作家安部譲二さんの思い出 2019年9月10日 今から25年くらい前だろうか? 私の店に、演劇の仲間が、集まったことがある。 そのとき、大学の後輩で、演劇仲間のIさんもいた。 そして酒宴が盛り上がった頃、Iさんが言った。 「最近、僕より10歳くらい年上で、コワモテの弟ができちゃったよ。妹と結婚するので、挨拶に来たの。 ニコニコしながら、これから末永くよろしくって、丁寧に挨拶されてね。」 「何をしてる人?」 「小説家でね」 「有名な人?」 「けっこう有名だね」 「ヒントを何か」 「出したらわかるな。もと暴力団員」 それで全員が、安部譲二さんだとわかった。 ある日のこと、大手の出版社に勤める、編集者のKさんが来店した。 Kさんは安倍譲二さんと、懇意にしていて、安部さんの自宅を、私的公的に、たびたび訪れていた。 当時、Kさんの出版社の、ゴルフ雑誌の連載を、安部さんは書いていた。 私はKさんに言った。 「安部さんの奥さんに、旧姓は○腰さんですよねって、言ったら驚くよ」と。 その後、安部さんの家に、Kさんは行ったたおり、「奥さんの旧性は、○腰ですよね」と言った。 すると、奥さんはビックリして、「どうして知っているの?」と言ったそうだ。 「私の家の近くにある、学生時代からお世話になっている、バーのマスターから聞きました」 「ひょっとしたら、その方、昔、お芝居をしていなかったかしら?」 「らしいですね」 「それで納得しました。兄がお世話になりましたと、お伝えください」 それからしばらくたった、ある日のこと。 もと沼田ジム所属のボクサーで、後楽園ホールで、戦った経験のあるKさんが、粋な計らいをしてくれた。 沼田ジムから、初めて誕生した、日本チャンピオンの初防衛戦に、安部夫妻と私たちを、招待してくれた。 試合当日、後楽園ホールへ、息子と出かける。 私たちの席は、リングサイドで、すでに安部夫妻が座っていた。 Kさんが私たちを、安部夫妻に紹介してくれた。 安部さんはニコニコと、気さくに私たちを、迎えてくれた。 奥さんは私に、「何時も兄が、お世話になりました」 そして私たちは並んで、リングサイドに座った。 すると、私たちの席の、リングを挟んだ対面に、座っていた人が、こちらへやって来た。 ダブルの黒服を着た、がっちりした体格の、コワモテの人だった。 安部さんのところに来て、挨拶をした。 そしてそのあとにも、黒服の男性が、安部さんのもとへ来て、挨拶をしている。 アロハシャツ姿の安部さんは、私に、 「本来なら、こちらから、挨拶に行かなければ、ならないんだけどね」と、人懐こい笑顔で言った。 そして沼田ジム所属のチャンピオンは、防衛戦に勝利した。 その試合は、ダイヤモンドグローブで、放映された。 安部さん夫妻と、私たち親子とKさんが、テレビの画面に、映っていたことを、懐かしく思い出す。 安倍譲二さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます |