
あちらこちらに、色とりどりのテントが張られ、茶枯れた草に、降り注ぐ陽光を、愉しんでいる。

 
丘を下ると、遠くに子供広場があり、親子ずれで賑やかだ。。
やはり子供たちに、遊技場は人気がある。
子供たちの、元気な声が響いていた。
  
公園の時計は、2時38分を指していた。
すると右手から、梅の豊香が漂ってきた。
見れば梅園が広がり、桃色の花が、ほころび始めていた。
  
まだ2分咲きであろうか。
今日のような、穏やかな日が続けば、あと2週間もすれば、満開になるだろう。
空の青と梅の花が、美しいコントラストを描いていた。
  
そしてさらに進むと、前方に放送塔が、青空を背景に、くっきりと凛々しく建っていた。
途中、生け垣の椿が、名残の花を咲かせていた。
麗らかな陽光の中、前方に航空自衛隊の輸送機C-46の、雄姿が見えた。
   
プロペラの航空機を見ると、不思議と懐かしい、郷愁をおぼえる。
銀色の機体が、陽光を浴び、かつての輝きに満ちている。
1911年(明治44年)4月1日、航空の父、長岡外史が私財を投じ、日本初の航空機専用飛行場を、この地に造った。
 
そして同年4月5日に、徳川好敏大尉が、フランス製複葉機アンリ・ファルマン機を操縦し、日本初の飛行に成功した。
それは高度10メートル、飛行距離800メートル、飛行滞空時間1分20秒の、飛行であった。
その滑走路は、散策路横の、一段低いところにあり、広場になっていた。
 
そこは航空機が展示してある、前の道の一段下で、当時の滑走路の跡である。
現在の滑走路とは、比較にならないほどに狭い。
その広場で、家族や若者たちが、バトミントンなどを、愉しんでいた。

そして、かつての滑走路を、横切って行くと、ロウバイ園の看板が、建っていた。
そこは今日の目的地、ロウバイ園である。
ロウバイ園の入り口で、常緑を湛える、クスノキの老木が、迎えてくれた。
  
公園に近づくと、妖艶な香りが、微風に乗って流れてくる。
中へ進むと、説明版があり、公園に咲く2種類のロウバイを、簡潔に記していた。
そのにわか知識を頼りに、梅の香をかぐ。
 
ソシンロウバイは薄黄色で、花弁の先が、細く長く少し尖っている。
陽光を受けた花弁が、透き通るように、淡く白を含んで見える。
香りは柔らかく、清澄な匂いが漂う。
 
それは高貴で、妙齢の淑女のようである。
一方のマンゲツロウバイは、濃い黄色で、花弁は厚く、花の形が、ほっこりとしている。
匂いは甘く豊潤で、顔を近づけると、熟した果実のように濃厚である。
 
例えれば、人生の機微を熟知した、豊満な熟女のようである。
寒さ厳しいこの季節、枯れ寂びた自然に、ロウバイが華やぎを、添えてくれる。
ロウバイ園を訪れる人も少なく、ロウバイをのんびりと鑑賞できた。
 
ロウバイの古木の彼方に、C-461が陽光に、輝いていた。
そして梅園を出ると、武蔵野のを偲ばせる、雑木林が点在する。
クヌギ、ケヤキ、クスノキなど、懐かしい樹々たちである。
  
雑木に囲まれた、散策路を行く。
遠くに見える草むらで、家族ずれが、遊んでいる。
さらに行くと、左手に彫刻家長沼孝三(1908 -1993年)作・航空整備兵の像があった。
 
かつてこの地にあった、所沢航空整備学校に、昭和19年5月21日に、建立されたものである。
その像は戦中にあって、少年飛行兵や、整備兵のシンボルであった。
だが、翼を抱き、空を見上げる、航空少年整備兵の姿は、戦争の悲惨さを、思い起こさせた。