マスター&ママの小さな旅 真田の里、沼田公園を訪ねて 2019年8月26日 昨日は老神温泉に泊まり、柔らかな湯を、愉しむ。 温泉はかすかに、硫黄の匂いがして、温泉気分に浸る。 夕食の後、山間に広がる、夜空の星と月を、眺めながら、飲む地酒は格別だった。 そして今日、ホテルをチェックアウトし、帰路につく。 老神温泉を後にし、20分程行くと、沼田市の市街地に着いた。 市街地から少し離れた、小高い丘に、沼田城址があった。 沼田城址がある、沼田公園の無料の駐車場へ。 だが以外にも、駐車場は、いっぱいだった。 少し待つと、車が出たので、車を停める。 きっと歴史好きの高齢者や、熟年の人たちが、訪れているのだろう。 車から降り、公園の案内板を見て、緑に溢れる公園を行く。 やがて赤松の老樹の奥に、黒塗りの鐘楼が見えた。 この凛々しい鐘楼は、真田信之と小松姫の息子・信吉が、建てたものの復元であった。 領内の安寧を祈願して、鋳造した「城鐘」を、保護するために建てられたのである。 鐘楼の斜め前に、庭園が広がり、夏の花々が咲いていた。 春になれば、樹齢400年の御殿桜が咲き匂い、ソメイヨシノが爛漫となる。 かつて真田一族が治めた、沼田城は四季折々の、花々が咲く。 遠く眺めると、沼田の市街地が、山々に抱かれるように広がる。 戦国の世、この地は武田氏、上杉氏、そして北条氏が、覇権を争い、熾烈な戦が、繰り返された。 そして天正18年(1590年)、小田原北条氏が滅亡し、沼田領は真田昌幸に与えられた。 その後、嫡男の信之が城主となり、城下町を整備し、慶長年間に、5層の天守閣を築いた。 燦々と陽光を浴びた、鐘楼の右手に、石垣と石段が見える。 真田氏が居城とした、沼田城の西櫓台の、遺構であった。 5代城主真田信利が改易され、城は完全に破壊された。 その後藩主は、本多氏、黒田氏と幾代も変わったが、城は復興されなかった。 だが破壊されてから、300年後の発掘調査で、往時の姿で石垣と石段が、奇跡的に、地上に現れた。 石垣と石段の全長は27.5メートル、石垣の高さ0.8-2.0メートル、石段の幅2.4メートル。 石垣の横の狭い道を、石垣に沿って歩く。 左手は崖になり、遠くに沼田の市街地が広がる。 石垣は一見したところ、堅牢でないように見える。 石組みの間に隙間ができ、そこに大小の石が、嵌めこまれている。 しかし数百年の風雪に耐え、天変地異で、破壊されることもなかった。 多分、石組みの専門集団である、穴太衆たちが、造り上げたのであろう。 見上げると、石段を蔽うように、御殿ザクラの、老樹が見える。 苔むした大地に、力強く太い根を張っていた。 400年の歳月を、逞しく生き続け、春が来ると、絢爛と咲き匂うことだろう。 石垣を回り終えると、遠くに先ほどの、鐘楼が見えた。 そして木漏れ日が、地面に影を刻む、広場に出た。 広場に爽やかな風が、吹き渡る。 沼田市を一望する、見晴らしの正面に、谷川岳連峰、武尊山、三峰山の雄姿が見えた。 山々は陽光に照りかえり、神々しかった。 展望台の近くに、寂しげな大石があり、その横に説明版があった。 平八石と書かれてあり、由来が記されていた。 沼田氏最後の、勇猛な武将、沼田平八郎景義の首が、晒された石であると。 天正9年(1581年)当時、沼田城は真田昌幸が治めていた。 その城の攻略をはかり、平八郎は挙兵した。 だが、平八郎の伯父・金子泰清と、真田昌幸の謀略により、城内で謀殺された。 平八郎42歳、生首の無念が、浸みこんだ石である。 その石の真後ろに、1本の老樹が聳えている。 平八郎の受苦を、癒すように、晩夏の強い陽光を、遮っていた。 そして平八郎の石に、手を会わせた。 広場の端に、素朴なお堂が建っている。 近づいてみると、扁額に天狗堂と、書かれていた。 格子から覗くと、朱塗りの大天狗の面が、飾られていた。 お堂の前に、案内板があり、天狗面の由来が、書かれていた。 この天狗面は、迦葉山の大天狗の分身として、沼田観光協会が制作、彫刻者は吉沢俊三郎。 顔の幅2メートル、鼻の高さ1.4メートル、重さは1トン、木彫りの天狗面では、日本一の大きさであると。 朱塗りの面に、ギョロリと剥きだした、金彩の目に、迫力がある。 そしてお堂から、雑木林に囲まれた散策道を行くと、沼田城本丸跡があった。 昭和9年の発掘調査で、城の石垣や、城が破壊された時の、様々な瓦や石が、発掘されたという。 そしてさらに行くと、左手に懐かしい面影の建物があった。 玄関から中を覗くと、男の人がいた。 床はぴかぴかに磨き上げられ、どうやら現役のようだ。 すると近くに、ジャージー姿の、高校生くらいの、女性たちがいた。 聞いてみれば、建物は剣道場で、今、稽古が終わったところだと、笑顔で話してくれた。 そこから少し歩くと、整備された広場に出た。 左手に利根英霊殿の石碑が建ち、石段の上に、お堂が建っていた。 第二次世界大戦の、英霊を祀っているのだ。 その先に整備された公園があり、季節外れのツツジが咲いていた。 公園の中央に、2体の石像が、強い陽光を浴びている。 近づいてみると、真田氏初代城主・信之と、その正室・小松姫の石像だった。 小松姫は徳川四天王の1人、本多忠勝の娘で、真田昌幸の長男・真田信幸の妻である。 私たちも、2人にあやかり、石造の前で、記念撮影をした。 そして、さらに少し行くと、前に大きなグランドが広がる。 樹々に包まれた、グランドから、涼風が吹く。 グランド沿いの散策道は、桜並木になっていた。 このあたりも、春には桜が咲き、花の回廊になるのだろう。 すると、並木の途中、アジサイが、名残のように、咲いていた。 この時期に、ツツジやアジサイとは、沼田は不思議なところだ。 誰もいないグランドを、駐車場方面に、真っ直ぐ進んだ。 遠くに真田の里と書かれた、桃色の幟旗が見えた。 どうやら方向に間違いはないと、確信して進むと、公園の入り口に出た。 先ほど迎えてくれた、雄壮な真田の人形が、眩しい光を浴びて、立っていた。 1時間強の沼田公園の散策は、予想外の楽しさだった。 |